と書けば、自ずと判る「日本航空123便墜落事故」の話ですが、あの事故からもう25年も経つのですね・・・。
私はあの時、中学3年生で、現在だと東武東上線のふじみ野駅の方にある従兄の家に遊びに行っていて、テレビのニュース速報で知り、ずっとニュース速報を見続けていたのを覚えています。そして、この大事故では面識がないものの私の知人の知人が2名亡くなっています。うち1人は私の同級生の父親、そして、もう1人は私の弟の同級生だった美谷島健君でした。私の心の師・・・とまでは言えない不肖・宮嶋の本にも、社カメ時代にこの事故に遭遇して陸路で現地へ取材に入って見た凄惨な現場を、あえて何時もの軽妙な書きぶりで書かれており、読めば読む程凄惨な現場であったと想像出来ます。
あれから四半世紀経ち、当の自分が仕事のために飛行機でガンガン移動するようになったものの、やはりあの事故のイメージは強烈です。頭の中では、もうあの様なことは起きないと思うものの、大揺れする時などはやはり不安になる時があります。何時も乗るのは全日空で、当の日本航空は経営再建中ではありますが、その他の航空会社を含めて、この事故のことは決して忘れないで欲しい、と言うのが当時を知っている私の願いです。
何はともあれ、あの事故で亡くなられた520名の方々には改めてお悔やみ申し上げます。