茫庵

万書きつらね

2012年11月26日 - ダンテ「神曲」を読む 6

2012年11月14日 22時57分03秒 | 名句、名言


  岩波は煉獄(浄火)編、その他は地獄編を読んでいます。地獄編には作者の独断と偏見により落とされた人々が責め苦にあえいでいましたが、煉獄では救済のための罪の浄化が行われます。こうした考え方、即ち、重い罪に対して罰、それも恐ろしく過酷な体罰が用意され、軽い罪に対しては浄化の手段が用意され、天国に至る、という構成自体が非常に俗っぽいというか、人間的で、余り全知全能の神が用意したシナリオとしては陳腐に過ぎるのではないか、という印象を持ちます。これって、無法者が善良な市民を「言う事聞かへんかったら痛い目に遭わせたるでぇ」と凄んで脅しをかけているのとどこが違うのでしょう?

 キリスト教に限った事ではありませんが、そもそも人が作った宗教があまねく人を救えるはずはなく、必ずどこかに不備や矛盾を抱えているものです。聖書自体が分裂した教会勢力が寄り集まって政治的駆け引きの末決めた内容を受け継いでいるだけですし。所詮は人が作った神。人が愚かな見識と利害関係によって生み出した神。こんなものに人を救えるわけがない、というごく当たり前の理屈を持って読むならば、たちまちその欠陥はあらわになるでしょう。歴史的にもキリスト教会がこれまで残してきた数々の汚点と醜態は明らかです。およそ普遍的な価値など認められません。これは、教義の優劣ばかりでなく、それを信奉する人間がそもそも罪深くて愚かな生き物であるためです。

 それでも信じる信じないはそれぞれ自分自身が決める事。私は他人の信仰をどうこう言う気はありませんが、この手の話は余り無条件に受け入れるべきではないし、受け入れられる物でもない、という考えでいます。ここまで読んでみてますますその思いを強くしました。

 ダンテも「神曲」に陶酔、あるいは共感する人々も、一種の偏執狂に違いありません。





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