思い出す、1989年のクリスマス明け、音楽の師匠と、初めてのライブ(トイドールズ)に行ったのだった... たしかその後大晦日まで都内etc.をフラフラしてて(パンク気取りを繰り返し。。)、そのころ大晦日山手線一周歩け歩けに参加してた母は「ルルがそこらへんにいるんじゃないか...」と想いながら(探しながら)、山手線の周りを歩いてたらしいです。。。(/_;) 類似エピソード=「娘のお誕生日にケーキを買って帰ったら、娘は居なかった」お父さん談 (親不孝な娘でほんとごめんなさい。。 ほんとこれからも精一杯罪滅ぼししよう。。。)
師匠が編集テープに入れてくれて、初めて聴いたトイドールズの曲She Goes To Finos キュアーのDO THE HANSA~~♪♪も一緒に入ってた
Toy Dolls - She Goes To Finos
タバコ(銘柄ヴォーグ)の箱にオルガのサインもらってそれを勝手に捨てられて(そりゃ母から観れば普通にゴミに見えるか。。)烈火の如く怒ったり。。 しょーもない馬鹿娘
そういえば、トイドールズのG&Vo.オルガ(本名マイケル・アルガーさん ...「マイケルアルガーさんいますか??」って師匠と新橋第一ホテルに泊まってると目星を付けてひじょうに無邪気に押し掛けたことがある。。(たしか1990年の年明け...)←愚行 イヤ、そんなことはそのとき限りです。。逢えなかったし。。 ...新橋第一ホテルのパウダールームで師匠とマリークヮントの赤のマスカラをつけあいっこしたり、レストランでパサパサのサンドイッチ食べたり、その後朝まで師匠と新橋のドトールに居座って、店を出て朝の新橋を歩いたら、カラスがたくさんいたなぁ...)、東日本大震災が起こってしまったことを受けて、たびたびライブに訪れた日本を心配して心を痛めてコメントを出してくれて、その言葉に四月頃じーーんとしました...(/_;)(そのコメント今なぜか文字化けしてるのでまた今度貼付けます)
美女たちの神話 (講談社文庫)森 瑶子講談社このアイテムの詳細を見る |
↑夜寝る前にふとんの中でよく読んだりしてた・・・
ヴィヴィアン・リー、イングリット・バーグマン、グレース・ケリー、マレーネ・ディートリヒ、マリリン・モンロー、ジャクリーン・ケネディ、フランソワーズ・サガン、エディット・ピアフ、マリア・カラス、そしてココ・シャネル・・・
彼女たちの人生を妄想力豊かに?小説仕立てで描いてます☆
明日はダンナさんのお母さまにお会いするので、お母さまの今までの人生がどうだったかとかも、教えていただいたりしてきますわ
モンシロチョウ、モンキチョウ、アゲハチョウ、カラスアゲハ、ミツバチ・・・。
蝶が舞う姿は、ひらひらと可愛らしいです。
夢中になって虫取りをしていたら、いつのまにか夕方になってしまった・・・(T_T)
いそいで図書館に行きました。
カードを作り、目的のものを探す・・・。・・・貸し出し中・・・。
余裕を持って行かないと、気が焦って調子が悪くなるので、ゆっくりいろいろ見るのは、また今度にしようと思いました。
DVD視聴コーナーで女の子が映画を見ていました。その映像に覚えがあったので、記憶を辿ってみると・・・、
「この森で、天使はバスを降りた」でした。
ダンナさまが帰ってくるまで、急いで掃除をして、片付けをする・・・。
バレンタインデーに作ったチーズ入りメンチカツがとても好評で、夕食にリクエストされたのだけど、なぜか前よりも時間がかかってしまった・・・(T_T)
でも、ダンナさま、美味しいって言ってくれたから、良しとするか!
ダンナさまは帰りに新しいウィスキー、“ザ・グレンリベット”を買ってきました。
この森で、天使はバスを降りたワーナー・ホーム・ビデオこのアイテムの詳細を見る |
経営不振でほうりだされたブロイラーの廃墟の中で暮らす野良犬。
その犬の告白文としての物語。
第二次世界大戦を目前にしたベルリンでの話。
なぜ僕がここに居るか。
ユダヤ人資産家の飼い犬だった、〈僕〉はナチスによるユダヤ人狩りの厳しくなる中、アメリカに亡命した資産家の青年に捨てられ、野良犬となった。
犬同士は、遠吠えにより、コンタクトを取り合っており、当然、ナチズムとしての犬、資産家としての犬など、いろいろな思想を持つ犬がいる。
野良犬となった〈僕〉は、ナチスの犬に追われるが、恐慌の中、いらだった人間たちに、ユダヤ犬、ナチ犬かかわらず、“犬のように”殺されていく。
ー本編ー
僕は、その犬を知っていた。ナチ犬たちの「明日は我がもの」の大合唱の中、小さくだが、僕の耳に届いた遠吠えがあった。(団体に属さない、個人としての遠吠えと言うのもある。)
いかにも潔癖そうな、キンと張りつめた声で、歌っていた。
「私は誰の子供も生みたくないの。異犬でも同犬でも同じく。かならず悪魔が生まれるから。私は私として死んでゆきたい。」
口火をきったのがこの犬だった。最初はかすかで、澄んだ歌声だった。
最後には大合唱になっていた。
《メス犬の昔話》
「私はアルコール中毒犬で、詩犬だったわ。それ以外の存在ではなかったし、なりたくもなかった。」
僕たちは何も生み出さないだろう、生み出す可能性があるにもかかわらず、自分たちの意志で。
アルコール中毒犬がかすかな声で「明日は我がもの」を歌っていた。
「最初は、その歌も、君のような純粋で、潔癖な個人が歌い始めたんだろうね。」
《CAST》
ユダヤ犬・・・男色犬。夢想を描く、哲学犬。
アルコール中毒犬・・・メス犬。詩犬。目の周りが真黒にふちどられて
いる。
まるで、えぞいたちのマフラーを首に巻いてるようないでたち。
そうとうの美犬。
「こんなに立派にみえる毛皮だって、水をかければぺちゃんこになっちゃうでしょ。この妙な着ぐるみの中で、本当の私は痩せ細っちゃってるのよ。」
「私の飼い主は、アメリカ人だったわ。キャバレーのショウガールをやっていたの。」
アメリカに旅立った主人を追う手がかりもなく、この廃墟の中で、彼との思い出を反芻しつつ生きていかなければならないのか?
僕はすっかりまいってしまった。
“犬らしく” 耳を後ろにぺちゃんと倒し、おなかを冷たい地面にぺったりとつけて、前足に頭をのせて、悲しげにキュウキュウと鳴いてみた。
僕には もはや回想しか残されていない。
そもそも、僕はどこに生まれたんだ。
単にユダヤ人である主人を持っていただけじゃないか。
「みんな、私の美しい毛皮を見ては、殺すのを躊躇したわ。」
それなら、君は、こんな廃墟の中に逃げ込む必要もなく、どこぞの飼い主にでも飼ってもらって、生き抜けたかもしれないじゃないか。
「誰の子供も生みたくない。それに私は一応主人を愛していたからね。どこにも帰化するつもりはない。」
なんてことはない。僕たちは主人に捨てられた哀れな野良犬じゃないか。
結局僕は、主人を愛している限り、ユダヤ人の飼い犬としての原罪を背負いつつ、観客ナシの中で、一人格闘を続けることになるだろう。
僕はくやしさのあまり、アメリカ大陸に渡った自分の主人の後を追ってやろうかと思った。
だけど犬ってやつは、自分の知ってる道を通り、知ってる場所に行き着くことは簡単にできるが、新しい道をさぐり、新しい場所に行き着くことは、全く苦手ときてやがる。
僕はアメリカがどういう場所かなんか知らない。想像もつかない。
でも、僕は、あらゆる想像をつくして、その場所の実体を思い描こうと努力した。
追っ手がくるまで、この閉ざされた空間のなかでできることといったらそれくらいのもんだ。
主人と最後にかわした対話について考えた。
「◯◯わかるだろ、僕は行かなくてはならない。僕は原罪をふり捨て生きるんだ。この場所には『原罪としての僕の存在』の屍体しか残らない。そしてそれが君なんだ。やっとやっと僕は君を捨てることができるんだ。殺さないよ。この戦乱の中じゃ生きてるも死んでるもそうかわらないからな。君も自由〈フリー〉さ。鉄柵をこえてどこへでも行けばいい。」
僕は月を見上げた。
月は2つに分裂し、僕の周りをぐるぐる周りだした。
突然目の前に アルコール中毒犬が現れ、フォックス・トロットを踊りだした。
「明日は我がもの」は、カストラートの少年によって歌われ、それはやがて大音響のオーケストラにとってかわられた。
主人が現れた。微笑をたたえ、僕に向かって歩いてくるが、一歩歩くたび主人の足から砂がふき出し、僕が声を出そうとすると、破裂するように主人の体は消えた。
“アデュー” すべての映像は消え、2つの月は天空に上がった。
僕はその時 自分の姿を見た。
僕は腐っていた。カラスにとり落とされたざくろの実のように腐って、横たわる屍体だった。
僕は あのブロイラーの廃墟の中で 死んでいたのだ。
もしかしたら、僕は ものすごく血が見たかったのかもしれない。
屍体としての弟一日目が始まった。