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水戸・歴史に学ぶ会

水戸を中心に歴史を訪ね、学んだことを講演会や文章にしています。会の主旨は、歴史に学びそれを今に生かし将来に伝える事です。

山川菊栄 -青山家の女性たち―

2023-03-23 07:15:14 | 日記

3月19日(日)、那珂市のふれあいセンターごだいで会代表の齋藤郁子が講演しました。
今回は、5年前に「時代に輝いた女性たち」として展示発表をした内の「水戸藩学者 青山家」の女性を紹介しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 菊栄の母
 青山家は水戸藩の『大日本史』の編纂や弘道館の教授を務めた学者一家で、人間関係は「人物関係図」に示した通りです。
 菊栄の母は青山千世、その夫君は森田龍之介です。夫竜之助は事業に忙しく千世が家を支えていました。
 千世は言葉や動作に厳しく、子供たち皆に茶の湯を、長男と長女に論語の素読を教授しました。
 家計の補いとして娘菊栄と筆耕の内職をすることもありました。それが文筆家となる基礎を作ったといえます。
 兄弟姉妹は、た同じ本を読んでは互いに遠慮なく議論を重ねていったことも、物事を突き詰め、論理的に考えていく性格を育んだといえます。

2 菊栄
 18歳で津田塾入学しますが、入学試験の課題「抱負」に「婦人解放のために働く」と書いたことは、生涯ぶれることはありませんでした。
 26歳で山川均と結婚。
 夫君と『社会主義研究』を発行して、婦人及び下層社会への視点を深めて行きます。
 特に、不遇な犠牲的存在であった婦人の解放に留意し、その中の一つ廃娼論者として、根本解決には先ず貧困の問題解決が必要であると言及しました。

 戦後は、その功績をGHQも認めて労働省婦人少年局初代局長に任命しました。
 退任後はフランスやイタリアなど欧州を訪問し、婦人及び青少年の人権擁護に力を尽くすことになります。

 弱者へ目を向けた社会主義者であり、権力に抵抗する姿勢を示していたこと、歯に衣着せぬ言論から誤解されがちでしたが、皇室反対者ではありませんでした。
 著書の『武家の女性』『女二代の記』『覚書 幕末の水戸藩』は有名で、多くの人々に読まれています。

 その時々に輝いた素晴らしい人がたくさんいます。
 「輝く」のは、自分次第ではないでしょうか。

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