Deserting Dpll side under

 Deserting Dollの裏ページです。規約をご覧にならずにお越し頂いた方はお帰り願います。

鮮花:後編(偽善との共鳴余話 第二幕)

2005-10-29 19:22:59 | 過去作品群
*表にある「鮮花」の後編ですが、前編では公開されることのなかった勝手設定がかなり飛び交っております。むしろパラレルです。パラレルが苦手な方はご覧にならないようお願い致します。
*イヅルとギンが兄弟であるという設定や、刺青などを入れる表現などがありますので、ご注意下さい。
*管理人は刺青の知識などありませんので、おそらく何か間違いなどがあるかと存じますが、ご容赦下さると幸いです。(汗)
*死ネタ、心中などのネタがお嫌い、もしくは苦手と仰る方はご遠慮下さい。
*イヅルのご両親は景清さんとシヅカさんではございませんのでご安心下さい。念のため。









 やはり、と思った頃にはもう遅かった。イヅルは既にあの繊細な色に魅入られていたのである。気が付けばあの色、いやむしろギンが思い描いた艶やかしいあの絵を、この肌に纏うことが出来ればどんなに良いだろうかと、そればかりを考えていた。
(駄目だ、駄目だ、駄目だ…。)
 あの鋭い光に捕らわれてしまったら、自分はもう二度と闇のある世界には戻ることが出来なくなるかもしれない。そう思った。本来ならば光を選ぶべきなのであろうが、イヅルはむしろ闇に潜むことを望んでいるのである。目に眩しい光より、自分はまだ闇の中で安穏と息を潜めているべきなのである、と。
 それでもイヅルは、背にでも胸にでも構わぬから、あの刺青を肌に宿してみたかった。痛みを伴うことは知っていたが、あれを手に入れるための痛みならば厭わぬと思う。イヅルは既に理解していた。自分がどうしてもあの絵に拘る理由は、それを我が身に宿すことで、ギンをも手に入れた気になるからであるのだと、分かっているのである。
(浅ましい…。)
 自室の敷布に包まりながら、イヅルは自責の念に駆られた。あの指で、あの腕で、あの目に見られながら自分の身体に少しずつ鮮やかな色が掘り込まれていく様を想像すると、寒気がするほどに高ぶるのである。そのようなことを考えてしまう自分がひどくいやらしいもののように感じて、ふと恥ずかしさを覚えた。
(ごめんなさい、ごめんなさい…。)


(それでも、あの人が好きなんです。愛しているのです。)


 愛というものは、不確かなものの代名詞として古くから伝えられている。ギンはそれを知っているからこそ、イヅルに対する感情は決して愛ではないと言い聞かせてきた。しかし今になって、色恋ごとに冷め切って凍りつきそうな手足が、突如としていとおしくなってくる。今一度温かい湯で溶かされても良いかもしれぬという気になってくるので、必死に身を引き締めた。
 灯りも付けずに月明かりだけを頼りにしていると、背後から人がひたひたと近付いてくるのが分かった。年配であるようなのにも関わらず、その姿勢は真っ直ぐに凛としている。店の者も全て帰らせ、ここにはギンしか存在していない。ならばこのような時間に勝手に出入り出来る人間は一人しかいなかった。
「何ですやろ、こない遅うに。」
「ここ最近、あなたがあの子と常日頃会っているように思いましたもので。」
「それがどないしはりました?」
「分かっていらっしゃるでしょうね。あなたがあの子と他人などではないからこそ、必要以上に近付くなと申し上げたではございませんか。」
「分かっとりますよ。せやからボクは母方の店継いで大人しゅうしとるやありませんか。」
「そういうことではないのです。あの子に構うのはお止めなさい、と申しているのです。」
「相変わらず厳しいお方ですなあ。」
 ギンが茶化して言うと、老婦人はきっと鋭い視線を向けて踵を返した。最後にしっかりと一言、「今の言葉、胸に留めておくように」と念を押しながら。

(せやかて可愛らしい、子やもんなあ…。)
 見る度思う。女に感じられる艶やかさ、色っぽさとはまた違う、自然に出来上がった精巧さが見受けられるのである。純真に、ただただ優しく、自分を見る目に邪気が感じられるのである。それはギンにとって嫌に新鮮で、元々の容姿も手伝って一際可愛らしく見える。
「…イヅル。」
 呟くと、ふと筆を下ろす。ぽたりと墨の落ちる先には、新たに描き上げられた刺青の下絵があった。白く輝く大輪の葉牡丹に、紅く滲む慎ましい椿の花が揺れている。しかしそれらは一枚の絵ではなく、対となった二枚の絵であった。
(…これもまた、イヅルやな。)
 ふと思うと、ギンは艶やかな椿の花弁に唇を落とした。慈しむように、また消そうとしているかのように、そっと口付けを行う。はっとして唇を放すと、袖で墨のついた口唇を拭った。何やら居た堪れない気持ちになり、白い和紙をふわりと二枚の和紙に重ねた。


「今、何て言うた。」
「ですから、是非僕の身体に刺青を施して頂きたいと申し上げたのです。」
「あかん。絶対にあかん。」
 いつもは笑顔で言い分を取り計らうギンだが、この時ばかりは断じて許さぬと即答した。なぜかとイヅルが問うと、一度溜息を吐いてから答えが返って来る。
「あんなあ、イヅルの身体はまだ自分のもんいうわけやないんやで。家族もおるし、何よりお前の肌に墨彫るやなんてボクが嫌や。気分悪いわ。」
「でも…。」
 大層悲しそうな顔をしてイヅルが言うので、とにかく要件だけでも聞いてやろうとギンが肘を付く。憂い顔のイヅルの頬に手を伸ばしかけたが、やめた。
「せやかて、何でそんなん言い出すん。イヅルの身体はそのまんまが一番綺麗やのに。」
「…市丸さんの絵を、僕のものにしたかったんです。」
「…は?」
「お恥ずかしい話ですが、聴いて下さいますか。」
「うん、言うてみい。」
 やや俯き加減にイヅルが切り出す。おそらく顔は紅潮しているのであろう。下を向いている所為でよくは見えないことを少しばかり残念に思いながら、ギンは促した。
「僕は、あなたの絵を身に纏っていると、まるであなたに抱かれているかのような錯覚を覚えることが出来るのではないかと思ったのです。一刺し一刺し針が肌に食い込む度に、まるであなたに喰い尽くされているように思えるのではないかと、思ったのです。むしろあなたに飲み込まれても、殺されようといっこうに構いません。僕は、僕は…ぼく、は…―・」
 言葉が淫猥になるほどに、イヅルの声はか細くなっていく。その恥じらいがとても愛しいと思う。いつしか涙が流れ出ていたイヅルの頬を拭ってやると、背がびくりと震えた。するとあやすように、肩を抱いてやる。
「でもな、イヅル。それでもボクはお前の身体に傷付けたないんよ。」
「いいえ、いいえ…。どうかお願い致します。」
 それならばいっそ本当に抱いてやろうか、と言っても良かった。しかしそれを口にすれば、おそらく自分の中は全て崩壊するであろう。理性など霧の彼方に飛んでしまうに違いない。ギンはそれが恐ろしく、ただイヅルの肩を抱く腕を強めた。
「あなたが僕のことを大事にして下さっているのは嬉しいのです。しかし僕は、やはりあなたが思い描いてくれた『僕』をこの中に収めてやりたい。ここに帰してやりたいのです。」
 イヅルが自分の心臓の辺りを示しながら言う。ギンの中で温められてきた幻想の中の『イヅル』というものを、今度は真にギンを想う『イヅル』の中に帰してやりたい。それがイヅルの願いであった。ギンは不覚にも胸を打たれ、聞き入れて頂くまでここを離れませんとでも言い出したげなイヅルを一瞥してから、「分かった」と言った。



 冴え渡るのは空気の鳴る音ばかりで、部屋は静寂のみがうごめいている。ギンはイヅルの胸に指を這わせながら、針の間合いを取る。どちらにしろ今日だけで完成することは出来ない。色の白いイヅルの肌に白い葉牡丹は似合わぬのではないかと懸念されたが、下絵の色と照らし合わせてみればなかなか映える。どちらかといえばイヅルは椿の印象を持つ気がしたが、それはイヅルの希望であった。葉牡丹はギンの印象であるのだとイヅルが言うのである。
『自分を意識したと言われるものよりも、あなたを意識したものの方が愛しいと思いますから。』
 イヅルはそう言って再び頬を鮮やかな色に染める。しかしそれではイヅルの言い分は通らないのではないかと問うと、ギンが描いたものならば、と答える。微笑むイヅルの顔は、今までで最も美しいように思えた。

 
 一日、二日と彫り進み、気が付けば三月が過ぎていた。刺青というものは一日や二日で終わらせることの出来ないものであるということは知っていたが、ここまでかかるとも思わなかった。ギンによれば、短い時間で済ませるというのは相当な苦痛を伴うのだそうだ。それも一日一日と進められるものでもない。一日彫ればまた暫く日を置かなければならないのである。
 ギンもやはり一度は肌に針を入れることを躊躇ったが、イヅルがその手を促した。筋彫りだけでも大層な苦痛を強いられるというのに、色を入れる段階までイヅルは耐えられるのだろうか。そう思うと、手を止められずにはいられなかったのである。
 背景などは入れずに抜き彫りだけで済ますつもりであったので、筋彫りや太彫りにあまり時間はかからなかった。ただ、筋彫りの後には暫く湯殿に行くことが出来ないので、不審がられなかったかとギンが尋ねると、「祖母しかいませんし、熱があると言っておいたので大丈夫ですよ」と答えた。
 イヅルは、確かに筋彫りの時などは緊張し、それなりに痛みも覚えた。しかし慣れるとそれはあまり感じず、色を入れる時の方が凄まじいのかと思えばそうでもなかった。むしろ色を入れる段階の方が幾分楽であったかもしれない。流石に数日してから訪れる痒みには手を焼いたが。
 イヅルは胸の牡丹をなぞると、感無量であるといったような様子で顔を綻ばせた。ギンはそれを見て、悲しそうに笑った。それがなぜなのかは、イヅルにも分からなかった。



 そうして幾月かが過ぎ、とうとうイヅルの胸には淡い輪郭をした葉牡丹が咲いた。それは決しておどろおどろしいものではなく、至って上品な造りに仕上がっている。着物を着ていれば目立たず、着替えを人に手伝わせたこともないので、明らかになることはないであろうと思われた。イヅルはギンに馬鹿みたいに礼を言い続け、ギンを苦笑させた。
 ただイヅルが不審に思っていたのは、ギンがここ最近着物の襟を小まめに直すようになったことである。まるで胸に何かあるとでもいうかのように、きっちりと着物を纏っている。
「市丸さん、胸がどうかされましたか?」
 イヅルが問うと、ギンはああ、と思い出したように頷いてから、襟をぱさりと落とした。イヅルはそれを見て驚愕を隠せなかった。そこには、もう一枚の下絵であった対の椿が彫られていたからである。それはギンの下絵そのままに、繊細な輪郭を保っていた。
「それ…。」
「ボクの知り合いにな、えらい腕のええ彫師がおるんよ。せやからお揃いに彫ってもろうたん。」
「でも、市丸さん…。」
「消えへんやろなあ、一生。」
「分かっていらっしゃるのなら、そんなもの。」
「イヅル一人に傷残すの嫌やったんよ。それにな、これがあるからイヅルがボクのもんになったいうなら、ボクもイヅルのもんになったろう思うて。」
 イヅルの胸を差しながら笑うと、イヅルの目からは、既に涙が伝っていた。「ほんまによう泣く子やねえ」と言いながらギンはそれを拭ってやり、そのまま口付ける。胸の上で、花が揺れた。



 敷布の上で絶え間なく二輪の花がさざめく。イヅルを抱く間ギンは何度も唇を噛み締めたので、どうしたことかと思ってはいたのだ。しかしここまで来て、やはりそれが明らかになった。イヅルが嬌声を上げる度に、ギンが泣きそうな顔をするのである。なぜかと思いながら、イヅルは意識を保っていることが出来なかった。
「あ、あ…。」
「何でやろなあ、イヅル…。何で…。」
 ふと見上げれば、ギンがイヅルの首を絞め上げていた。苦痛に顔を歪めるが、ギンは尚も手の力を緩めようとはしない。ギンがこのような行為に及ぶのは、初めてのことであった。
「何でボクとお前の血が、同じもんなんやろなあ…。」
 イヅルが目を見開く。むしろその言葉にではなく、ギンの涙に動転したと言った方が正しかった。そして暫くそれを眺めた後、改めてギンの言葉を振り返り、絶望的な表情を浮かべた。
「え…。」
 掠れた声が、静寂の中で小さく響いた。



 話はこうである。イヅルの父は公家の出身であったが、ある時今のイヅルと同じように、家に通って着物を売りに来た呉服屋の娘を気に入り、そのまま恋に落ちた。しかしイヅルの祖母はそれを許さず、父は心中まで図ったそうであるが、それも失敗に終わった。その時の女が、ギンの母である。父は泣く泣くギンの母に大金だけを残し、女の営む呉服屋は高き門と言われるまでになったが、それでギンの母が喜ぶはずもなく、ギンが成長すると命を絶った。
 イヅルの父は自分の母を恨みつつ、別の女と婚姻を結んだ。それがイヅルの母である。イヅルの母は気立ても良く、自慢の嫁にはなったが、まだ父はギンの母への未練が消えないままであった。しかしそのまま妻と共に流行り病に倒れ、再度逢瀬を果たすこともなくこの世を去った。
 そして残されたイヅルとギンは、イヅルの祖母の企てにより、近付くことを許されなかった。ギンが呉服屋として吉良家に赴いたのは、イヅルの祖母に弟を一目見たいと頼み込んだからであるらしい。祖母は決して自分の素性を明かしてはならぬと念を押し、渋々屋敷に通したのであると。



 イヅルは、その事実よりもむしろギンの今の状態の方が悲しいように思えた。母と同じく吉良家に赴き、同性ならば懸想することもなかろうと弟に会ってみれば、また母と同じく吉良の人間と恋に落ちてしまった。そして今、その弟の首を絞め上げている。
「市丸さん、いいんですよ。」
「イヅル…?」
「殺して下さって、いいんですよ。」
 イヅルの顔は、凄艶であった。あの人によく似ている、とギンは思う。イヅルの祖母に、よく似ている。そう思うのは気が引けたが、しかし確かに凛とした美しさはあの老女のものと酷似していた。
 ギンは、そのまま手の力を強めようとしたが、ふと思い付いてイヅルに傍らに置かれていた護身用の短刀を差し出した。イヅルは朦朧とした意識の中それを受け取る。用途は分かっていた。この状況で何か行うとすれば、それは一つしかない。
 ギンがイヅルとの繋がりを解こうとすると、イヅルがそれを制した。せめて繋がったまま逝きたいと言うのである。しかしギンは、それを拒んだ。そんな繋がりよりも抱き合う方がまだ良い、と。そう言いながらイヅルの背を抱くようにして、首を絞める。意識を飛ばしそうになりながら、イヅルもギンの背を抱いた。


 それから間もなく、金糸から覗く首がかくりと垂れ、ギンの背からは胸の花と同じ色をした液体が流れ出した。互いの表情が一瞬恍惚としたように見えたが、すぐに安らかに笑みを浮かべる。


 翌朝になり、骸には浅い光が差し込んだ。昨晩帰らなかったイヅルを心配し、店の人間が訪れるより早く出向いたのはイヅルの祖母である。彼女は寄り添う死体に顔を背けたが、また顔をそちらにやると、おもむろに手を合わせた。彼女が何を思ったのかは、終ぞ定かではない。


 胸には鮮やかな花が綻び、朝焼けが血を更に紅く染め上げる。結局最後まで何かに捕らわれていたのは一体誰であったのか、今となっては知る者もいない。




□あとがき□
 アハハ書いていて痛いな。あまりにも痛いな。と思いましたので思い切って裏に。(汗)注意書きでも申しておりますが、景清さんとシヅカさんのお話ではございませんのでご安心下さいませ。(笑)というかギンイヅが死ななければならない理由が身分の差以外に見つからず…。(汗)
 本当は市丸さんの刺青を彫ってくれた彫師さんは剣ちゃんにしようかと思っていたのですが、そうするとむしろ連載の捏造秘話ではなく別のパラレルにしなければならなくなるのでやめておきました。(笑)