セツルメント活動や労働運動で有名な賀川豊彦は、幼児教育にも熱心に取り組んだ。とくに自然教育は本格的なものだった。具体的にどういうふうに教えていたかはわからないが、教材として手作りでつくった植物の模型、星座カルタ、科学将棋などが、松沢幼稚園と同じ敷地にある資料館に展示されていた。 . . . 本文を読む
いまから90年前の東京は区が15しかなく、千駄ヶ谷や渋谷、目黒や品川は郡部だった。しかしその狭い東京市のなかに寄席は150以上あった。21世紀の現在、寄席は国立演芸場を入れても5つしかない。国立演芸場演芸資料展示室で「東京の寄席」を見た。 . . . 本文を読む
いまでは人口70万人、世田谷に次ぎ人口2位の住宅都市練馬。練馬というと練馬大根が有名な伝統的農村社会だったが、住宅地への変身は意外に早く大正末期に向山や大泉の開発から始まった。 . . . 本文を読む
「ゲゲゲの鬼太郎」「魔法使いサリー」「マジンガーZ」「ドラゴンボール」「美少女戦士セーラームーン」などテレビアニメのヒット作を50年にわたり量産し続けた業界最大手企業のギャラリーが練馬区大泉にある。もちろん子どもも楽しめるが、詳細なアニメ年表や圧倒される物量のフィギュアなど、貴重な資料も数多く展示されている。 . . . 本文を読む
酷暑の午後、立命館大学国際平和ミュージアムを訪れた。常設展示室だけで1200点もの資料が展示されている。それぞれの資料にはポイントをついた解説が付いている。戦争と平和という重いテーマの博物館なので、スペース以上に疲れる。しかし充実した展示だった。 . . . 本文を読む
日本の資本主義の父、渋沢栄一は実業家であり社会事業家だが、民間外交の面でも大活躍した。大正末期、満洲問題や日本人移民をめぐりアメリカ国内の反日感情が高まるなか、太平洋会議に出席したり、日本太平洋問題調査会を設置して奔走した。さらに日本国際連盟協会会長としてラジオ演説まで行った。そのとき栄一はすでに88歳だった。 . . . 本文を読む
紙の歴史を目でみられる博物館が王子にある。彩色が美しいパピルスやパーチメント(皮紙)、日本各地の地場産業だった手すき和紙、洋紙の大量供給で可能になった新聞や雑誌の普及、欧米に逆輸出された装飾的な壁装材・金唐革紙など、興味は尽きなかった。
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今年4月、神戸の賀川記念館・ミュージアムがオープンした。賀川の足跡と社会事業について、写真、劇画、DVDなどビジュアルな展示にも重点を置いて紹介する資料館である。1921年7月10日の3万7000人のデモの映像も見られる。7月末には陸軍の一個大隊が出動し警官の抜刀で負傷者も出た。すさまじい闘争だ。この三菱・川崎の争議は戦前最大規模だったそうだ。 . . . 本文を読む
駒場の閑静な住宅街に、白壁の蔵のような日本民藝館が建つ。民芸運動の創始者、柳宗悦が70年以上前につくった美術館である。今年は柳の没後50年の節目の年に当たり、朝鮮陶磁の特別展を開催していた。民藝館の向かいには大谷石の屋根をもつ長屋門のある旧宅が残っている。庭のシダレザクラとハナニラの白い花が美しかった。 . . . 本文を読む
旧加賀藩主前田本家16代当主が1929年に建てた邸宅が公開されている。延床面積2930平方メートル(880坪)チューダー様式の洋館でどの部屋にも暖炉がある。当時の室内写真も展示されており、使用人が100人もいた戦前の侯爵の生活がかいま見える。 . . . 本文を読む
今年は韓国併合100年の年である。昭和のくらし博物館で企画展「在日のくらし ポッタリひとつで海を越えて」が開催されている。規模は小さいが、衣・食・住、冠婚葬祭、お産など具体的な生活の場で使われた数々の道具が展示されていた。2年間勉強会を続けた成果という企画展なので、説明パネルや解説書が非常に充実していた。 . . . 本文を読む
駒場の日本近代文学館で32人の作家の原稿(レプリカ)をみた。読みやすい楷書の字、達筆の字、金釘流の字などさまざまで「書は人なり」を実感できた。驚いたのは、太宰治と三島由紀夫の原稿が瓜二つだったことだ。 . . . 本文を読む
竹橋の近代美術館コレクション展には、岸田劉生の「切通」や「麗子肖像」、萬鉄五郎「裸体美人」、福田平八郎 「雨」、藤田嗣治「五人の裸婦」など、教科書に出ているような名作がゴロゴロ展示されている。またその作家の作品のなかで完成度が高い作品が選りすぐられている。半日ではとても見切れなかった。 . . . 本文を読む
男鹿和雄は、スタジオジブリの「となりのトトロ」「おもひでぽろぽろ」「もののけ姫」などの美術監督として背景画の美術を担当した。展覧会で作品を時系列で見ると、男鹿が描いた森や雲や田んぼや木造校舎が、ジブリのアニメの特徴となっていることがよくわかる。とりわけ朝・昼・夜といった時間や季節の違いによる緑の微妙な変化がみごとで絵職人と呼ばれる理由がわかった。 . . . 本文を読む
秩父宮記念スポーツ博物館には、オリンピックや日本のスポーツの歴史がわかる多くの展示品が陳列されている。戦前の「体力章検定」というPR映画が上映され、青年たちが「国防競技」の手榴弾投擲をやっていた。奥の間には秩父宮の遺品室がある。スポーツは容易に国家に取り込まれ、体力は国家管理されうること、そして皇室とスポーツの親密度が高いことが「一目」でわかるという意味で、価値の高い博物館である。 . . . 本文を読む