続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

医者を選ぶのも寿命のうち

2014-01-19 | 言語学講座
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 「医者を選ぶのも寿命のうち」とは、よく言われる言葉ですが、本当にそうですね。
 以下は、父の身に降りかかった災難です。

 元々、胃の具合が悪かった父は、2年ほど、とある消化器の町医者にかかっていましたが、少し前から、下痢が続くということで、その医者に、腸の治療も受けることになりました。
 ところが、約3ヶ月間、薬を変えてみたりと、いろいろな治療をしていたのですが、一向に下痢が止まらず、10キロ近く体重が落ちてしまい、体力だけでなく気力さえも落ち込んでしまう始末です。
 それなのに、医者は、大腸の細胞診もせず、「おかしいねえ」と言いながら薬を変えるばかりなので、ここに至って、母から私に、「ちっともよくならないから、もっと大きな病院で精密検査を受けたほうがいいのではないか」と相談があり、私も一緒に、その医者を訪れてみることにしました。

 しかし医者は、「何が原因だかよく判らない。少し入院してみるか」と言うばかりです。
 母の話で、いい加減業を煮やしていた私は、「もっと大きな病院で精密検査を受けてみたいから、総合病院を紹介してくれ」と言いました。
 すると医者は、「紹介しろというなら紹介してもいいが、どこに行っても、原因は判らんよ」と、言いました。
 私と、一緒にいたカミさんには、それは負け惜しみの捨てゼリフにしか聞こえませんでした。

 それでも一応、紹介状を書いてもらい、総合病院へ行くと、検査も兼ねて、すぐ入院となりました。
 2・3日ほど絶食して、点滴で栄養を補給した後、流動食が出され、また、薬も、町医者での薬は使用せず、総合病院が新たに処方しました。

 するとあら不思議。数日もすると、父の下痢は、回数が減り、水様便から軟便へと改善され、2週間も経つ頃には、通じは1日1回程度、便も形ができるなど、驚くほどの回復ぶりで、そうなると父は食欲も出て、みるみる元気になってきたのです。

 その頃には、いろんな検査の結果も出揃ったので、私たちは主治医から説明を受けました。

 父の腸は、通常より多くコラーゲンが沈着しており、そのため、腸の機能が低下し、下痢をしたのだろうということでした。
 ところが、そのコラーゲンが沈着した原因(単一、かつ確定的ではないですが)というのが、町医者で2年間にわたって処方されていた、胃の薬の成分によるものだったのです。・・・その成分がコラーゲンの沈着を招くことは、医師や薬剤師なら知っていて当然、少なくとも調べればすぐに判る事実です。
 それが原因(少なくとも誘因)なら、こちらの総合病院に入院して、以前の薬を断った途端に快方へと向かったのも、辻褄が合います。
 町医者で3ヵ月間、悪くなる一方だったものが、総合病院ではわずか2週間で良くなる一方、という結果になったのです。

 命拾いとはこのことです。

 もしあのまま町医者にかかり続けていたらと思うと、ぞっとします。
 そこで出されていた薬が原因だとすれば、そこにかかり続けている限り、原因は永久に判らず、最悪の事態に至っていたでしょう。
 他でもない、その医者自身が「原因は判らんよ」と言ったぐらいですから。

 さて、後日談ですが・・・

 総合病院としては、その町病院から紹介を受けたわけですから、原因が判明し、治療方針が立ったところで、元の町病院へ戻すのが病院同士の「流儀」らしく、これ以降の継続的な治療は元の町病院で、ということになり、父は総合病院からの手紙を携えて、町病院へ行きました。(私は気が進みませんでしたが・・・まあ、父の意向を尊重して)

 手紙を見た町医者は、「原因は判らんよ」と言ったことも忘れ、「ああ、そう」といった態度だったそうです。
 そんなぐらいですから、自分のところで処方した薬が原因だったことや、それを見逃して原因を追加し続け、父の容態を悪化させたことについては、一言もありませんでした。

 父の世代では、医者といえば雲上人に等しいものでしょうが、私の世代では、医者といえどもサービス業に過ぎず、「病気を治してナンボ」の商売との認識です。
 まして、病気を見つけられないどころか、結果的とはいえ、悪化させていたのですから、これまで払った治療費を返してもらいたいぐらいです。

 その日の夜、私とカミさんがその医者に押した烙印は・・・言うまでもありませんね。

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