ご訪問ありがとうございます→
←ポチっと押してください
唐土、どこの出身かは分からないが、原穀という人がいて、年は若かったが、才智は類がないほど人に優れていた。
その頃、原穀の祖父は、年を取って体も弱り、立つことも不自由になってしまったので、父母は困り果て、祖父を山へ捨てようと言い出した。原穀はまだ15歳であったが、涙を流し、父母を諌めたが聞き入れられず、手輿を作って祖父を乗せ、父子で遠い奥山の高い所に捨ててしまった。
さて、父子が帰っている時、原穀が手輿を捨てずに、遠い道のりを持ち帰っているのを父が見て、
「お前はどうして、その輿を捨ててしまわないのだ」
と言えば、原穀が、
「それは、今度、父が年老いた時、山へ捨てる場合のために、持ち帰っているのです」
と言ったので、父は大いに恥じ、ついに祖父を輿に乗せ連れて帰り、その後は、ひたすら孝行を尽くした。
原穀は、類なき孝行な孫であるとして、その名を世に上げることとなった。
親に悪い点があって、子が諌めようとしても、聞き入れてもらえなかったら、子としてはどうしようもない。それを原穀は、父の悪に従いながらも、父の悪を諌め、また父に逆らわぬようにしながら、父を孝道に引き入れることに成功した話は、ひとかたならぬ孝孫であることを示している。
![にほんブログ村 科学ブログ 人文・社会科学へ](http://science.blogmura.com/socialscience/img/socialscience125_41_z_leafpot.gif)
唐土、どこの出身かは分からないが、原穀という人がいて、年は若かったが、才智は類がないほど人に優れていた。
その頃、原穀の祖父は、年を取って体も弱り、立つことも不自由になってしまったので、父母は困り果て、祖父を山へ捨てようと言い出した。原穀はまだ15歳であったが、涙を流し、父母を諌めたが聞き入れられず、手輿を作って祖父を乗せ、父子で遠い奥山の高い所に捨ててしまった。
さて、父子が帰っている時、原穀が手輿を捨てずに、遠い道のりを持ち帰っているのを父が見て、
「お前はどうして、その輿を捨ててしまわないのだ」
と言えば、原穀が、
「それは、今度、父が年老いた時、山へ捨てる場合のために、持ち帰っているのです」
と言ったので、父は大いに恥じ、ついに祖父を輿に乗せ連れて帰り、その後は、ひたすら孝行を尽くした。
原穀は、類なき孝行な孫であるとして、その名を世に上げることとなった。
親に悪い点があって、子が諌めようとしても、聞き入れてもらえなかったら、子としてはどうしようもない。それを原穀は、父の悪に従いながらも、父の悪を諌め、また父に逆らわぬようにしながら、父を孝道に引き入れることに成功した話は、ひとかたならぬ孝孫であることを示している。