昨日の新川橋から河口方向の絵葉書です。当時は貸しボート屋が二軒ありそこそこ繁盛していたようです。
現在は川のほとりに降りるのは容易ではありませんが 護岸工事・橋の架け替え以前は橋の下へ普通に行くことが出来ました。ほぼ同じ場所からの撮影ですが高度が多少異なるのは現在の画は橋の上からです。絵葉書は若干それよりも低い位置からのものと想われます。
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護岸工事がされる前の新川風景です。
子供の頃は「新川」と呼ばれておりました。いつの間にか「清水川」と名を変え掛かっていた橋も先日気づいたら「御宿橋}となっておりました。必要に迫られての名称変更とは思えません。
その「御宿橋」の上から の撮影です。 . . . 本文を読む
A-5、小山をかすめてカップイン。3099!。
A-9を惜しいところで外してBコースへ。
B-1、ニアピン。B-2、ニアピン。B-3、ニアピン。
B-4 現状ではもっともホールインワンが出やすいホールです。慎重に構えてティショット。...........................................................カップ正面から....金属音。4 . . . 本文を読む
浦中海岸です。岩和田の漁船と同時代の絵葉書です。
漁船に積まれているのは「カジメ」コンブ目の海藻です。昭和の中ごろまでヨードチンキなどの薬品の原料とするために採られておりました。
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漁港が出来る前の岩和田の海岸です。漁港が無いことから昭和以前の絵葉書です。
漁船は「一丁漕ぎ」と呼ばれていた艪船です。 竜骨を持たない船底がフラットな桶のような構造です。砂浜からの出入りは容易です。
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まだ漁港が出来る前の戦前の絵葉書です。
船はこの時代の漁船では大きい方に入ると思います。内燃機関の動力が着いているかどうかは不明です。和船でも竜骨があるように見えます。
船の有る場所は現在の中央海水浴場です。左側に清水川河口が写っております。現在の河口は人為的に岩和田よりに切られておりますが本来の流れは海水浴場の真ん中あたりです。
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岩和田メキシコ塔付近からの風景です。
撮影当時(戦後と想われます。)はまだ車両で登る事はできませんでした。現在の登山口と反対側にあるやっと一人が通れるような 杣道(たぶん塔の工事用に造られた。)から登りました。
月の沙漠記念館前を走る舗装路は昭和50年以降に出来たものでこの絵葉書には写ってません。
メキシコ塔駐車場からの撮影です。
樹木が生い茂り通常ではこの風景を . . . 本文を読む