野菜と果物とミスチルとうさぎとパンダ好き♪

食べる事、音楽、動物が好き、何事にもポジティブに暮らす調理師で野菜ソムリエpikaの日々の紹介です。

入院生活その2(病院食その1)

2009年09月10日 | 甲状腺腫瘍摘出手術
今回の入院体験で、病院食は勝手に期待していた。
色々な方々の入院生活のブログを拝見したところ果物も毎回付き病院食は意外にも結構充実しているようだったので。
元々家庭でも野菜中心のお粗末な食生活をしているし、なんといっても何もせずに食事が運ばれてくるう~上げ膳据え膳生活が主婦にとってはうれしくもあり、気分は上昇

まず、入院一日目のお昼
入院が午前中だったのでお昼から病院食がスタート。
ご飯200g
鯖の味噌煮
チンゲン菜の炒め物
フルーツ(梨)

魚好きな私にはラッキーなスタートとなった。
が、この時点で米の量に比べておかずが少ないじゃないかと気づく
スープも味噌汁もない
結局鯖の味噌煮の汁を残ったご飯にかけて完食。
この病院特に食事制限のない患者には入院3日目以降食事を選べる仕組みになっているA、Bの2コースから選択。
この日についてきたのが、28日のメニュー選択の用紙だった。
選択できるはずが、28日の昼は1コースしかないと書かれていた。


その日の夕食
ご飯200g
鶏肉のから揚げ
キャベツの甘酢和え
切干大根煮

お昼より1品増えたものの、汁物がない?そして果物もない(やっぱり夜は果物食べるものじゃないのね、とせつなくなる)
(ピンクのカップに入っているのはお茶です)
漬物さえあれば、ご飯をすべて食べられたのですがこのおかずだけでは食べきれず
おかずはずべて食べましたが、ご飯を少し残してしまった

そしてこの夜下剤を飲まされる。
看護士さんに、お通じの良い私が飲んだら夜中お腹ゴロゴロして眠れないのではないか?と尋ねたらニヤッとされて明日の朝に出たくなるような下剤なので大丈夫ですよ~と言われた。
その通りで翌朝いつもの時間に普通に出ました

入院2日目は手術の日なので禁食の札をベットに下げられ明日は何も食べられない、飲めない(水分は夜中の12時以降もダメだった)。
人生初のまる1日何も飲まない食べない日がやってきた。
と、言っても手術室に行くのが朝一番の9時だったので、そんなに辛くはなかった。
この日禁食だった為29日のメニュー選択は出来なかった。(そんな事に気づいたのが29日の朝食の時だったのですが・・・)

そして入院3日目術後1日目へつづく・・・・


入院生活その1

2009年09月04日 | 甲状腺腫瘍摘出手術
5日間の人生初の入院生活。
手術をしたにもかかわらず、結構無理やり術後3日目にしてタクシーに乗り1人で退院してきた私は、めまいや頭痛を感じる日々でした。
退院3日目にきっくを連れて(旦那の車で)動物病院へ行き獣医さんに退院おめでとうございますの言葉と一緒に顔が青い事を指摘された(さすが、先生)
でも、私の担当の先生が言ってくれたように、1日ごとに回復してきているのを感じています。
心配して連絡くれた方々ありがとう。
睡眠も充分にとれるようになりました。
ただ・・・・・・・
目を瞑ると、多分夢の中でも、
手術室の麻酔をかけられる前の出来事や麻酔から覚めたときのことなどが
はっきりと思い出されて、頭の中から離れない
思い出したくないのは、術後病室で夜中に痰がからみ、腰が砕けそうになるほど痛くなったり、熱が上がってしまい頭が痛く、もちろんメスを入れた首もヒリヒリずきずきして、苦しんだこと
ナースコール押しまくりで「ゲーゲー」と大騒ぎをした
痰がからまなければ、こんなに苦しくならなかったはず。
「吸引をしようか?でも管を入れるから気持ち悪くなるよ」と言われて即「ダメ」と手を振った
でも、夜中のピーク時にはチャレンジした。
口から管を入れるのは想像しただけでももどしてしまいそうだったので、鼻から入れてくれたのだが・・・・・・管が喉を通過した瞬間看護士さんの腕をつかみ「やめてくれ~」と気持ちで訴えたと同時に「おえええええ~っ」と、もどしてしまった
もどしたものは、痰
でも、全然すっきりしない・・・・
再度吸引にチャレンジするも無理だった私
首にメスを入れたので、起き上がってはいけない、しかも痰も唾もごっくんと飲み込んではいけない、そんな状態で痰を出すのはかなり難しい。
痰との闘いが一番辛かったぁ

術後の夜は、「苦しくなる」と入院前に看護士さんからの説明があった。
吐き気止めや睡眠薬などを使えるけれども、甲状腺の手術の方々は苦しくなるのがほとんどと言われていた。
そして、事前に手術経験者の方々のありがたい情報を収集していた私のデータからも術後の夜は覚悟した方が良さそうだと思っていたので、夜中に苦しみながらもこれがみんなと同じ苦しみだろうか?とか朝がくれば、起き上がれるようになれば、解放されるだろう。と自分を励ましていた

そんな苦しみも乗り越え自宅療養中。
さっそく保険やさんに連絡をしてみた。
入院期間が5日。
「じゃ、手術はしていませんね?」
とか、手術名などを話しても「ファイバースコープなどを使った簡単な手術で切ってはいませんね?」とか勝手に軽く言われている
「全身麻酔をして5cmくらい首の前を切っています!」と伝えた

入院生活は辛いことだけじゃなく、おもしろいこともありました
同じ部屋で同じ日に乳がんの手術を受けた75歳の元気で呑気なおばさまがお話好きでとにかく元気だった。
更に口数の少ない耳が少し遠くなってしまっているご主人とのやりとりがメチャクチャおもしろかったのです。
おばさまとも色々お話も出来て、苦しいだけではなくおもしろくもありました。

病院では今すべてがバーコード管理
入院の日から腕にはバーコードが・・・
写真は退院の日に写しました


麻酔の事とか、この病気の事とか、なんでも質問がありましたらコメント欄に書き込みくだされば、体験した事をピックアップして紹介します。



今年の夏の思い出

2009年08月31日 | 甲状腺腫瘍摘出手術
すっかり空気は秋を感じられるようになっておりますね、おまけに今日は台風が近づいているようで。

この夏の思い出は?
今年2度目の人生初体験をしたことです。
「人生初の手術入院を体験してきました」

すご~く長くなるのと、初めて知った方は、すご~く驚かれると思いますので
少しづつ紹介していきます。

5月から手術は必要だというのがわかっていて、6月に先生のスケジュールに合わせて予約を入れられたのが最短で8月26日でした。
入院までに、気持ち的にも準備期間がもてたので入院までの間に色々な準備をしてきました。
25日に入院、予定より1日早めてもらい29日に退院してきました。

検査段階から病名は微妙に変化して、
入院前の診断は「甲状腺腫瘍」
手術は、「甲状腺右葉切除」

「甲状腺」と聴いて「絢香さん」を想像する方が多いかと思いますが、絢香さんとはまた違った病気です。
私が感じていた自覚症状は、「しこりが出来て大きくなってきた」という、見た目だけの症状。
たまたま、友人の知り合いが随分前に甲状腺摘出手術を受けたことがあるとかで
この私の友人から「早く病院に行った方がいいよ、摘出したら元気に生活出来るから・・・」と漠然とした情報と共に私の背中を押してくれた。
そう、私はこのしこりが段々大きくなってきていることを知っていたのだ

ここで説明するのは、とても大変なので、興味がある方はいくつかの病院で説明されているページに飛べるようにしますので、それでじっくり読んでください。
http://www.ito-hospital.jp/02_thyroid_disease/02_7_1about_nodle.html
私を担当してくださった先生は、甲状腺では有名なこの↑の病院の出身。
現在も週1で外来を担当しています。

甲状腺外来で最初に付いた病名は「甲状腺濾胞性腫瘍」
腫瘍が悪性であれば、濾胞癌もしくは乳頭癌、
色々な検査をしてきた段階では、ステージ2(ステージ3からが悪性)
血液検査でも異常は無いため、良性と判断できるが、腫瘍を摘出して最終診断が下るとのこと。
担当医は、エコーでの見た目も細胞診でも良性だが人間の最近の不良のように表向きは良い顔していても中身は悪いヤツ、という事もありこのままそれ(悪)を見逃してしまうと、リンパや骨などに転移してしまうこともある。
先生の経験上、リンパの癌・・実は甲状腺からだったんだ。という症例などをいくつも見てきたのでほっておけないと話してくれた。
ネットで色々な病院の紹介しているこの病気について調べていると細胞診が良性ならまず、問題ないように説明されていたので、ほんとに良性だということを実感した。

その辺のことが私の担当医が話してくれた言葉どおりに紹介されているページ。
http://www.kuma-h.or.jp/kojyosen/byoki/akusei/rohogan.html


私の場合、腫瘍の大きさがすでに5cm近くあり気管にくっついていること、
徐々に(多分5~6年かけて育ってきたようです)大きくなってきているので、このままにしておくと気管や食道を圧迫してしまうなどその他に影響が出てくる(レントゲンで腫瘍の圧迫で気管が少し曲がっていたことがわかった)。
先生が摘出を勧める理由は、摘出してしまえば、最終診断が下り今後の治療に進めることや、気持ち的にもさっぱりする、区切りがつく、ということを話してくれた。
そしてすぐにうなずけた先生からの言葉は「○○さんが今70歳や80歳ならば手術は勧めない、この先腫瘍が悪さをしだすか寿命が先かわからない状態の年齢だから、でも○○さんはまだ若い(えっ?若い?と返してしまった)この先まだ40年は生きることを考えて腫瘍をかかえての日々より摘出してさっぱりと先に進める為に・・・・」
というような話しだった。
「今まで45年間大きな病気ひとつなしできたから不安だよな~、わかるよ」
と、言ってくださり、色々お話をしてくれた。
ガッツのある、そして自信満々のしっかり私の目を見て話しをしてくれる、好感のもてる先生に出会ったのです
しかもこの先生に出会ってから、「生きること」まだまだ自分は生きることを知らされた気がした。

ここまで読まれて、実は悪性だけど本人告知を避けてこんなやりとりがあったのでは?と思われるかもしれませんが・・・・
腫瘍があり紹介状を持ち最初にこの先生のいる病院を訪れた時の問診表に
「腫瘍が悪性(癌)であった場合、本人告知をしても良いか?とかご家族に告知しても良いか?」などに○をつける項目があった。
一瞬はビビッタのですが、医療保険の他にガン保険にも加入してきた私、「ガン告知してもらわないと保険請求できないな~?」とかなり冷静に告知に○をつけてあったので、はじめからすべてが正直に話されています。

さて、これまでの私は自分の入院の不安より家に残さねばならないきっくのことで頭がいっぱいの日々だった。
この期間にきっくは自分で立つことが出来なくなったので尚更不安だった。
動物病院であずかってくださるという選択もあったのですが、先生との相談の結果自宅で留守番をさせることに。
しかも、今まで世話をしたことのない、アレルギーのある旦那に任せることとなる。
毎日の投薬もあるし、てんかんを起こした時の対処方法もあるし、写真付きのマニュアルをファイルにして作成
ファイルには、病院の連絡先のほか、うさぎを飼っている頼れる友人達の連絡先も残して。


毎日のご飯や牧草、ケージに入れるシーツなどを準備


入院当日は、さりげなくきっくとさよならして出発
きっくに対する気持ちは
でも、私を担当している先生が言ってくれた「主婦の休日のつもりで・・・」というほんと~にこんなことでもないと、ゆっくり出来ないから、いいチャンスなんだよな~とも思いつつ病院へ向かいました。

つづく・・・・・