できるだけ歩く鳥

サラリーマンエンジニアによる日常メモ。たまにMac偏り気味。

脳内常駐プロセス

2008-10-30 02:30:19 | diary
人は自分を正当化することにけっこう頭を使う。言い訳ばかりするとか、そういう意味ではなく、自分を自分で認めるということ。ときには、自虐ネタに走ってみて、自虐してればおk、はいはい自分を顧みてますよっと、みたいなノリで済ませるとラク。本当はそんなふうに思ってすらいないのに。

例えば。
かつての自分と今の自分(の物事の考え方)が変わったな、とふと感じたときに、僕の脳みそは今の自分の考え方を肯定するための論理(屁理屈)作りをささっとやってのける。たいてい、自分の内側だけから情報を集めてきて根拠もなく「成長した」ってことにする。

まあでも、いたって普通のことで、精神衛生の面で健全でいようとする、自然な思考だと思う。そして必要なことだとも思う。

ただ、たまには、こういったことを考えてみる。

・僕の脳はいつも自分を肯定しようとしているに違いない
・自分が考える通りに生きるのではなく、生きた通りに考えるようになりがち(どっかの名言スレとかで昔みた)
・だから、自分をきちんと見つめ直す、って大切な希ガス
・となるとやっぱ外からのフィードバックって大切よね(自己生成の情報は都合よすぎかもという恐れ)
・でも自己都合フィルタかけずに取り込むのは不可能に近い(自分を肯定しようとしているプロセスが常駐してるから)
・たまに常駐プロセスをきろうとしてみるがなんかうまく切れてないような
・そうねえ、なんだかんだで外(他人)に頼るのがいいんじゃない?
・周りは自己を映す鏡みたいな
・ま、要はたまには自分を疑ってみる、そのときの「疑い方」も疑う、なんてことにチャレンジしてみればいいのかな?


そしてここで、このエントリ自体に対して、今こそ、眉毛に唾を!
と書くことで回避、みたいな。
と、書くことでさらに回避、みたいな。
ループ。

MacBookが届きました

2008-10-23 11:33:52 | diary
製品発表後すぐにAppleStore(オンライン)で注文したMacBookが、ついさっき届きました。クロネコヤマト。
ふっふっふ、会いたかったよ、ヤマトの諸君!

寝坊体調不良により、今日は午後から会社に行くことにしたのですが、これはもう半休→全休ですね。

ウソです。出社します。断腸の思いで。断腸の思い出。手術?

さよならMacBook。

またね。

そのメロディにのせた想いは?

2008-10-21 01:37:36 | music
最近話題の、JPOPのお決まりコード進行はこれだ!One!Two!Three!の話。

JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていた、という話

同様のことはマーティ・フリードマンも以下の記事で言及していました。

【今週は毎日更新!!】「桜ソング」は、季節に敏感で切ないコード進行好きな日本人ならではの発明

なぜに今の時期話題になったのかっていうと、やっぱ動画で見せられたから、かなと思います。とくに、音楽やってない人への説得力が段違い。一方で、そんなコード進行よくある基本的なパターンじゃん、とか、昔っからあるよね、とか、そういう話もチラホラ。確かに、ある意味、カノン進行みたいな面もあるでしょうね。いやでも動画にしたのはすごいと思います。


この話、コード進行の話からさらに一歩踏み込んで、メロディ作成にいってみようと思います。ってただの手癖紹介なんですが。その前に断っておきましょう。僕は音楽理論をきちんと勉強したことはありません。適当すぎる部分がけっこうあると思います。

はい。

今回話題になったコード進行は、サビがCで始まるとすれば、こんなんです。

CM7 → D → Bm7 → Em

♪さーくら、ひらーひらー まいーおりーて おーちて なんて口ずさめます。で、僕の手癖は、まあほぼ同じなんですが、

CM7 → D6 → GM7 → Em (GM7のところはGad9なんかにしても可)

です。これだけじゃあまり質の悪い癖ってわけではないのですが、メロディラインの載せ方がもうワンパターンになってしまってます。
まずサビの出だし、コードがCM7のときに、Cに対してのM7(長7度)をメインに持ってきます。コードがCM7になった拍の頭からBの音で入る。そこからテキトーにD6のところは流して、GM7のときには、Gにたいして、9度(2度)をメインに絡めるように、やはりコードが変わった拍の頭からAの音で入るように持ってきます。

これで、わりと簡単に、短調でもなく長調でもないせつなげメロディラインがお手軽に作れてしまいます。


なーんて3分クッキングみたいなことを披露したいのではありません。

僕は音楽作るのって、世界(小さな世界でも大きな世界でも内なる世界でも外の世界でも)から何かを感じ取って、それを「音楽」というカタチにしていく、と考えてるのですが(あくまで創作意欲がわくようなときのことね)、そういう創作活動の結果としてたまたまこのコード進行とメロディラインの取り方になったなら、それはいいと思うんです。でも、この手癖から逃れられない呪縛にハマると、自分の感性を大切にした結果ここに落ち着いたのか、手癖にハマった(当てはめた)だけなのか、判断つかなくなってきてしまいます。もっと引き出しを多く持って、そのうえしっかり悩めばいいんですけれど。

今回のはあくまで僕の「クセ」としての紹介ですけれど、こういうセオリーを数パターン持ってれば、編曲変えれば、歌い手変えれば、ということができる場合に、どうなるでしょうね。作り手側の姿勢って、いろいろありますね。たぶん。毎度同じような曲になるのはけしからん、ってわけではなく、それがその人が信じる自分の感性のアウトプットなら全然ありだと思います。

聞き手は聞き手だけの感性で曲を評価することができます。作り手がどんな想いを込めても込めなくても、聞く人が思うところあるなら、感じ入るところがあるなら、音楽ってのはそれでいいのかもしれません。

海外委託生産も大変ね(フィクションです)

2008-10-05 02:39:11 | business
(´・ω・)新モデルできました。

(´・ω・)…。(こんな製品もううちでやる必要ない気がするけれど)

( ^ω^)日本で作るとお金がかかるし、大量生産に向いてなかったりするから、海外の工場で作りましょう。

(´・ω・)海外に自社工場ないですよ。

( ^ω^)アジアにはEMS企業がいくらでもあるから、それを使うんです。こちらの企業です。

(´・ω・)またEMSですか。でもそのEMS企業でやるのは、うちとしては初めてですね。

( ^ω^)初めて作るものでも、きちんとした設計書さえあれば、彼らは作り上げてくれます。

(´・ω・)…。(そういう意味の「初めて」を気にしてるんじゃないんだけど)

(´・ω・)この製品の今度の新モデルを大量生産できるレベルの製造ラインを新しく構築するには、言葉や設計図だけでは表現しづらいノウハウが必要で、それを伝えるのは一朝一夕には難しいのですが…。

( ^ω^)じゃあ現地行って教えてきてください。向こうのEMS会社は自らのブランド製品も流してるし、他社さんのあの人気製品も昔からやってますので、技術力はあるはずですから、すぐ飲み込んでくれますよ。

(´・ω・)…。(製造ラインをどれくらいの期間で立ち上げられる気でいるんだろう)



(´・ω・)ニーハオ。

(´・ω・)言葉の壁、価値観の違い、を乗り越えた上で、この非言語な感覚的なノウハウをどう伝授しようものか…。


(´・ω・)たしかに現場の人達は勤勉だな。


(´・ω・)ようやく軌道に乗ってきた。ここまでくるのに1年かかった。

(´・ω・)やっと解放される。家族と過ごす時間を取り戻したい。



( ^ω^)やーっと立ち上がりましたね。でもその間に競合企業や海外メーカーも同レベルの製品出してきましたよ。むしろ製造トラブルのせいで、うちは出遅れてしまいました(怒)

( ^ω^)なぜもっとスムーズに立ち上げられないのですか。

(´・ω・)初めての工場でしたし、彼らにとっても経験したことのない設計哲学だったし、それくらいはかかります。

( ^ω^)彼らは彼らの自社ブランドの新商品はスムーズに立ち上げてますし、あの人気製品の新モデルだってすごいキャパのラインをすぐに整えてますよ。

(´・ω・)それはですから…

( ^ω^)いいですか、彼らの他の製造ラインとうちの製品のラインとで、なぜ立ち上げのスムーズさが異なるのかきちんと問題を分析して、次からはどんな工場でもスムーズに行くように努力してください。

(´・ω・)…。(同じことまた言うのめんどくせ)

( ^ω^)それに、むしろ彼らの他のラインの立ち上げペースを上回るくらいでないと困ります。製品開発スケジュールはどんどん厳しくなるんですから。

( ^ω^)どこで作ろうが、レベルの高い製造ラインを短期間で構築できる力こそが、ものづくりの力の見せ所ですよ、よろしくお願いしますね。

(´・ω・)…。(向こうのものづくり力は向上しそうだな)

(´・ω・)…。(っていうか、やっぱりスペックアップ新モデル短期開発のチキンレースからそろそろ抜けた方がいいのでは)

できることとできないことを明確にできていないことが明確に

2008-10-04 03:30:01 | diary
今更あらためて言うことでもないんですけれど、メーカーでサラリーマンエンジニアやってます。わりと大きな会社なんで、できる人だと思える人、できると評判の人、が社内のあちこちにいます。その力が結集したらすごいんだろうけれど(以下略

まあ僕が人様を「できる人」だと判断するなんておこがましいことではありますが、それでもそう思った人、周囲からそう言われる人などに、この半年間で、会社規模からすればほんの少しですが、がんばってコンタクトとってきました。どんな人なんだろう、と思って会って話してみる、雰囲気を感じてみる、ただそんだけ。

=====
自分のカテゴリの外の、異なる分野の普段会うことなんてない人達とのコミュニケーションを図ることで、いろんな角度から自分をうつせる鏡と向かい合ったような、そんな感じになりました。逆に今までは、お気に入りの角度でのみ、鏡の中の自分を眺めていたようなもんです。鏡を見てすらいなかったかもしれません。

多方面の鏡に映していくことで、自分はできる人ではない、ということがわかってきます。ただ、できる人になれるかどうかはわからない、ということもわかってきます。お前いままでどんだけ自部署に引きこもってたんだよって、我ながら思います。

=====
そう、「わからない」んです。
自分の向かいたい方向性に対して、自分にできることとできないこと、どういった可能性を持っているのか、などがさっぱりなんです。

じゃあ今までの、自分では気付かないけれど実は居心地よかった、いい角度で鏡を見れる環境を出て行けばいいのか。最初はそう思っていたんですが、いくつか前のエントリで書いた、できる人から特急の切符をもらおうってのは虫のいい話で、やっぱりなんらかの尺度を、自分の感覚として掴まなきゃいけない、そんな気がしてます。どこまでなら自力で歩いていけるのか、どこから助けが必要なのか、という感覚を。

=====
サンプル数は少ないけれども、できる人(と思しき人)たちと接触して感じたのは、彼らはそういった、自分にできることと助けを借りる部分とそれらを重ね合わせたところの夢と、その辺がちゃんと見えているんじゃないか、ということ。自分にできるところは自分でこしらえて、そのうえでさらに飛躍すべき活動をしています。

んで、そういう人達も、元からそういう見極めができていたわけでもなさそうで、何度も挑戦してきたから「あ、今はここまでか」って見極める感覚が身に付いたんだろうな、と。

=====
僕もやりたいことはある。でも、方向性の角度がゆるい。あっちもこっちも。着地点が遠いせいもあるかもしんない。もっと方向性の軸をしっかりさせるためにも、いろいろと、見極めなきゃいけません。でも(仮のものでも)基点を決めないと何も定まらないので、今の立ち位置を見つめ直してみます。

僕は今はエンジニアです。でも目標に向けての技術をもちえていません。

そんな出発点ということになりました。
エンジニアなら、布団の中であれこれイメージ描くだけでなく、起きてる時間に手も動かして、「こんなのやってみたい」「作ってみたい」「将来こういうことやりたいんだけどそのうちのひとつがこれ」というモノでもソフトでもモックアップ的なものを、手作りしてみようじゃないか、と、考え始めました。

っていうか、「できる人」の当たり前の思考が、できていなかったってこと。

=====
まあ都合よく会社に20%ルールなんてあるわけないので、(仕事が速くなったのをバレないように)効率あげて仕事してこっそりと取り組むとか、自宅でやるとか、そういう形で、何かをこしらえることに取り組み始めてみました。

体力的にツイキーだったり、やっぱりなんだかんだで時間確保しづらかったりはしますが、自分の足で歩くことは気持ちいいです。

そうだ、こういう感覚だ、この数年で僕が失ったものは。って実はそれはただの思い込みで、もともと持ってなかった感覚をいまさら手に入れたのかもしんないけれど。

今の自分の組織環境も業務内容もなにひとつ変わってないはずなのに、なぜか気分よい下半期スタート。そんなテンションで更新しております。眠い。

次元の狭間の恣意ネットワーク

2008-10-01 02:09:28 | diary
三途の川。現世とあの世を分ける境目にあるとされる川。
この生者と死者の世界の境目に「川」があるという発想は、ある種普遍性があるそうで、ギリシャ神話にも「ステュクス」というものがあります。

ステュクス(Wikipediaより)
ステュクスとは、ギリシア神話において地下を流れているとされる大河。また、それを神格化した女神である。
オケアノスの流れの十分の一を割り当てられている支流で、地下の冥界を七重に取り巻いて流れ、生者の領域と死者の領域とを峻別しているという。ステュクスの支流には火の川プレゲドン、忘却の川レテ、悲嘆の川コキュートス、アケロンがある。
(略)
このように、ステュクスの水には神々さえも支配する特別な力が宿っており、猛毒であるという説や、逆に不死をもたらす神水であるという説が唱えられている。アキレウスも、この水に浸されて不死になったという。

(ちなみに(略)の部分は「賽の河原」にも通じる内容じゃないかと思いました)

まあ僕は死後の世界がどうとか話したいわけではありません。(なら三途の川なんて書き出しはやめればよかったのに、と思わないでもない)

ネット・情報・コミュニケーション、そのへんのメタファとして「ステュクス」を持ってくると、大学入試(95年頃です)のときに僕が読んだ「とある情報化社会に関する本(タイトル忘れた)」に書いてあった今でもなんとなく覚えていること、に結びつく気がしたのです。


なんとなく覚えていることってなんだよっていうと、情報化社会では「無意識下のネットワークにより人々が繋がる」ということ。うろ覚え。


さてどんな感じに当てはめていくか。
まず地下世界を流れる大河であるステュクス、これはネット上の「ある種の情報の大河」です。
次、生者と死者の領域を峻別という点。川の流れがこの世とあの世を厳しくわけているということですが、これは柔らかめにして、ネット上の「(ある種の)情報」の流れが、意識と無意識の境目あたりを流れてる、とします。
支流の存在は、言語情報、非言語情報(音楽、画像、動画)などなどの分類みたいなもんでしょうか。
猛毒or不死→使い方次第で多大な影響を及ぼすかもしれない、みたいな。
だんだんいい加減になってきました。


肝は、意識と無意識の境目を流れている、って点です。


ネット上を流れる情報は誰かが「意識的」に流したものがほとんどです。例えば僕が"自身の意識と無意識の境目"あたりをねらって情報を流す、ということはたぶんできません。でもこれを、Twitterで何百人とフォローしているときに皆のつぶやきが次から次へと流れていく様に置き換えて考えてみると、他人のつぶやきという情報が、自分の意識と無意識の境目あたりを流れていくような気がします。

あるとき、誰かの(僕とは無関係な)つぶやきが目の前を流れていったとき、それが実は僕の無意識下にあった事と関連深いもので、その誰かのつぶやきを目にしたときに僕の無意識下の事が意識の層に出てくる、なんてイメージ。重要なのは、つぶやきに全部目を通さなきゃという使命感がない(全部追ってらんない)状態であること。「たまったRSS未読記事をぜんぶ既読にしなきゃ」みたいな使命感を持ってないこと。
(ってまあ僕はそんなにフォローしてないんですけど)


今の時点では、ノイズが増えるだけだったり、ノンバーバルな恣意を垂れ流すのは難しかったり、情報感度の差もあったりで、情報化社会なんてまあそんなもんでしょ的な感じかもしれません。でも、Twitter的な手段、各種クラウドコンピューティング、(ノンバーバルな)表現手法の進化、を妄想すると、リアル世界というレイヤーの下で地脈のように、意識と無意識の境目あたりの人々の恣意の流れがあって、そしてそれが誰かの無意識に働きかけるような、そんな世界に少しくらい近づいてもいいんじゃないか、とかたまに思ってみます。

ガンダム的な「ニュータイプの世」に、どうにか近づけられないかなぁみたいな妄想。