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こういう法律があるのをご存知でしょうか?
犯罪の被害にあって、死亡したり、重度の障害を負った場合、要件に該当すれば、国が、本人や遺族に給付金を支給する制度です。
通り魔や無差別殺人など、全くいわれなく生命を奪われる事件の多発をみて、被害者や遺族のことを考えて作られました。
死亡の場合、遺族には最高で約3千万円、重度障害の場合には最高約4千万円が給付されます。
しかし、はっきり申し上げますが、この給付金額、少なすぎます。
最近の風潮では、電車の中などで迷惑行為をしている若者に注意をすれば、逆ギレされ、殺されてしまうかもしれません。
このような場合、被害者に落ち度は全くありませんから、おそらく給付金は、ほぼ満額下りるでしょう。
しかし、殺されてしまった人の遺族は、この給付金額で足りるでしょうか。
それが働き盛りの、一家の大黒柱であった場合、到底足りないはずです。
さらに、小さい子供がいる若いパパだった場合、もっと考えれば、結婚して間もなく、しかも奥さんのお腹に愛の結晶が宿っていたような場合、残された家族はどうするのでしょう?
3千万円や4千万円など、お涙金に過ぎません。
卑怯者と言われようとも、私は、他人のことなんかより、自分が死んだ後の、残された妻や子どもの不憫さを考えると、そのような場合は見て見ぬふりをすると思います。
3千万円ぽっちで、命まで投げ出すつもりは、さらさらありません。
しかし、こう言っては矛盾かもしれませんが、私は正義感が強いほうで、そのような光景を目にしたら、正義を実現したい欲求に、強く駆られます。
もし、犯罪被害者への給付が、残された女房子どもの生活を、十分補償してくれるものであったなら、さらに、夫や父親がいない有形無形のハンデを、補って余りあるものであったなら、電車の中の迷惑行為ぐらいではどうかわかりませんが、もっと重大な局面では、義を為すかもしれません。
(実際には、非力な臆病者ですから、足がすくんで何もできないと思いますが)
世の中は正義を求めています。
しかし、正義を実現しようとした人が不遇な目に遭い、さらに遺された家族に過酷な運命が待ち受けているようでは、正義は到底実現されません。
残念ながら現実的には、正義を実現するには、それなりの後ろ楯がなければ、不可能なのです。
だいぶ前になりますが、韓国人の留学生が、電車のホームから転落した人を救出しようとして、自分が轢かれて死亡するという事故がありました。
これも、犯罪被害ではありませんが、正義を為そうとした、その根は同じです。
国は、犯罪被害はもちろんのこと、正義を実現しようとして倒れた人、そうした人すべてに、十分な給付をするべきでしょう。
それには財源が必要?
いいですとも。その財源にするためなら、どうぞ税金を上げてください。
100億円の財源が必要なら、国民みなが80円足らずを納めれば十分な話です。
ただし、それを変な公益法人へ回したり、誰かが「中抜き」してしまったり、別目的に流用することだけは、絶対にお断りです。
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こういう法律があるのをご存知でしょうか?
犯罪の被害にあって、死亡したり、重度の障害を負った場合、要件に該当すれば、国が、本人や遺族に給付金を支給する制度です。
通り魔や無差別殺人など、全くいわれなく生命を奪われる事件の多発をみて、被害者や遺族のことを考えて作られました。
死亡の場合、遺族には最高で約3千万円、重度障害の場合には最高約4千万円が給付されます。
しかし、はっきり申し上げますが、この給付金額、少なすぎます。
最近の風潮では、電車の中などで迷惑行為をしている若者に注意をすれば、逆ギレされ、殺されてしまうかもしれません。
このような場合、被害者に落ち度は全くありませんから、おそらく給付金は、ほぼ満額下りるでしょう。
しかし、殺されてしまった人の遺族は、この給付金額で足りるでしょうか。
それが働き盛りの、一家の大黒柱であった場合、到底足りないはずです。
さらに、小さい子供がいる若いパパだった場合、もっと考えれば、結婚して間もなく、しかも奥さんのお腹に愛の結晶が宿っていたような場合、残された家族はどうするのでしょう?
3千万円や4千万円など、お涙金に過ぎません。
卑怯者と言われようとも、私は、他人のことなんかより、自分が死んだ後の、残された妻や子どもの不憫さを考えると、そのような場合は見て見ぬふりをすると思います。
3千万円ぽっちで、命まで投げ出すつもりは、さらさらありません。
しかし、こう言っては矛盾かもしれませんが、私は正義感が強いほうで、そのような光景を目にしたら、正義を実現したい欲求に、強く駆られます。
もし、犯罪被害者への給付が、残された女房子どもの生活を、十分補償してくれるものであったなら、さらに、夫や父親がいない有形無形のハンデを、補って余りあるものであったなら、電車の中の迷惑行為ぐらいではどうかわかりませんが、もっと重大な局面では、義を為すかもしれません。
(実際には、非力な臆病者ですから、足がすくんで何もできないと思いますが)
世の中は正義を求めています。
しかし、正義を実現しようとした人が不遇な目に遭い、さらに遺された家族に過酷な運命が待ち受けているようでは、正義は到底実現されません。
残念ながら現実的には、正義を実現するには、それなりの後ろ楯がなければ、不可能なのです。
だいぶ前になりますが、韓国人の留学生が、電車のホームから転落した人を救出しようとして、自分が轢かれて死亡するという事故がありました。
これも、犯罪被害ではありませんが、正義を為そうとした、その根は同じです。
国は、犯罪被害はもちろんのこと、正義を実現しようとして倒れた人、そうした人すべてに、十分な給付をするべきでしょう。
それには財源が必要?
いいですとも。その財源にするためなら、どうぞ税金を上げてください。
100億円の財源が必要なら、国民みなが80円足らずを納めれば十分な話です。
ただし、それを変な公益法人へ回したり、誰かが「中抜き」してしまったり、別目的に流用することだけは、絶対にお断りです。