続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

土芥寇讎

2014-01-29 | 言語学講座
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 土芥寇讎(どかいこうしゅう)。読めました?
 私も、まあ、知っているから読めますが、書けといわれても書けません。
 この土芥寇讎という言葉自体、江戸の元禄期に編纂された「土芥寇讎記」という書物以外、たぶん他にはないでしょう。

 さて、語源は『孟子』で、その一節に
「君の臣を視ること土芥の如ければ 則ち臣の君を視ること寇讎の如し」
とあります。
 意味は、
「君(殿様)が臣(家来)を土や芥のように視て(取扱って)いれば、臣は君を仇のように視る」
というものです。

 下の立場にある者が、上に立つ者をどう見做しているかは、偏に、上に立つ者の態度如何による、というのは、これは理解できます。
 ところがここで、上の者が、下の者を土や芥のように冷遇していれば、下の者は、上の者を「仇」とまで思ってしまう、というのは、なるほど、指摘されてみれば、そこまで憎く思ってしまう気持ちも、さもありなんと思えます。

 では、「仇」がいるなら、次にとるべき行動は何でしょう?
 言わずもがな、「仇討ち」です。

 無論、現代社会では、仇がいるからといって、そう短絡的に、仇討ちという実力行使に打って出るわけには行きません。現実的には、合法的な方法で、たとえば警察力を頼んで「仇」を特定・拘束し、司法の場で、相応の「仕置き」を与える、というのが、秩序を維持する上でも、最も妥当な方法です。
 「土芥寇讎」の語源をみても、上司が部下を殴打したり、パワハラやセクハラの類があれば、これは司法の場で白黒つけることもできます。

 しかしその「仇」に、違法性がなかった場合は、どうしたらいいのでしょう?
 当然ながら前述の方法は採用できませんから、「仇」がいるとしても、さまざまな状況判断により、涙を呑んで諦めるのが、まあ、賢い選択といえます。

 それでも、耐え難きに耐え兼ねたら・・・

 冷凍食品の農薬混入事件では、もちろん、無関係な不特定多数の消費者に危害を及ぼした犯人の行為は、断じて許されるべきものではありません。

 しかし事件の深層を思いやるに、派遣切り、雇い止め、賃金の実質的減額、その他の合法的な「労働者いじめ」とも言うべき事例が巷間に跳梁跋扈するご時世、この事件で、最も検証されなければならないことは、「君の臣を視ること土芥の如」くではなかったか、もしそうであれば、「臣の君を視ること寇讎の如」きであったとしても、何ら不思議はありません。
 さらに、非合法と知りつつも、何らかの形で「仇討ち」を試みようとする者が現れるのも、時間の問題であったといえるでしょう。

 願わくば、模倣犯が続きませんように。

 冒頭の、「土芥寇讎」の語源となった孟子の一節には、実は前段があります。
 「君の臣を視ること手足の如ければ 則ち臣の君を視ること腹心の如し」
 意味は、
「殿様が家来を、手足のように体の一部だと思っていれば、家来も殿様を、体の中心と思って大切にする」
ということです。

 孟子の教えは、だてに2300年も受け継がれているのではありませんよ。

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