ぽせいどんの今日の一枚 +

写真とかCGとかを気ままに + DIY

パラオ共和国(ベラウ共和国) 1993年  その2

2021-08-02 12:41:23 | 写真 海

 PALAU

 十七時三十分 (時差無し) 石貨の島ヤップを経由してパラオ空港に無事到着。
 空港は滑走路以外は建物が一棟だけ。平屋。入国手続きは非常に簡単。有って無きが如し。
 パスポートにスタンプ。隣室へ。
 高い天井。その壁一面にペイント画。『ようこそパラオえ』(原文のまま)の文字に思わず笑みが。
 ここで荷物を受け取るのだがベルトコンベアなんてしゃれた物は無い。
 待つことしばし、トラックが荷物を満載して入って来た。
 私の布製のキャリーバッグが潰れていた。(帰国後プロテックスを発注)
 税関。殆どチェック無し。
 アルミバッグを指さし「camera?」
 「イエース」蓋を開いて見せた。
 「What?」ミニ三脚を指さした。これはケースに入れておくと必ずチェックされる。
 何しろ収納状態は拳銃そのものである。
 毎度のことである。入国の儀式のようなものである。
 最近はけっこう楽しみにさえなっていた。
 ケースから取り出し脚を開いて使用状態にする。
 「ジス イズ トライポッド フォー キャメラ・・・・・・アンダースタンド?」
 これで他の物はほぼノーチェック。



 辰也にやや遅れてゲートをくぐった。
 空港待合室。
 辰也がよく日焼けした娘(当然日本人。辰也の英会話能力は私以上に凄まじい)と話している。
 この酋長の娘はレイをたくさん抱えていた。なかなか可愛い娘だ。笑顔がいい。
 タイプだ。レイを掛けてくれて歓迎のキッスのひとつでもしてくれたら二十万の旅行費用も決して高くは無い!。
 だが残念ことに酋長の娘は他の旅行社だった。※酋長の娘 → ♪私のラバさん。
 出迎えを捜す。旗でも揚げてくれていたら判りやすいのだがそんなものは一切ない。
 ごったがえしていて誰がそれか識別不能だ。
 「バッグに旅行社のタグを着けているから向こうで見つけるさ」と言い、辰也に荷を預けて小用。

 建物から出て送迎用の車をチェック。予約したダイビングサービスのステッカーを貼ったマイクロバスが見つかった。だが誰もいない。

 辰也が身長150cmに満たない女と話している。
 『これが出迎え?』どう視ても子供だ。
 「ぽせいどんさんですか?」
 「はい、そうです」
 「いままで何本くらい潜りましたか?」お決まりのチェックだ、
 「三本くらいかな」
 「・・・・・?」『御冗談を』と言うような顔をした。
 「三十本くらいかな」子供がバインダーに閉じられた用紙に書き込んだ。
 「何処かご希望のポイントがございますか?」
 「初めてのところですからね。そちらにお任せいたします」
 「分かりました。ここでもう暫くお待ちください」
 「車で待っていてはいけませんか?」
 「すみません。ここでお待ちください」子供は次の客を目指してゲイトに向かった。

 執念のモルディブオバサンが目の前を歩いて行く。
 向こうも気が付いた。誘われてバーカウンターへ。
 ・・・・・・
 烏龍茶は95¢。2$出した。ダイムが一枚返って来た。それをカウンターに残して辰也のところへ。
 「おい、ピグモンは?」
 「何ですか?それ」
 「名前を知らないから特徴で呼ぶしかないだろう」
 ※ピグモン ウルトラマンシリーズに登場したミニ怪獣 ウルトラQのガラモンを流用

 辰也が指さす方向へ歩いた。人垣の中に埋もれてピグモンがいた。
 酋長の娘と話している。ついつい二人を見比べてしまう。
 「ちょっといいですか?」
 「なんでしょうか?」
 「ダイビングボートは何フィートくらいですか?」
 「・・・・・・?」
 「一フィート、約30cm・・・メートルでいいですよ」
 「?・・・十四人乗りですけど」
 「オープンデッキかな?。走行中にスプレーを浴びますか?」
 「波があるところでは、かなり」
 ニコンF4を持って行くには充分な対策が必要だ。(この時はネクサスのハウジングはまだ持っていなかった)
 
 待つこと約一時間。ピグモンが一団を引き連れて移動を始めた。
 我々に声を掛けることを忘れている。荷を曳いてゆっくりと後を追った。
 ピグモンはワンボックスカーに荷を積み込んでいた。声を掛けた。
 「すみませーん」やっと気づいたようだ。
 「すみません、 こちらで行ってください」器材運搬車だ。
 「僕らは一番最初に来たのに」
 「すみません」我々は助手席に誘われた。
 「誰が運転するの?」
 「私が・・・」
 「免許持ってるの?」
 「日本の免許でいいんですよ」
 「ぺダルに足が届く?」
 「大丈夫ですよ」ピグモンはバスの後を追って車を走らせた。
 「こちらは長いの?」
 「一年くらいですね」
 「いくつ?」悪い癖がでた。
 「こう見えても二十九なんですよ」
 「えっー!嘘だろう。子供料金で電車に乗れるように見えるぞ」
 「そんなことありませんよ」
 「また見栄をはって。でも本当にその歳ならば早く嫁に行けと親がうるさくないか?」
 「もう諦めてるみたいですね」

 ※ 教訓 人並みの人生を歩みたい方はダイバーになってはいけない。自戒を含めて。

 車は空港のあるパラオ本島から首都のあるコロール島へ。


 二つの島を繋ぐのはKBブリッジ ※検索
(この三年後崩落。原因はK国建設会社の手抜き工事。現在の橋は日本の無償援助で鹿島建設により再建)
 


 パラオホテル 四階建て(写真では三階建てに見えるが裏へ廻ると四階建て)

 フロントは二階にあった。チェックインを済ませて四階へ。
 エレベーターは無い。ダイビング器材が重い。
 先を歩いて行く後ろ姿。若い大柄な女。振り返った。そこそこに可愛い。
 415号室。バッグを置いて室内を見回す。スペースは日本のシティホテルと同等かやや広いくらい。
 設備は一応揃っているようだが・・・・・・?。
 日高到着。バッグを一つ置き再び階下へ。
 『荷を残してきたのか?』と思ったらすぐにドアが開いた。
 フィリピン人のポーターがダイビングバッグを担いで立っていた。
 そのまま部屋を縦断。ゆっくりと窓際迄それを運ぶ。
 「辰也、チップ」目配せをしながら小声でささやいた。
 辰也はもたもたしている。
 ポーターは自ら要求はしなかった。が、バッグを担いでいるときよりもドアへ向かう歩みはさらにゆっくりだった。
 呼び止めた。(一応英語で)1$紙幣を二つ折りにして渡す。
 「渡さなきゃいけないと思ったのですが、タイミングが掴めないのですよね」
 「すぐになれるさ」

 サンヨー製のクーラー(エアコンに非ず。暖房は不要だろう)のスイッチを入れた。かなり騒々しい。
 冷気は取りあえず出て来る。多くは望むまい。
 バスルーム。バスタブが少々小さい。私の身長では辛いものがある。
 サッーと汗を流した。
 「テレビ、何にも映りませんよ」辰也がチャンネルを廻しながら言った。
 ただの飾りか?。電話も同様だった。
 タオルを腰に巻いたままコンセントを 調べた。日本と変わらない。
 バッグから電気ポットを取り出して湯を沸かす。即席のコーンスープ。妹のよこしたパンで夜食。

 格安ツアーでパラオを訪れる方に。次の物を持って行くと便利である。
 電気ポット。(日本の電気製品はそのまま使用可)カップ、箸、缶切り、ナイフなどの食器。
 到着が深夜便なら簡単な夜食。その他珈琲・紅茶・マグカップヌードルなど。
 ※1993年当時の状況です。

 四月八日   


 早朝。晴天。テラスに出た。周囲を見回す。道を挟んで三階建てのマーケット。コロールの三越か高島屋と言ったところか。


 遥か彼方に海が視えた。
 「オーシャンビューです」旅行社が言っていたことを思い出した。
 だが我が家はオーシャンフロントだ。
 珈琲、昨夜の残りのパンで簡単な朝食。
 ダイビングサービスの車が来るまでにはまだ時間がある。
 マーケットがオープン。ミネラルウォーターを求めて徘徊。

  ダイビングサービスのバスがコロールのメインストリートを走る。
 車窓の向こうの風景は三昔前の日本の田舎。
 首都と言っても高層建築は皆無。それどころか人家さえも疎らである。

 十分ほどでマリーナへ到着。と、言ってもただの岸壁。
 ヤマハの平形漁船(推定三十フィート)が三艇舫ってある。全くのオープンだ。北緯七度の日差しがきつそうだ。
 エンジンは推奨馬力を遥かに超える百五十馬力の船外機(ヤナハ製)二機がけである。

 バスを降りた客はここで三班に振り分けられた。我々は一番手前の艇だった。
 たぶんビギナーコースだろう。だからと言って私に不満は無い。
 カメラを持つ身にとっては条件が緩やかな方が撮影に専念できる。
 おまけにこんな艇には往々にして若い(美しいかどうかは確率の問題)女性が乗り込むことが多い。
 艇の上が華やぐことが少なくない。
 『ほら、四人も乗り込んで来た』
 一人は長身、瘦せ型。二十代半ば頃か?。フィジーのロゴの入ったキャップを被っている。
 その隣は丸ポチャ。フィジーよりもやや若そう。
 もう一人痩せ型。表情がやや硬い。残った一人は中肉中背、極平均的な女の子。二人とも二十代前半か。
 『辰也!。涎!』

 つ づ く

 


 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。