不快って,それそのものが強い動因になるわけで,つまり行動を強く指向させる,事を考えると,不快そのものの妥当性を問うつうのはわりと本末転倒のようにも思う。
レイシズムに根ざした不快感,というのも,それが既に社会通念上否定されるべきものであるのが自明,というなかでも,着々と醸成されていって,時どき顔を出す,ということの恐ろしさだなと思う。それを許容できないのは当たり前としても,では,社会通念上自明でないものについては,難しいなと思う。
やっぱ話が面白い! / “堀込高樹(KIRINJI)を揺さぶった6つの歌詞 -インタビュー:CINRA.NET” htn.to/HCFAFK1R8p
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます