Im wunderschoenen Monat Mai~
最初からちょっと発音するのに厄介なこのハイネの詩。
有名なのは“シューマンの詩人の恋”ですが、
ほかにもFranzなども書いています。
ヨーロッパの五月は、日本の春のように段々と順に進んでいく春ではなく、
ある日突然に始まる緑の季節です。
フォーレの“五月”ですとその辺をリアルに表現していて、
活動的な、むせ返るような躍動感があります。
でも、どうもこの詩には、メランコリックな感じや、センチメンタルな感じが漂っているようで、
周りの自然よりは詠んでいる本人の心情を表しているような雰囲気です。
フランス歌曲ですと、一つの詩に対して、様々な意見や見解があり、
その結果、曲となって形になったときに随分と違いが出てくるのですが
ドイツの歌曲ではその辺は違うようです。
ほんの少しの差はあるようですが、その詩のイメージは作曲家が変わってもほぼ違いはないようです。
先日ナタリー・シュトゥッツマンの演奏で聴きました。
女声の低い声というものは、大変に魅力的なものです。
彼女のようなコントラルトはあまりいないので、余計に価値が高いのですが、
歌うだけでは飽き足らず、最近は指揮のお仕事にもご熱心なんだそうです。
ん~
でも・・・・
本当にドイツ歌曲の魅力がわかる人には、よだれものの、良い演奏だったんだんだけどなあ~
心情の吐露。
これが語り口だけでなく、声そのものの伸びで表現できる人って
めったにいないんですよね~
特に、シューマンの“詩人の恋”はピアノパートはとても難しいし、
曲数多くて、大変だし、
最後まで歌うだけでも大変なのに・・・・。
ま、そんなわけで、シュトゥッツマンが存分に内面の表現ができる優秀な歌手だってことを再認識できた
良い機会でした。
最初からちょっと発音するのに厄介なこのハイネの詩。
有名なのは“シューマンの詩人の恋”ですが、
ほかにもFranzなども書いています。
ヨーロッパの五月は、日本の春のように段々と順に進んでいく春ではなく、
ある日突然に始まる緑の季節です。
フォーレの“五月”ですとその辺をリアルに表現していて、
活動的な、むせ返るような躍動感があります。
でも、どうもこの詩には、メランコリックな感じや、センチメンタルな感じが漂っているようで、
周りの自然よりは詠んでいる本人の心情を表しているような雰囲気です。
フランス歌曲ですと、一つの詩に対して、様々な意見や見解があり、
その結果、曲となって形になったときに随分と違いが出てくるのですが
ドイツの歌曲ではその辺は違うようです。
ほんの少しの差はあるようですが、その詩のイメージは作曲家が変わってもほぼ違いはないようです。
先日ナタリー・シュトゥッツマンの演奏で聴きました。
女声の低い声というものは、大変に魅力的なものです。
彼女のようなコントラルトはあまりいないので、余計に価値が高いのですが、
歌うだけでは飽き足らず、最近は指揮のお仕事にもご熱心なんだそうです。
ん~
でも・・・・
本当にドイツ歌曲の魅力がわかる人には、よだれものの、良い演奏だったんだんだけどなあ~
心情の吐露。
これが語り口だけでなく、声そのものの伸びで表現できる人って
めったにいないんですよね~
特に、シューマンの“詩人の恋”はピアノパートはとても難しいし、
曲数多くて、大変だし、
最後まで歌うだけでも大変なのに・・・・。
ま、そんなわけで、シュトゥッツマンが存分に内面の表現ができる優秀な歌手だってことを再認識できた
良い機会でした。