できるだけ歩く鳥

サラリーマンエンジニアによる日常メモ。たまにMac偏り気味。

次元の狭間の恣意ネットワーク

2008-10-01 02:09:28 | diary
三途の川。現世とあの世を分ける境目にあるとされる川。
この生者と死者の世界の境目に「川」があるという発想は、ある種普遍性があるそうで、ギリシャ神話にも「ステュクス」というものがあります。

ステュクス(Wikipediaより)
ステュクスとは、ギリシア神話において地下を流れているとされる大河。また、それを神格化した女神である。
オケアノスの流れの十分の一を割り当てられている支流で、地下の冥界を七重に取り巻いて流れ、生者の領域と死者の領域とを峻別しているという。ステュクスの支流には火の川プレゲドン、忘却の川レテ、悲嘆の川コキュートス、アケロンがある。
(略)
このように、ステュクスの水には神々さえも支配する特別な力が宿っており、猛毒であるという説や、逆に不死をもたらす神水であるという説が唱えられている。アキレウスも、この水に浸されて不死になったという。

(ちなみに(略)の部分は「賽の河原」にも通じる内容じゃないかと思いました)

まあ僕は死後の世界がどうとか話したいわけではありません。(なら三途の川なんて書き出しはやめればよかったのに、と思わないでもない)

ネット・情報・コミュニケーション、そのへんのメタファとして「ステュクス」を持ってくると、大学入試(95年頃です)のときに僕が読んだ「とある情報化社会に関する本(タイトル忘れた)」に書いてあった今でもなんとなく覚えていること、に結びつく気がしたのです。


なんとなく覚えていることってなんだよっていうと、情報化社会では「無意識下のネットワークにより人々が繋がる」ということ。うろ覚え。


さてどんな感じに当てはめていくか。
まず地下世界を流れる大河であるステュクス、これはネット上の「ある種の情報の大河」です。
次、生者と死者の領域を峻別という点。川の流れがこの世とあの世を厳しくわけているということですが、これは柔らかめにして、ネット上の「(ある種の)情報」の流れが、意識と無意識の境目あたりを流れてる、とします。
支流の存在は、言語情報、非言語情報(音楽、画像、動画)などなどの分類みたいなもんでしょうか。
猛毒or不死→使い方次第で多大な影響を及ぼすかもしれない、みたいな。
だんだんいい加減になってきました。


肝は、意識と無意識の境目を流れている、って点です。


ネット上を流れる情報は誰かが「意識的」に流したものがほとんどです。例えば僕が"自身の意識と無意識の境目"あたりをねらって情報を流す、ということはたぶんできません。でもこれを、Twitterで何百人とフォローしているときに皆のつぶやきが次から次へと流れていく様に置き換えて考えてみると、他人のつぶやきという情報が、自分の意識と無意識の境目あたりを流れていくような気がします。

あるとき、誰かの(僕とは無関係な)つぶやきが目の前を流れていったとき、それが実は僕の無意識下にあった事と関連深いもので、その誰かのつぶやきを目にしたときに僕の無意識下の事が意識の層に出てくる、なんてイメージ。重要なのは、つぶやきに全部目を通さなきゃという使命感がない(全部追ってらんない)状態であること。「たまったRSS未読記事をぜんぶ既読にしなきゃ」みたいな使命感を持ってないこと。
(ってまあ僕はそんなにフォローしてないんですけど)


今の時点では、ノイズが増えるだけだったり、ノンバーバルな恣意を垂れ流すのは難しかったり、情報感度の差もあったりで、情報化社会なんてまあそんなもんでしょ的な感じかもしれません。でも、Twitter的な手段、各種クラウドコンピューティング、(ノンバーバルな)表現手法の進化、を妄想すると、リアル世界というレイヤーの下で地脈のように、意識と無意識の境目あたりの人々の恣意の流れがあって、そしてそれが誰かの無意識に働きかけるような、そんな世界に少しくらい近づいてもいいんじゃないか、とかたまに思ってみます。

ガンダム的な「ニュータイプの世」に、どうにか近づけられないかなぁみたいな妄想。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (さくら)
2008-10-03 10:36:45
すごく関係ないんだけど、こないだSQUAREのライブに行ってきて、やっぱり4000欲しくなっちゃった。
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たしかに (管理鳥)
2008-10-03 23:02:28
唐突な。
あ、チラシ送ってくれた公演、見に行けなくてごめんなさい。

で。
野音でも行ってきましたか?本田雅人いなかったみたいだけど。
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