わくわくするもの.blog

わくわくする、ひと・もの・こと。
ゆるゆる、私の心で感じたこと。。
ここでの皆さんとの出会いにも、わくわく・・・。

ポンサリーからの電話

2005年07月18日 | ラオスの人たち・出会い
 土曜日、ウドムサイで開催されていた、2週間のワークショップが
無事終了しました。
私は、土曜日の夕方にルアンプラバンに戻ってきて、日曜日には、5月にブログで
ご紹介した、シェングン郡の村(「援助はいりません村」)に行ってきました。
 今日からは、山積みのデスクワーク・・・。
 
 今朝、郵便局にいたときのこと。携帯電話が鳴りました。
「ハロー。ぴえっと先生?お元気ですか?先生、今どこですか?」。
若い男性の声。
名前を名乗らないし、聞いたことのない声だから、誰かわかりません。
でも、「ぴえっと先生」って私のことを呼ぶ人は、先日のワークショップに
参加した先生たちしかいない。

 「今、郵便局にいるんだけど。え~っと、どちらからのお電話?」。
「ポンサリーのブンヌア郡の、・・・です。で、・・・先生も、ぴえっと先生と
話しがしたいって言っていますから、電話かわりますね」。
先日のワークショップに参加していた、新しい中学校の若い先生たちからでした。
「ブンヌアには、日曜日の夜8時ごろに、無事到着しましたよ」。
 ウドムサイから、バスで1日半かけて、村に戻ったのだそうです。

 電話を下さった若い先生たちの中学校は、2年前に開校したばかり。
生徒数30人。1学年。教員4人。全員新米教員。
校長先生でさえも、教員経験2年(2番目に電話に出てくれた先生)。
 この中学校では、今後、毎年、学年を増やしていくそうです。

 何十もの少数民族が暮らすブンヌア地域では、2年前までは、
ほとんどの住民が、ケシを栽培して、アヘンを生産していたそうです。
以前は、誰も子どもの教育に関心なかった人たちが、アヘン生産が禁止されて、
他の換金作物を植えるようになると、子どもを小学校へ、中学校へ通わせたいと、
希望するようになったそうです。
 親たちは、みんなで協力して、中学校の校舎を一部屋建てたそうです。

 「遠くから、お電話ありがとうね。いつか、ぜひとも学校を訪ねたいな」。
今日は、ラオスの将来のことを、ぐるぐるとたくさん考えた、一日になりました。

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