Doll of Deserting

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斬花:前編(偽善との共鳴余話:第三幕 日乱)

2006-02-25 02:27:30 | 偽善との共鳴(過去作品連載)
*日乱現世捏造編です。二人ともかなり性格が今と異なる上に夢みがちですので、充分ご注意下さい。
*前編~後編間は大人日番谷で進行しております。
*前編から後編に、後編からオマケへと飛べるようになっております。





 彼は、刀を振るう人であった。だからといって人を斬るでもなく―いや、場合によっては斬るのであるが―決して見境なく斬りつけるということはなかった。
 美しい髪の色は、どこから来たのかと聞いたこともある。すると、今度はあちらからならばお前の色はどうした、と聞き返される。あたしはああ、と頷いてから、曖昧にはぐらかした。
 刀の似合う人であった。刀というよりも、その鋭い切っ先がまるで彼のために造られたように舞うのである。 

  



 思えば不可解であったなと日番谷は思う。女は家を持たず、あるはずの名すら持たなかった。元よりとある呉服屋の長男坊が遠縁であり、二親が亡命した後そこで世話になっていたらしいが、その息子が後味の悪い死に方をしたために家を出ることとなったのだと女は話す。
 呉服屋では大した稼ぎにもならぬ下働きをしていたようである。しかしどうも女の口ぶりからすると、追い出されたわけではないらしい。むしろ伯母などは大変よくしてくれたのだが、昔馴染みの死した姿を目にした瞬間、わけも分からずに飛び出してきたのであると言う。
 その男に懸想していたのか、と、そう問うたこともあるが、女は容易くそうではないと答えた。ただ、男が独りではなく二人で死んでいるところを見て、安著したのやもしれぬし、恐ろしく思ったのやもしれぬと。孤独を絵に描いたような男が人と共に死したという事実を目の当たりにし、我を忘れてしまったのやもしれぬと、そう言う。
「男だか女だかあたしには見えませんでした。でもそんなことはどうでも良かった。絶対に独りきりで死ぬものと思っていたのに、そうでなかったことが奇跡だったんです。」
「…そうか。ところでお前、元々家があったんならどうして名がねえんだ?」
 なぜその話題から話を遠ざけようとしたのか、日番谷にも分からなかった。ただあまりに女が哀れな表情を向けながら唇を動かしているので、見ていられぬように思ったのかもしれない。しかし、女はその質問に対しても同じ顔をして笑んだので、不味かったかと日番谷は眉をひそめた。
「悪かった。」
「いえ、いいんです。…ただ、忘れているだけですから。」
 出てきた時の記憶もなければ、過去にどう呼ばれていたのかすら知らぬ女である。尋常な頭であるならば訝しく思うところであろう。けれども日番谷は、口を滑らせるかのように思わず言葉を紡いだ。
「それなら、うちで暫く暮らすか?」
 そもそも男女が二人きりで、ということを考える余裕などなく、日番谷からしてもそれは不思議な感覚であった。何事も裏まで推測した上で進めるのが常であるのに、どうしたことか、と。何にしろ、それが女の美しさによるものだと思いたくはなかった。





 隙間風が襖を抜け、女のうなじの辺りですう、と燃え尽きる。するとそれだけで日番谷は目を逸らしてしまうので、その度に女は訝しく思い、同時にくすりと苦笑を零した。日番谷は口を引き結んで不本意という風な表情を向けるが、濃い亜麻色の髪が紫電の着物を染め上げ、女が鋭い眼光で猫のように勝ち誇った笑みを見せると、眉を吊り上げて押し黙る。
「何でそうなんだ、お前は。」
「…何がですか?」
「男の性質を全て分かっているように見える。どういう仕草をして、どういう顔をすれば男が自分の方を向くか、知っているように見えんだよ。」
「嫌だ、何ですかそれ。」
 やめて下さいよ、と茶化すように笑うが、日番谷が強い視線で見据えると今度は女の方が押し黙った。すると日番谷はふとそ知らぬ振りをして視線を戻し、ぽつりと言い放つ。
「…お前、昔馴染みの男に拾われるまでは何をしてたんだ?」
「何も。両親を亡くしてからすぐに引き取られましたので。」
「…正直に話していいんだぞ。」
 日番谷が潜めるような声色で促すと、女は俯いて表情を翳らせた。亜麻色の髪が、暗がりに映え、けぶるように美しい。日番谷はその様を、先程とは異なった哀れむような瞳で一心に見つめている。女は暫くそうしていたが、視線に堪えられぬようになったのかおもむろに口を開いた。
「両親が亡くなった後、幼馴染のお家があたしを引き取ろうとして下さったんですけど…その頃には既にその…所謂廓とか、女郎屋とかいうところに売られてたんです。あたしの家、結構苦しかったから。だから幼馴染の家に身請け…と言っていいのか分かりませんけどされる前は、今お話した通りの場所で働いておりました。」
 すう、と、背筋に滑らかな悪寒が奔る。
 昔馴染みの母は生前の女の両親と大変親しく、自分の子のようなものであるからと女を引き取ろうとしたが、例え格子女郎であろうとも身請けには大層な財産が要る。下働きを幾らも抱える呉服屋とは言えど、資金を融通する期間が必要であった。けれども女は元よりの美しさと手腕で次第に売れてゆき、その間に大層な額を孕んだ女郎へと成長していたので、なお長い期間を有したのであると女は世間話をするような調子で語る。
「…お嫌ですか?」
 こんな話は、と続けた女に対し、日番谷は軽く首を横に振る。
「いや…悪かった。」
 その謝罪が一体何に向けたものであったのかは定かではない。詮索した彼女の過去にやもしれぬし、あるいはその話を挙げることにより、彼女の中の「幼馴染」を浅く呼び起こさせてしまったということに対してなのかもしれなかった。





 春に向かい忍ぶ気配を見せる霜の様子が窺えるが、未だ冬の粒子は幾つも辺りへと放たれている。今しがた任を終えた時分であるが、日番谷にしては珍しい類のものであった。日番谷の職といえば所謂よろずと表すのが正しい。よろずと言えども職種は限られているので、何でも屋というわけではないが、刀に関することならば大抵やる。
 時には鍛冶屋にもなるし、罪人を裁けと言われれば裁く。けれども時折受ける介錯の任は、決して後味の宜しいものではない。この時代、幾人殺めようともそれを罪と証明するものはなく、発覚することは僅かであった。
 当然役所などという正規の場所で日番谷を扱うようなことはない。日番谷を雇う先といえば、大抵が気位の高い裕福な商人である。中には細々と鍛冶を目当てに訪れる者もいるが、大概が豪奢な風体で現れては、用心棒やら何やらと好き勝手に申し付けて去ってゆく。
 仕事であるので用心棒などという依頼を断ることも出来ぬが、やはり本当のところは、本職である刀を扱いたいと常々望んでいる。けれども刀を振るう腕を見込まれ、その上で使われていることも確かではあるので、その点に文句はなかった。
けれども困りものなのは、時折訪れる非合法の客である。





 悪どい手を使い商業を営んでいる者も少なくはないが、そのため命を狙われることも常だ。けれども、生まれながらにして格式高い商家の嫡男とされ、生来より気位の高い者の中には、自分に危害を加えようとした罪人を役所などには任せておけぬとはた迷惑なことを口走る者もあった。
『是非この者に制裁を与えて頂きたい。』
 そのような人間は容易に言う。口と同様軽々しく目前を金の山で埋めながら、先日日番谷が捕らえ、あとは役所にでも突き出してくれと要求したはずの罪人を、どれ程拘禁していたのか背後に携えてお見えになった。
 積まれた金が非常に煩わしい。こんなものは黄金ではない。このようにさも豪奢である風な金は、黄金ではない。本物の亜麻色は既に見知っていた。他でもなくあの女の髪の色である。
『…お帰り願いましょう。』
『そう言わず、決して日番谷殿が罪人と明かされるような馬鹿は致しません。』
『そもそも罪人になるってのが性に合わないんでね。』
『これはこれは、結構な性をしていらっしゃる。』
 嘲るような素振りで袖を隠す仕草に些か眉をひそめ、再び『どうぞお引取り下さい』と促す。けれどもあちら側は全く退く様子がなく、むしろ先程よりもいきり立った風体である。男は、広い図体を踏ん反り返し、睨め付けながらいけ好かない口調で放った。
『…はて、日番谷殿に妻があるという話は伺っておりませぬが、そちらの女性は如何されましたかな。』
 はっと背後を振り返れば、客人に気付かなかったらしく女がさも申し訳なさげな表情を浮かべていた。日番谷は軽く女に頷き、いいから黙っていろと促す。
『…姉です。それ以外に何がございます。』
『ほほう、姉上殿。素性も知れぬ貴方様に、姉上殿、とな。』
『…生き別れであったのです。…何か?』
『いやいや、しかし…確たる証拠もなければ、さぞ悪評になりましょうな?質実剛健と名高いお侍殿が契りも交わさぬ女を連れ込んでいるとあっては…。』
 だらだらと聞き苦しい男の声に、ぎり、と口唇を噛み締める。男とて普段は廓やらで遊び呆けているのにも拘らず、米粒ばりに儚い他人の悪態を漁ることにかけては人一倍長けている。日番谷としてはどのような風聞を立てられようと構わぬと思うところだが、何分男には権力もあれば顔も広い。
 この男のことであるから、女の素性にも尾ひれはひれご丁寧に添えつけて広めてくれるに違いなかった。それは不味い、と日番谷は思う。日番谷は訝しげに瞳を上向けている女を一瞥してから、一度溜息を吐いて男に告げた。
『―…お受け致しましょう。』
『有難き幸せ。』
 掠れたような声音で覗き込まれた時の不快感は、今でもよく覚えている。日番谷はそれからじっと無言のまま顔を背けており、男が語っていた「段取り」というものの中身を少しも聞いていなかった。御託を並べたところでやることは変わらぬ。ただ殺めるだけだ。
 とにかく背後に佇む真の亜麻色と対比するように、目前に構えている品のない黄金色を打ち消したいとだけ考えていた。





 任を終えた後は容易い。罪悪感に浸ることもなし、達成感を抱くこともなしに、ただ喪失したような目で刀の血を拭うだけである。殺めた者の表情など覚えていない。誰しも殺められた時の姿など―とりわけ男ならば―記憶されたくはないと思うものであろう。それは死者に対するせめてもの手向けであった。
 浅瀬の脇に、日番谷は険しい表情で佇む。女は今も待っているであろう。夕餉の支度をしているか、あるいはそれを終えて適当に暇を潰しているか、どちらかだ。日番谷の帰りが遅い時には先に夕餉を済ませているのが常であるが、どうしたことか、日番谷が気乗りせぬ面持ちで任へと出かけた日には、食事をせずに待っている。殊勝というよりも、一重に勘が鋭いのだ。
(…暫く、と俺は言ったな。)
 暫くこの家で暮らさぬか、と。けれどもここを出て、どこへ行こうという当てもないような女である。いずれは日番谷の言葉通りに姿を消そうとするやもしれぬが、ならば、その前に。
(…何考えてんだ。)
 そのような想いを取り違えるような歳ではない。けれども、溺れるような歳でもない。日番谷は清めるようにして水に手を沈ませる。それはどこか、目を覚まそうとしているようでもあった。





 帰り際に鬼のような顔をした魚を拾った。釣ったのではなく、拾ったのである。足元にばたばたとちらつくものがあったので、何事かと目を凝らせばどうも魚のように見えるけれどもひどく美醜の意見が分かれるであろうというような生き物が、べたりと地に這い蹲っていた。見目からすると、どうやら鰍らしい。幼い頃に顔も覚えぬ母が日番谷に食べさせたことがあった。鰍の旬は秋であるし、そもそもここいらで釣れる魚ではないはずなのだが、元より捨て置かれた魚である。
 大概の人間が生きた姿の醜さに退くが、じっと眺めていると何やら愛嬌が見られ可愛らしいとも思う。少なくとも日番谷にとっては、一概に醜いとは言い表せぬ魚であった。それも鰍というものは、見目に反して非常に美味いのだ。
「くすんだ色をしていますね?」
 持ち帰ると、日番谷の手に提げられた魚を見て女が興味深そうな目をしながら言う。不快ではなさげであったので、ならば料理をしてくれと頼むと、今度はさも嫌そうに顔をしかめた。
「可哀想に。」
 そうは言えども、元より土手の辺りに打ち捨てられていたものである。それを喰らおうと考える自分も自分だが、既に息絶えた魚を手の中でぐったりとしな垂れさせながら哀れむのもどうしたことか。
「大体、誰が落としたか分からない魚なんでしょ?食べるのは止めましょうよ。危ないわ。」
「鰍は毒を持ってるわけじゃねえぞ?」
「あら、誰かが仕込んでいるかもしれないでしょう。それに冬獅郎さん、鰍っていうのは普通秋にいる魚だって言ったのはあなたじゃありませんか。」
「…まあ、近頃は冬にしては暑いが、春にしちゃ寒いからな。秋みてえな気候だから鰍がいても可笑しくねえんじゃねえか。」
「まあ、嘘ばっかり。」
 くすくすと指で口元を押さえ、女が笑い声を上げる。日番谷はぐっと押し黙るが、話の主題を見失ったような気がして口を開いた。
「お前は女だからな、気に入ったもんを哀れむのは分かるが…何でも可哀想可哀想言ってちゃどうにもならねえぞ。」
「あたしが魚を食べたくないんじゃないんですよ。あなたに食べさせたくないんです。心配だもの。」
「なら肉だけ剥いで、きっちり清めてくれ。肉にまで染み入るような毒はそうそうねえからな。」
「…仕方ありませんねえ…。」
 そうまでして食べたいものかしら、と女は魚をまじまじと見つめる。日番谷が鰍を喰らおうと考えたのは、美味いからというだけではない。記憶の中にある母の面立ちが蘇るようで、ふと懐かしく思ったのである。
 以前知人から、鰍は刺身が一番旨いと聞き受けていたのだが、女が生で食うことを許さなかったので、渋々焼くことにした。
 それを箸で突付きながら夕餉を堪能する。女の作った夕餉はとうに出来上がっていたのだが、鰍もそれらのつまとして一品加えてくれた。酒は呑まぬ主義であるが、何を思ったのか女が用意していたので、軽く傾ける。女はにこにこと笑いながら同じように杯を傾けていた。
「…お前が幼馴染の話をした時、同じだと思ったんだ。」
 普段は口にしない話題すらも、酒精に敗れぽつりと出てくる。
「同じ?」
「ああ―…俺も、最近昔馴染の女を亡くしたばかりだからな。」
「冬獅郎さんも?」
「馬鹿みてえに優しい女だったんだが…惚れた男の墓にもたれ掛かりながら死にやがった。」
「そうですか…ご愁傷様です。」
「いや…。」
 宿命というものは何と非道で、何と美しいものか。時を同じくして同じものを失った人間を、さり気ない場所にて邂逅させる宿命というものは、何と。けれどもこれが宿命であるならば、決して悪いものではないと日番谷は思った。
 




 仕事のない休日に、出かけようと思うのは珍しいことであった。他でもない女の私物を購入するためである。着物一枚身に付けただけの状態で拾ったものの、やはりそれだけでは足りないだろう。女ならば二、三枚あっても足りぬかもしれない。本来ならばとうの昔に行っておくつもりであったが、思うように暇がなく、随分と日が経った後となった。
 女が強請れば金だけ渡していくところだが、女は決して着物などを欲しがらない。否、強請らずとも、女は日番谷が金を渡そうとすれば常に拒む。日番谷が貧しいと思っているのか、もしくは遠慮しているのかは分からぬが、たった一枚の着物を日に一度必ず清めて着用していた。殊勝なもんだ、と日番谷は溜息を吐く。
「…本当にお前は行かないのか?」
「ええ、行ってらっしゃいまし。」
 買出しに参ると日番谷が言うと、女は待っていると答える。とはいえ女の好みなど理解出来ぬので、ここは付いて来て欲しいところなのだが、どうしてか日番谷は女に着物を買ってやるから付いて来いと言うことが出来なかった。
 以前一度街中で女が簪を熱心に見詰めていたので、買ってやろうかと言ってみたところ、女は執拗に拒んだ。おそらく色町で女郎をしていた時分、そのようなやり取りが頭に植わったままなのであろうと考え、それからは女に対して何か買ってやるという風な物言いをすることを避けた。
 するとふと思い付き、日番谷は出かける直前に尋ねる。
「なあ、お前色は何色が好きだ?」
「色…そうね、あたしは赤が好きです。」
「赤か。意外と女らしいな。」
「失礼ですねえ。意外とってなんですか、意外とって。」
 背後でむっとしたような声をあげる女を尻目に、日番谷は「分かった」と一言発し家を出る。赤という色に、蜜色をした灯篭の片鱗を思いながら。赤という色は、日番谷に廓のような印象を持たせた。けれども日番谷は、赤といえど出来るだけ派手でない着物を買ってやろうと思う。その方が女に似合うであろう、と。




 斬花:後編へ。

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