Doll of Deserting

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鮮花:前編(偽善との共鳴余話:第二幕 ギンイヅ)

2005-10-27 20:32:04 | 偽善との共鳴(過去作品連載)
*この小説は、連載「偽善との共鳴」にリンクした内容となっております。イヅルと市丸さんに現世時代に面識があったなら、という捏造小説です。イヅルに現世時代などないということは重々承知しておりますが、半ばパラレルという形で読んで頂ければ幸いです。(汗)


*後編は裏にあります。隠しではありませんので、ご入室なさる際には充分お気をつけ下さい。




 彼は、その職業に就いている人間からすれば重々しさの感じられない男であった。僕の家に訪れる時は、決まって着物を売りに来る時であったが、時折彼は僕を連れ出したがった。
 男として育てられた僕を、儚いものに触れるようにして接したのは彼のみであった。彼の売る着物や扇子は、鮮やかな色を残しつつもどこか儚い印象を持たせた。あれは僕であるのだと、彼は見たこともないほどに一際悲しげな顔をして言った。


 
 イヅルは、公家の出身であった。幼い頃からお前の血は気高く、美しいものなのだと教わってきたが、イヅルはいっこうにその考えに順ずることが出来なかった。父と母は死に絶え、そういった教育をするようにと申し出たのは祖母である。何としてでもイヅルに吉良家を継いでもらう必要があるのだと、あからさまに吹聴されているようでもあった。
 常日頃そんなことばかりを耳に入れているためか、近頃は耳鳴りがして仕方がなかった。ともすれば鼓膜すら破られるのではないかと思うほどに、その言葉は険しかった。
「ああ、痛い。」
「…どないしはりました?」
 思わず声を漏らしたイヅルに、誰かが問いかける。おそらく京からこちらへと上ってきたのだと思われる心地よい訛りが耳に優しい。飄々と細められた目は見覚えがある。ここ最近よく見かけるその男は、確か呉服屋だったはずである。そういえば今は新調する着物を吟味している途中であった、とふと思い出した。男は特徴的に整ったかんばせを綻ばせ、慈しむような視線を向けている。
「いえ、あの、何でもありません…。」
「何でもない、いうことはあらしまへんやろ。うちの着物、気に入りませんか。」
 訝しく、というよりも、むしろ不安げに男は尋ねる。その様子が好ましく、イヅルは花が綻ぶような笑顔を浮かべた。男はそれを見ると、やや安心したように表情を戻した。
「いいえ、とても素敵です。ただその…近頃気分が優れませんもので。申し訳ありません。」
「謝られることやありまへんよ。ご気分が宜しないんやったら、外の空気でも吸いに出はったらどないですやろ。せやったらボクが付き添いますよ?」
「え、でもそんなご迷惑をおかけするわけには…。お忙しいでしょうし、お時間の程もありますでしょう。」
「今日はもうボクの仕事は終いや。店の方は若いもんに任してあります。時間なら気にせんでええですよ。」
 それは男がいささか無理に決定したものであるということを、当のイヅルは知る由もなかった。
「それなら…宜しくお願いします。」
「はいはい。」
 そう言いながら、男はイヅルに手を差し出す。まるで女子を扱うかのように振舞うので少しばかり不本意に思ったが、黙ってその手を取った。すると男は、満足そうに笑みを深めた。
「あの、お名前は何と仰るのですか?」
 ふと思い出し、イヅルが尋ねる。手を引かれながらも、男の名を知らぬことを疑問に思ったのである。男は美しい銀糸の髪を風に揺らしながら、尚も柔らかい口調で答える。
「市丸云います。市丸ギン。」
「市丸さん…ギンとは、銀(しろがね)と書きますか。吟遊の吟と書きますか。」
「どっちもちゃいますよ。ただのギンです。まだ誰もよう知らん字やけど…。」
 ギンは、突如として座り込むと、庭の石を使って地面に文字を描いた。おそらくそれは彼の名であると思われたが、それで「ぎん」と読むらしい。しかしイヅルは、その文字に見覚えがあった。イヅルの名と同じ種の文字であったからである。少しばかり嬉しくなり、イヅルは自分の名をギンの横に書き出した。
「僕の名前も漢字ではないんですよ。…あなたの名前とおそらく同じ類のものでしょう?」
 イヅルが微笑みながら言うと、ギンはさも嬉しそうな顔をして同じく笑った。互いに何か通ずるものが出来たようで、またそれが互いにとって何か抜きん出た感情であるかのようで、居心地が悪くなり曖昧に顔を背けた。



 それからというもの、ギンは度々屋敷へ赴いては、着物を売るついでにイヅルを連れて出歩くようになった。はじめは商人と客の立場では、と遠慮していたようにも思うが、最近ではそのような態度も見せなくなっている。イヅルはむしろそれが嬉しかった。特別な魂を持つと教えられてきた自分の全てが、初めて覆されたように思えた。
 ギンはそのうち、敬語を使うなと言い出したイヅルのことを今度は名前で呼び出した。突然のことにイヅルは驚いたが、自分に対してやはりどこか一線引いていたギンが一歩近付いてくれたように思えて、歓喜した。



「市丸さんのお家へ、是非お邪魔したいのですが…。」
「…は!?」
「あ、いえそういう意味ではなくて、是非そちらへ赴いてお着物を拝見したいと…。」
「ああ、ええよ。いきなりそないなこと言うもんやから驚いたわ。」
 いつものように庭を歩いている時イヅルが発した言葉に、ギンが瞠目する。イヅルの方が上の身分であるというのに、決してギンに対する言葉遣いを改めることはなかった。ギンは何度もおかしいと思いそれを指摘したのだが、イヅルは慣れないので、と聞き入れようとはしなかった。
「しかし、着物はボクがここに持って来よるんやからええやん?わざわざうちに来んでも。」
「いえ、やはり一度はお店にお邪魔してみたいと思いまして。それに…市丸さんがどのようなお家でこれまでお育ちになられたのか、興味があります。」
 ああ、またこの子は可愛らしいこと言うて。イヅルがまるでギンに懸想しているかのような言葉を漏らす度に、ギンの中の何かが総毛立つ。しかしそれは恋と呼ぶにはあまりにも儚い。それはむしろ、同属愛とでも言い表した方が正しいような気がした。それでも確かに、自分がこの子を想っているということに変わりはないのだが。
「ええよ、おいで。」
 今すぐにでも、と手を引くギンに、イヅルは逆らわなかった。まだ日は高い。口うるさい祖母も今は出掛けていることであるし、もし行くとするならばこの好機を逃す手はないであろうと思ったのだ。



 檜の香りが鼻先をくすぐる。品良く造られたその店内は、数ある呉服屋の中でも高尚であるということを感じさせた。出入りする客は皆高い身分であるといった風で、連れられた子供すらも嫌に落ち着き払っている。ギンは絹織物を扱う女性に向かって茶を、と言うと、イヅルを奥の間へと案内した。イヅルは「お構いなく」と退いたが、ギンに押し切られ部屋へと入る。
「市丸さん、僕は普通のお客様のようにお着物を拝見させて頂くために来たのであって、決してこのようにもてなして頂くために来たわけでは…。」
「分かっとるよ。せやかてイヅルはただの客やないやろ?」
 ぐ、とイヅルが押し止まるのを見て、ギンが苦笑する。そういった意味で言ったのではないのだと軽く訂正してから、新たな言葉を紡ぎ出した。
「イヅルは大事な友達やもんなあ?」
 はっとしてイヅルが顔を上げると、ギンが所在なげに茶を含んだ。何と言い表そうもなく友人と言い放ってしまったことに、照れ臭さと気まずさが入り混じりどうしようもなかった。
「ありがとうございます…。」
 普通の友人として扱ってもらったことを嬉しく思い、イヅルは礼を述べた。しかし内心では、友人、という言葉にいささか疑問を覚えたのも確かである。友人や知人というものとは違う気がした。いつしか離れてしまうような、しかし繋がっていけるような、不確かな存在であるような気がしていたのだ。
「ここには、お着物の他にも色々なものがあるんですね?」
 掠めるような沈黙が流れ、その場の重苦しさに絶えられずにイヅルが辺りを見回す。そこには売り物ではない小物類が置かれていたが、この店にはそういったものも出してある。余程高価なものなのか、それともこの店のものではないのか、それは分からなかった。
「扇子に巾着、何でも置いてあるで。ここにあるもんはボクが趣味で作ったもんやけど。」
「え、そうなんですか?」
 うん、とギンが尚も茶を啜りながら頷く。素人が作ったにしては精巧に出来ているそれらは、鮮やかな色合いをしているがその色は淡く、どこか儚い面影を残した。聞けばこれらは、最近作ったものであると言う。衝動的に、作らずにはいられなかったのだと。
「これはな、全部イヅルなんよ。」
「僕、ですか?」
「かようにイヅル見よったらな、綺麗やなあ思うて、何かに残したなるんよ。そんで出来たのがこれや。」
 相変わらずまるで女性に言うような口振りでギンが言うので、軽く憤慨したくなったがやめた。ギンの表情があまりに優しかったのもあるし、自分がこれまで培ってきた不安がここで一掃されるような気がしたので、黙っていた。
「市丸さん、お聞きしても宜しいですか。」
「うん?」
「これはあなたの造ったものでしょう。ならばあれは何です。」
「ああ、あれはなあ、ボクの副業や。」
 貼られた髪に描かれているのは、おそらく刺青の下絵であると思われた。艶やかに咲き誇る葉牡丹に、勇ましい龍の様。それは、彩を持たせればどんなにか美しいであろうと想像するだけで身震いしそうになるほどのものであった。
「たまにな、人の背なんかに落書きしとるんよ。」
 茶化すようにギンが言う。刺青まで彫るのか、と感心せずにはいられないイヅルを見つめ、イヅルには紅い花なんかが似合うやろなあ。青でも白でもええけど。と笑った。イヅルは曖昧に笑んでいたが、あのように美しいものが我が身にあればどう思うのであろう、と誘われるような思いで下絵を眺めていた。

 気が付けば夕刻を過ぎ、切なげに光る紅い陽が花や龍を一つの色合いで染め上げている。夜になれば蒼く光るのであろうか、とイヅルはふと思った。
   



【後編(裏)へ】

*充分ご注意下さい。




□あとがき□
 この二人は出会いから書かなければ何が何だか…と思い出会いから書いてみれば、やはり長くなり過ぎて前後編に…すみません。(汗)
 続きは明日にでもUP致しますので、もし読んで下さる方がいらっしゃれば幸いです。

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