続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

羊頭狗肉

2013-11-03 | 言語学講座
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 羊の頭を看板として掲げていながら、実際には狗(犬)の肉を売っている、ということから、粗悪品を良品と偽る場合のような、ごまかしの意味で用いられます。

 食品偽装では、普通のネギを九条ネギと「誤表示」したり、牛脂注入肉をステーキと「誤表示」したり、まさに羊頭狗肉の事例が、あちこちで発生しています。

 しかし高額な料金を払って偽装料理を食べた客だって、出されたものを見ても、さらには口にしても、普通のネギと九条ネギ、牛脂注入肉とステーキとの違いが判らないのですから、それに対して文句をつけるのは、自らに判別能力がないと吐露しているようなもので、これは恥の上塗りでしかありません。
 だったら、出されたものが何ネギだろうと何肉だろうと、関係ないじゃありませんか。

 それなのに、なぜ、こうした偽装が問題になるのでしょう?

 それは、客は、旨いものを食べたいと願って、高級ホテルのレストランで食事をするのではないからです。

 では、何を願っているかというと、味などは二の次でもいいから、高級食材を使った料理を食べたがっているのであり、さらには、高級レストランでの食事を願っているのであり、もっと言えば、高級ホテルの高級レストランの高級料理に対して高額の料金を支払ったという自己満足、ないしは、そうした高額の料金を払う財力があるという自己誇示をしたがっているに過ぎません。
 また、他人を食事に招待した場合は、いかに高級な店に連れて行ったかという点のみが問題であり、食事の旨さなど問題でないことには、多言を要しません。

 つまり、客の満足感は料金の高さに比例するので、料金は高ければ高いほどいいのですが、店側としても、根拠もなく高額な料金を設定するわけにはいきませんから、高級な食材を使い、調理に手間暇かけて人件費を上乗せすることが、店にとっても、客にとっても、互いの利害が一致する点になります。

 だから今回、ホテルが食材を偽って叩かれているのは、偽ったことが悪いのではなく、偽ったことがバレて客の満足感を損ねた点が悪いのです。
 嘘もつき通せば本当になる、とは、よく言ったものです。

 こうしたことが発覚すれば、たとえば、女性を口説きたい男性が、せっかく高級ホテルでの食事に誘ったのに、出てきた料理が実は二流だったと後で分かれば、その男性は気の毒にも二流男の烙印を押され、フラれてしまったかもしれません。
 しかしこれが、実は二流食材であっても、ずっとバレずにいれば、「夢」は壊されずに済んだのです。
 「どうせ嘘をつくのなら、死ぬまでつき通して欲しかった」という都々逸は、ある面、真実ですね。

 正論としては、わざわざ嘘をついた上でバレないために労力を割くぐらいなら、最初から正直に、九条ネギなら九条ネギを使ってさえいれば、そもそもバレるとか、「誤表示」とかいった問題自体が発生しませんから、堂々としたものですし、必要な経費が料金に上乗せされていたからといって、文句をつける客はいないでしょう。

 「偽装は、食の安全を蔑ろにするものである」という意見は、一応、もっともです。
 しかし今回の件では、店側の、安全性に問題のある食材を使ったとか、衛生管理状態が悪かったとかいったことは問題になっておらず、「食の安全」は確保されており、食を提供する側の、最低限の良心は守られています。(そこまでいっては、オシマイですが)

 であれば、何が問題かというと、前述のとおり、客が、「本当に」求めていたものを提供しなかった、という点に尽きます。

 まあ、味ではなく、支払った料金を問題にしている方々なら、目の前に出された高級牛肉料理が、実は安物の牛肉であっても、さらには豚肉であっても、もっと言えば馬肉だろうが鹿肉だろうが、どうせ判りっこありません。

 馬と鹿の違いが判らない愚か者のことを呼ぶ故事成語は何か、言うまでもなく「馬鹿」です。

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