茫庵

万書きつらね

2012年10月10日 - 子どものための詩文 序

2012年10月10日 01時15分50秒 | 教育、子ども

子どものための詩文  序

 子どものための詩文入門を読んでいます。英語とドイツ語です。著名な大詩人が書いたものから誰が作ったのかわからない民謡的なものまで、実に沢山の詩文が西洋にはあります。広く詩文が作られてきた歴史的な厚みというか、重さが日本語とは違います。これは文化的な特色なので、善し悪しや上下とは関係なく、西洋言語には豊富な詩文の資産があり、それは子ども向けの詩文についても同様だという事です。

 何から何まで西洋式にこだわる必要も追従する必要もありませんが、豊かな言語表現を後の世代に資産として残していくのは決して無意味な事ではないと思うので、暫く西洋言語、中でも英語とドイツ語の詩文を題材に、日本語では何が出来るのか、あるいは何をしなければいけないのか、色々と探ってみることにしました。

 題材としては、Google Booksで無料で閲読出来る様々な子ども向けの詩集を取り上げていきます。非常に数が多いので、全部カバーするのは不可能ですが、私なりに面白い、あるいは読みやすい、と感じた作品に注目して、色々とコメントをつけていこうと考えています。

 これから読んでいく対象は19世紀以前の詩文がメインになります。今回は前準備として、英語、あるいはドイツ語の詩文を読んでいく上での3つの基礎知識の確認をしておきます。

1.まず、中世~近代の英語、ドイツ語の詩文の特徴は一定の韻律を
  持っていること。脚韻と詩脚を意識して作られている事を忘れては
  なりません。これを読む目的のひとつは、当然ですが、それを使い
  こなして詩文を書く訓練をする為でもあります。

2.次に詩の主題です。「子どものため」とはいいながらも死や人生の
  失敗、哀しみなど、日本の児童文学では余り正面から描かれない
  ダークな部分も扱われます。子どもたちに何をどう伝えるか、この
  点について考えてみたいと思います。

3.そして詩型としてのバラッドとその読みこなしについて。
  西洋には子どもむけといっても侮れないほど沢山のバラッドが
  あります。一方日本語にはバラッドはほとんど見受けられません。
  児童文学の世界でも、「物語詩」というとちょっと珍しい感じで見られます。
  しかし、数篇でも西洋のバラッドを読んでしまうと、日本の児童文学
  でいう「物語詩」の多くは極めて稚拙で陳腐なしろものに見えてきます。

 本稿は、詩の愛好家に対しては英語とドイツ語の詩表現の豊かさの確認、(自称も含む)詩人に対しては問題提議を行うためのものです。詩人は豊かな言語表現芸術の担い手でなければなりません。それはどの言語でも変わる事のない責務のひとつであるとも言えます。単なる詩の愛好家ならともかく、「詩人」を名乗る、あるいは目指す以上は相応の「言葉の専門家としてのプロの自覚」を持ち、研鑽し続けるのでなければ詩人としては看板に偽りあり、と断ずるしかありません。この点において、私は現代日本において、詩人といえる人を見たことがありません。




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