続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

杞憂

2013-06-08 | 言語学講座
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*杞憂
 古代中国では、大地は正方形で、四隅を天柱という柱が支えていると考えられていたが、その杞の国の人が、天が崩れ落ちてきはしないかと心配して、夜も眠れず、食事も喉を通らなかったという話から、極端に心配性なことや、取り越し苦労のことをいう。


 杞の時代には、空がどうなっているかなど、知りようがありませんでしたから、天は屋根のようなもので、それが崩れ落ちるというのは、杞の人にとっては、少しは現実味のある話だったのかもしれません。
 しかし、科学の発達した現代では、天はただの空気の層だと分かっていますから、その天が落ちてくるなど、二重の意味で馬鹿げた心配だと言えます。

 ・・・はたして、本当にそうでしょうか?

 確かに、天そのものが落ちてくるなどとは、考えられないことです。
 しかし、天から落ちてくるものを考慮に入れると、危険は至るところにあります。

 杞の時代(紀元前8世紀~紀元前5世紀)には、鳥のような動物や、雨や雪などの自然物、まれには隕石などぐらいしか、天から落ちてくるものはありませんでしたし、隕石以外はさほど危険なものではなく、隕石も、確率的には心配の外としても差し支えありませんでした。

 ところが現代、空を飛んでいるのは、雨や鳥ばかりではありません。
 人工的な飛翔物体、飛行機や人工衛星は言うに及ばず、もしかすると某国から突然、ミサイルが飛んでくるかもしれないのです。
 さらには、風に乗って、自然物ではない有害物質が飛来してきます。
 ついでに、オゾン層の破壊により、一昔前よりもはるかに多量の紫外線が、地上に降り注いでいます。

 さあ、これでも、天から落ちてくるものを心配するのが「杞憂」でしょうか?

 アメリカ軍のオスプレイが空から落ちてくるかも知れず、仮想敵国のミサイルが飛んでくるかも知れず、公害対策などないに等しい隣国から有害物質の微粒子が飛来し、事故を起こした原発から放射性物質が降り注ぎ、紫外線で目がやられ皮膚ガンができるかもしれない。

 そんな心配をしだすと、私は、夜も寝られず飯も喉を通らなくなるのですが、あなたは、そんなことありませんか?
 これは取り越し苦労でしょうか?それとも、心配して当然のことでしょうか?

 もし、心配して当然のことなら、普段、私たちがあまり気に留めないのはなぜでしょう?

 危険に対して慣れっこになり、鈍感になってしまう、これが最も危険なことだと思います。

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