続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

朝三暮四

2013-06-03 | 言語学講座
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 新講座「言語学講座」の開講です。
 いろんな諺や成句、故事成語などで、私が、巷で使われている用法は何となくおかしいのではないか、と思ったものを考えていきたいと思います。

*朝三暮四
 宋の狙公は猿好きで、たくさんの猿を飼っていたが、エサ代が苦しくなったので、飼っている猿にトチの実を与えるのに、「これからは、朝に三つ、暮れに四つやる」と言うと、猿が少ないと怒ったため、「では、朝に四つ、暮れに三つやる」と言うと、猿たちはたいそう喜んだという。
 転じて、目先の違いに気をとられて、実際は同じであるのに気がつかないことや、うまい言葉や方法で人をだますことをいう。


 合計すれば一日に七つだから、たしかに結果は同じで、上記の用法をする限りは正しいのです。

 しかしよく考えると、実は、「朝三つ、暮れ四つ」と言われて怒った猿のほうが賢いのかもしれません。
 なぜなら・・・・

 狙公が、それまで好きなだけ与えていたトチの実を減らすようになったきっかけは、エサ代に苦しくなったからでした。それまでにも狙公は、家族の食事を減らしてまで、猿のエサ代を捻出していたぐらいですから、猿のエサを減らすというのは、苦渋の決断だったのでしょうが、ない袖は振れませんから、これは止むを得ないことです。

 であれば、「朝三つ、暮れ四つ」という約束も、それほど経済状況が逼迫しているわけですから、もし、ある日突然、狙公の破産が確定してしまえば、「暮れ四つ」の約束は「不渡り」になってしまうかもしれません。
 だったら、猿たちにしてみれば、貰える時に貰えるだけ貰っておこう、というのは、賢明な選択です。
 もちろん、夜の間に狙公が破産したのなら、その日の分は既に貰っていますから、何も変わりはありません。
 しかし、人が経済活動をするのは主に昼間で、破産が確定する可能性も、昼間のほうがはるかに高いわけで、そうであればやはり、朝に貰った後、暮れに貰えない心配をするほうが合理的です。

 つまり、先に多くのトチの実を貰おうとした猿たちは、賢かった、という結論になります。
 ところが人間は、その猿たちの堅実な判断を、「違いがないことに気付かない愚か者」として笑っているのです。

 きっと猿の学校では、「朝三暮四」という故事成語を、「違っていることに気付かない愚か者」という意味で教えているかもしれませんね。

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2 コメント

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!! (mari)
2013-06-26 02:04:40
誤魔化すつもりが誤魔化され・・・。この手の話はよくありそうですが、実はこんな深い読みがあったのですね。

学生時代を遥か昔に過ぎた私も、お恥ずかしいですがこれから本気で勉強です。
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そんな大げさなことでは・・・ (エヌ氏)
2013-06-26 11:44:16
 mariさん、こんにちは。コメントをありがとうございます。

 いや、なに、物事を常に、「本当にそうなのか?裏や逆の解釈があるのではないか?」と考える、天邪鬼な性格が駄文になっただけのことです。

 「勉強」なんて大げさなものではありませんが、笑って読んでいただければ幸甚です。
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