水戸歴史に学ぶ会

水戸を中心に茨城県内外の史跡及び歴史事象を訪ね、調べた結果を講演会や文章にしています。ときには史跡の整備もしています。

多摩・武蔵野御陵参拝と八王子城跡・水戸藩附家老中山家を訪ねて

2022-09-02 12:10:03 | 日記

8月24日(水)、総勢38名で武蔵国を訪ねました。国木田独歩の『武蔵野』『日の出』を導入として、今でもわずかに残るであろう武蔵野の面影を想像しながら旅路を進みます。

御陵参拝
大正天皇と貞明皇后両陛下の多摩御陵と隣接する昭和天皇と香淳皇后両陛下の武蔵野御陵を参拝しました。当会は、先にさきたま古墳群の稲荷山古墳から出土して金文字象嵌の鉄剣と建国の理想に関しての講座を開催し、御歴代の天皇が「民安かれ」「国平かなれ」の祈りの下、日本の統治に当たられたことを学んだ機会にと企画したものです。

 

昭和天皇の御製

  わが庭の宮居に祀る神々に 世の平らぎをいのる朝々(昭和50年)

  たのもしく夜はあけそめぬ水戸の町 打つ槌の音も高く聞こえて(昭和22年)

 

八王子城「御主殿」跡
後北条氏の北条氏照の館跡です。本丸は背後の山頂に築かれていますが、根小屋に当たるこの地に居住する「主殿」を構えていました。戦国時代に石垣を持つ城郭は珍しいもので、それらを含めてよく復元されていました。

徳川家康が、「北条氏の最後は武田氏の場合と違う、家臣は最後まで裏切らずに運命を共にした。日頃の政治力、教育力の違いだ。我々もこれに学ばなければならない」と感嘆したことでした。家康は、この八王子衆を水戸藩の家臣団に据えていきます。

 

高麗神社(日高市)
朝鮮半島の高句麗が新羅に滅ぼされたことにより、高麗人が日本に渡来しました。大和朝廷は、これらの人々を武蔵国に向け「高麗郡」と称して未開地の開拓に当たらせました。郡民はその指導者若光を祭神とする高麗神社を創建したのです。水戸藩の附家老となる中山家も崇敬者の一人です。

当日は、この神明館で中山家に関する特別展があり、高萩市が作成した木造中山信吉座像も展示されていました。会場では紙芝居「中山信吉」を鑑賞しました。

 

智観寺(飯能市)
中山氏の祖、丹治武信が9世紀に創建した菩提寺です。中山信吉は中山武信の次男で、その墓は高い塚上に五輪塔が据えられています。境内に歴代の当主がほぼ夫妻で葬られいます。近くにある能仁寺は、中山家本家の菩提寺です。中山信吉は、水戸藩の初代藩主徳川頼房の教育係も務め、また光圀の英邁さを見抜き二代藩主に推薦したことでも知られています。

信吉の子信正は水戸藩の松岡(高萩市)に屋敷を構えますが、水戸の屋敷は北三の丸に置かれました。信正の墓は、保和苑(水戸市末広町)の一角にあります。

 

車中での最後に、昭和天皇の侍従であった木下道雄氏著『宮中見聞録』の「鹿児島湾上の聖なる夜景」を通して、天皇と国民の在り方を学びながら帰宅の途につきました。

 

 

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