言葉尻ではなく、発言がどういう“元”から発せられてるか、というのも、想像力を要することだと思う・・・
例えば、パティ・スミス版のグロリアのこの歌詞も、受け取りようによっては、多くの誤解を招く可能性があるのだけど、彼女の内側からこういった自我の慟哭が生まれて来たのには、長らくの歴史を持つキリスト教による、個人への社会的、精神的抑圧という背景がある...
(このサイトがその事実を上手に説明しています...。)色々な事象を解りやすく的確に説明することが、私の実力ではまだなかなかできない、足りない、というところが本当にもどかしいです