わくわくするもの.blog

わくわくする、ひと・もの・こと。
ゆるゆる、私の心で感じたこと。。
ここでの皆さんとの出会いにも、わくわく・・・。

人は見た目が9割?

2006年10月13日 | ラオスの人たち・出会い
 先週末から今週にかけて、むぅむぅ兄さんとKINOさんが
送ってくれた本を何冊か読んでいます。
で、竹内一郎「人は見た目が9割」(新潮新書)も読みました。
身なり服装で、「~っぽく」見せることは誰にでもできます。
でも、その人の「目」や、ちょっとした身体の動き、しぐさなどは、
嘘を言いません。その人の本当の姿が見えると、私は思います。
 そういう意味で、「人は見ため9割」に賛成かな。

 去年の今頃、詐欺集団に遭遇した事件を思い出しました。
ラオス・ルアンプラバンから2時間ほど離れた村に向かう道中、
乗り合い改造トラックの中での出来事。
出発前から乗客一人一人に気軽に話しかけていた軽い感じの
若い男と、県の職員っぽい男、それから、どんくさそうで
つかみどころのないおどおどした中年男が、その詐欺集団。
 人間の心理を巧みに操ったギャンブル詐欺でした。

 軽い感じの男が、ビールの栓を2つ、右手左手へと転がして
握った右手の中に残った栓の数を、見ていた乗客に賭けさせる。
あまりにも簡単な賭けなので、乗客みんな夢中になりました。
で、突然、中年男が大金を賭け出してどんどんもうけるのですが、
軽い感じの男と公務員っぽい男がこの中年男を騙して大儲けします。
自分も簡単にもうかると思った若い女の子が、中年男と大金を
賭け合って、当然のことながら、儲かりました。
でも、最後の賭けでは大金と携帯電話を賭けた女の子が負けました。
 即、前述の男2人が下車し、続いて、中年男が下車しました。

 私は、第一印象が当たったなと思いました。
「一見、公務員っぽいけど、お金に目がくらんだ悪党親分」。
出発を待つトラックの中で、私の隣の乗客がカバンから財布を
出した時に、県の職員っぽい男が、獲物を探す鷹のような目つきで
財布の中を覗き込んでいたのを見て、私は瞬間的に思いました。
あの目は、本当に普通の人の目ではなかったです。
 「人を見た目で判断する」ことも、時には必要でしょうね。

中秋の名月

2005年09月18日 | ラオスの人たち・出会い
 あ~、ザンネン。
ルアンプラバンは、しとしと雨が降っています。
今朝のブログで、今日は、「ホー・カウ・サラーク」の日とご紹介しました。
そういえば、今日は、日本でいう、中秋の名月の日ですね。
 みなさん、お月見を楽しんでいますか?

 3年前のこと。
この、中秋の名月の日に、私は、ここから160キロ離れた村にいました。
先日ご紹介した、おかあちゃん(イメー)が暮らす、タイ・ルー族の村です。
この日、タイ・ルー族の村の人たちは、朝からとても忙しそうでした。
女性たちは、何種類かの料理を作り、大きなおせんべいを作ります。
 そして、食べ物を大きなお盆に載せて、お寺の「ブース」に運んで行きます。

 男性たちは、前日から、お寺に泊まり込んで、それぞれ準備をしていました。
亡くなった身内のための、言ってしまえば「ブース」を、お寺の中に作るのです。
そのブースには、亡くなった方の身内の想いが、一堂に集められています。
たとえば、巨大な馬。
骨組みは竹、ワラで肉付けし、さらに藍染の木綿布をワラの上に巻きつけて作ります。
旗のように、女性たちが織った生成りの木綿布が、竹の棒から垂らされます。
生前の写真や、アメリカの親類からの贈り物だという、新品の洋服や革の靴など、
いっぱ~いその「ブース」にお供えものが飾られました。

 当日のお昼前でしたか。
外では、沢山の人たちが、太鼓を叩いたり、手を叩きながら歌を歌ったりして、
お寺の周りを賑やかにしていました。
その後、お寺の中で、沢山のお坊さんたちが集まって、お経を唱えます。
 私も、各「ブース」に集まった人たちといっしょに、お参りをしました。

 「ブース」に供えられたものは、お寺に寄進されるそうです。
でも、自分の身内の「ブース」で、自分が使いたいものがあれば、
その品物相応のお金をお寺に払って、買うこともできるそうです。
なんだか、面白い制度だなと思いました・・・。
 今晩も、おかあちゃんたちは、お寺に集まって、わいわいやっているのかなあ?

おかあちゃん

2005年09月09日 | ラオスの人たち・出会い
 今日のお昼すぎのこと。
おかあちゃんが、村から会いに来てくれました。
「娘のぴっさん、よ。おかあちゃんだよ。家に入ってもいい?」
「ぴっさん」というのは、私のこと。
おかあちゃんも、おかあちゃんのお父ちゃん(おじいちゃん)も、
私のことを、「ぴっさん」と呼びます。
 「ぴえっと」という外国の言葉は、どうも、呼びづらい・覚えづらいようです。

 家に入って来たおかあちゃんは、いつものように、美しく、両手を
自分の鼻のあたりで合掌させて、私にご挨拶してくださりました。
「サバイディー。ルーク。病気もせずに、元気でいたか~?」。
私は、この、おかあちゃんの、丁寧なご挨拶が、とても好きです。
 とても美しい挨拶だなあと、いつも感心します。

 おかあちゃんは、ここから160キロほど離れた、美しい村に住んでいます。
「おかあちゃん、綿(ワタ)は、もう花咲いたの?」
おかあちゃんは、村から徒歩1時間ぐらいかかる焼畑で、木綿を植えています。
「まだだけど、もうすぐだよ」
「で、収穫は、いつになるの?」
 「12月。来月の、オークパンサー(雨安居明け)を迎えてから」。

 12月とおかあちゃんが言ったのは、タイ・ルー族の暦でのこと。
私たちでいう、10月。
おかあちゃんと、時期の話しをするときには、頭の中のカレンダーを、
2ヶ月早めるようにします。
 「私、綿花の収穫に手伝いに行けたら、行くからね」。
 
 ・・・と、今日も、おかあちゃんと楽しい時を、過ごしました。
来月、おかあちゃんに会いに、村に行けたらいいなあ・・・。

(今日は、特別、おかあちゃんの美しい髪形のお写真を撮らせて頂きました。
 天女のようで、美しい・・・)。

ラオス人の記憶力

2005年09月08日 | ラオスの人たち・出会い
 よく、ラオスにいて、驚くこと。
それは、「ラオス人の記憶力のよさ」。
未払いの金額(自分が受け取る分)。宝くじの当たり番号。電話番号。人の顔。
「本当に、よく覚えているなあ」と、いつも感心します。
 最近も、また、すごい記憶力の持ち主と再会しました。

 朝、エルエー梅子に乗って、タラートに行く途中のこと。
後ろから来た二人乗りのバイクが、私を追い抜かそうとしたとき。
「お久しぶり!どこに行くの?」
バイクの後ろに乗っていた若い女性が、笑顔で私に話しかけてきました。
「・・・いま、タラートへ行くところなの」。
 とは答えながらも、その女性のことを思い出せない・・・。

 「う~ん、誰だったかなあ。どこで会ったのかなあ?」
彼女といろいろと会話をしながら、頭の片隅で、必死に考えていました。
それから、数分後のことでした。
「あ~っ!!あの果物売りの方だ~。」
 そう思い出したころには、もう、お別れでした。

 彼女は、ちょうど一年前に、私がルアンナムターからルアンプラバンに
バスで戻る途中に、隣の席になった方。
「あなた、ムアンシンで仕事していたでしょ?」
彼女は、2年前まで、ルアンナムターのムアンシンの市場で果物売りをしていて、
時々、買い物に来ている私を見かけたことがあるのだと、話していました。
 そのときも、ふいに、そう話しかけられて、舌を巻きました。

 ほんと、どうして、こんなに記憶力がいいのでしょうか。
どなたか、教えてください。


間違い電話

2005年07月30日 | ラオスの人たち・出会い
 ちょっと涼しくなった、夕方。
ベトナム系のお姉さんのミニマートで、お買い物中のとき。
携帯電話が鳴りました。
画面には、相手からの名前が表示されています。
 いつもお世話になっている、カムウアンさんからのお電話のようです。

 私が、「ハロー」と電話に出ると、間髪を入れずに、カムウアンさんは、
「うん?誰だい?」と、私に聞いてきました。
ラオスでは、よくあるパターン。
電話をかけた側の人間が、名乗らずに、いきなり相手に「あんたは誰?」とか、
「そちらは、どこかい?」と、聞きます。
慣れていなかった5年ほど前は、「そちらこそ先に名乗って下さいよ!」と、
このような電話がある度に、いちいち反発していましたが・・・。
 
 「サバイディ。ぴえっと、ですよ。カムウアン兄さん・・・」。
「あれ~?あはは。そうかい。ぴえっとかい・・・」。
どうやら、カムウアンさんは、間違えて番号を押してしまったようでした。
「カムウアン兄さん。間違え電話だったの?それとも、ルアンプラバンにいる
妹のことが恋しくなったの?」と、ジョーダンを言うワタシ。
「ああ、そうだよ。ぴえっとのことが恋しくって、恋しくってねえ・・・」。
 カムウアンさんは、決して、間違い電話だったとは言いません。

 このカムウアンさんとは、4年来のお付き合いです。
ウドムサイの織物プロジェクトで問題がある度に、いろいろとアドバイスを
下さったり、プロジェクトが終了してからも、何か問題が生じると、
いつでもどこでも、必ず助けてくださりました。
言う必要もないことですが、カムウアンさんは、賄賂が大嫌いです。
 「ぴえっとは僕の妹だからね」と、いつも応援してくれます。

 日ごろご無沙汰していましたので、ついつい、長電話になってしまいました。
私にとっては、とってもありがたい、間違い電話でした。

ポンサリーからの電話

2005年07月18日 | ラオスの人たち・出会い
 土曜日、ウドムサイで開催されていた、2週間のワークショップが
無事終了しました。
私は、土曜日の夕方にルアンプラバンに戻ってきて、日曜日には、5月にブログで
ご紹介した、シェングン郡の村(「援助はいりません村」)に行ってきました。
 今日からは、山積みのデスクワーク・・・。
 
 今朝、郵便局にいたときのこと。携帯電話が鳴りました。
「ハロー。ぴえっと先生?お元気ですか?先生、今どこですか?」。
若い男性の声。
名前を名乗らないし、聞いたことのない声だから、誰かわかりません。
でも、「ぴえっと先生」って私のことを呼ぶ人は、先日のワークショップに
参加した先生たちしかいない。

 「今、郵便局にいるんだけど。え~っと、どちらからのお電話?」。
「ポンサリーのブンヌア郡の、・・・です。で、・・・先生も、ぴえっと先生と
話しがしたいって言っていますから、電話かわりますね」。
先日のワークショップに参加していた、新しい中学校の若い先生たちからでした。
「ブンヌアには、日曜日の夜8時ごろに、無事到着しましたよ」。
 ウドムサイから、バスで1日半かけて、村に戻ったのだそうです。

 電話を下さった若い先生たちの中学校は、2年前に開校したばかり。
生徒数30人。1学年。教員4人。全員新米教員。
校長先生でさえも、教員経験2年(2番目に電話に出てくれた先生)。
 この中学校では、今後、毎年、学年を増やしていくそうです。

 何十もの少数民族が暮らすブンヌア地域では、2年前までは、
ほとんどの住民が、ケシを栽培して、アヘンを生産していたそうです。
以前は、誰も子どもの教育に関心なかった人たちが、アヘン生産が禁止されて、
他の換金作物を植えるようになると、子どもを小学校へ、中学校へ通わせたいと、
希望するようになったそうです。
 親たちは、みんなで協力して、中学校の校舎を一部屋建てたそうです。

 「遠くから、お電話ありがとうね。いつか、ぜひとも学校を訪ねたいな」。
今日は、ラオスの将来のことを、ぐるぐるとたくさん考えた、一日になりました。

ウドムサイのデザイナー

2005年07月13日 | ラオスの人たち・出会い
 今日は、「ウンカム」のことを、ご紹介します。
ウンカムは、ウドムサイのテキスタイル・デザイナーです。
写真の手前に写っている男性が、ウンカムです。
ウンカムの後ろに写っているのは、奥さんと、息子のアヌシットくんです。
写真の背景になっている家は、「タイ・ルー ハンディクラフト」というお店。
 ウンカムがデザインした木綿の手織りの布や、ちくちく縫った小物を販売しています。

 ウンカムは、私が2000年から2002年まで担当していたプロジェクトの
デザイナーとして働いていました(デザインは日本人の専門家から学びました)。
2002年からウドムサイ県の公務員に採用されましたが、その頃から、週末を利用して、
手織り布のビジネスを始めました。
それから、2003年からは、オフィスアワーには、経営大学に自費で通い始めました。
 さらに、ウンカムは、今月末日付けで、公務員を辞めるのだそうです。

 今年の4月の、ピーマイラーオ(ラオスのお正月)のときのこと。
「僕はねえ、決心しちゃったよ。お正月明けに、公務員辞めるんだ。
もしも布ビジネスで食って行けなくなっても、家具とか作って売れば、なんとか
食っていけると思ってね。ははは。決心しちゃったよ。あははは・・・」。
ウンカムは、友達とお酒を飲んでいたらしく、私が会いに行ったときには、
相当酔っ払っていて、超ご機嫌。
「えっ?本気なの?酔っぱらっているだけでしょ!!」と、ふっかけてみましたが、
 「本気だよ。もう村の両親からも、カミさんの両親からも理解してもらっているよ」。

 ウンカムがそう決心してから、3ヶ月。
ウンカムは、ついに、公務員を辞めて、織物ビジネスに挑戦します。
7月からは、「タイ・ルー ハンディクラフトショップ」のオーナーです。
で、「タイ・ルー」とは、彼の民族の名前。
ウンカムがデザインした布は、ウンカムが生まれ育った、タイ・ルー族の村の女性たちに、
伝統的な方法で織ってもらっています。

 「ウンカムらしさを忘れずに、いい製品つくってね」。
ウンカムの今後の活躍が、本当に、ほんとうに、楽しみです!!

うちのわんこ

2005年06月30日 | ラオスの人たち・出会い
 今日は、うちのわんこをご紹介します。
うちのわんこ、とはいっても、うちで飼っている犬ではありません。
うちのご近所さん(ちくちく隊長ウアイチャン)とこの犬。
名前は、「ワンチャン」。
 そのまんまじゃんって、つっこまないでください(笑)。

 このワンチャン。毎日のように、ウアイチャンといっしょに、
うちに遊びにというか、ごろごろしに来ます。
どうやら、このワンチャンは、うちの玄関のタイルがお気に入りみたい。
冷たいからかな?
私が外出していても、玄関の前で、ごろごろしています。
 だから、ワンチャンは、うちの番犬みたいな存在になっています。

 で、このワンチャン、かわいいんです。
私が外出する際には、門まで近づいてきて、「行ってらっしゃい」。
私が外出先から戻ると、たとえごろごろしていても、必ず立ち上がって、
尻尾をちらちらっと振って、「おかえりなさい」をしてくれます。
 しかも、じーっと、私の顔を見て。

 今日も、「ワンチャン、ちょっと出かけるね。そこでごろごろしながら、
待っていてね」と声をかけて外出。
「ワンチャン、ただいま。また、待っていてくれたんだね。ありがとうね」と、
笑顔で声をかけました。
 ワンチャンは、なんだか嬉しそうに、尻尾をちらちら振っていました。

 いつか、「今日のわんこ」に紹介されないかな?な~んてね。

村の宴会

2005年06月16日 | ラオスの人たち・出会い
 あ~、昨日は、ブログ更新できなかった・・・。
 
 昨夜から、偏頭痛がひどくて。ふらふら。
でも、ご心配なく。
ただの二日酔いでした。
 朝の梅干とお茶漬けで、復活しました。
 
 で、昨日のはなし。
村の女性たちとの仕事が終わった後のこと。
お酒だ~、歌だ~と、どんちゃん騒ぎ。
 真昼間だというのに。

 おばちゃんたちは、心待ちにしていた、宴会。
「これを楽しみにして、日々の焼畑での辛い農作業を、踏ん張るのよ」。
おばちゃんたちは、そういって、お酒をくっと飲んで、がはがは笑う。
 本当に、楽しそうなおばちゃんたち。

 一方、私は、だんだんと、楽しい気持ちを保ち続けられなくなってしまう。
グラスにちょっとだけ入ったお酒を、2杯飲んだだけなのに。
もう、酔っ払って、眠くなっている。
「歌も一曲歌ったから帰りたいなあ・・・」。
とは思っても、そう簡単には帰れない。
 でも、2時間ほどで限界でした。
 
 で、なんとか村からルアンプラバンに戻ってきて、夕方。
カオニャオさんら数人で、シンダート(炭焼き肉とタイスキを合体させた料理)を
食べに行った際に、私は、調子に乗ってビールを一杯飲んでしまいました。
 これが、二日酔いの原因。
 
 今日は、辛かったのですが、なんとか村での仕事も済みました。
今から夜行バスに乗って、ルアンナムターに行ってきます。

ラオスの落語?

2005年05月20日 | ラオスの人たち・出会い
 ただいま、ルアンプラバンに戻ってきました。
あ~、つかれたぁ。

 ウドムサイから、休憩入れて、5時間。
今回の仕事で、ずっといっしょだった6人のラオス人の先生たち。
道中、車の中で、ず~っと、アレコレ話して、笑いっぱなし。
話の内容は、夫婦とかの話しで、どぎついシモネタばっかり。
 ちなみに、この6人中4人が女性。

 落語みたいに、一人ひとりが、皆に向かって話をします。
感心するほど、みんな、ネタもち。一人5話は話していました。
でも、超ネタもちさんは、ノンストップ。永遠と話ていたね。

 日本人も、昔は(今も?)田植えをするときといった、
共同労働のときには、女性たちもどぎついアレコレ話して、
笑って、疲れを感じないようにしていたそうです。
 
 今回、私は、昼ごはんを食べすぎたせいで、車酔い。
でも、皆がわいわい話しているのにつられて、笑っていたら、
いつの間にか元気になっていました。
 こういうときは、思いっきり、笑い飛ばそう。

 ・・・ということで、明日から、またがんばります。
まずは、メールのお返事をしようっと。
ずっと出張でメールを書くことができなかったので。
 

かみしばい

2005年05月17日 | ラオスの人たち・出会い
 まだ、ウドムサイにいます。
私が住んでいた頃と比べて、ずいぶんと、町の様子は変わりました。
中国の投資でじゃんじゃん建物が建設されているので、
なんだか、かなり中国っぽいです。
外観だけは、ハデ。中身は・・・。

ここは、毎日、オフィスアワーの間だけ停電。
コンピュータを使えなくなるし、暑いのに扇風機も使えないし・・・。
だったら、最初から電気のない町にしておいたほうがいいかもねえ。

 昨日から、21人の小中学校の先生たちを対象とした、
あるワークショップのお手伝いをしています。
テーマは、「生徒中心の授業のための教材づくり」。

 今日は、ラオスの子供たちに絵本を送ったり、普及活動をしている
とある日本のNGOのラオス人スタッフの方が、「かみしばい」を教材として
活用できる、という授業をしてくださりました。

 サットくんが、いつものように、森にう○こしに行きました。
村の豚が、後を追っかけてきます。
男の子がう○こをちょっとしたとたん、豚がう○こをめがけてやってきました。
 サットくんは、急いで田んぼの近くに走っていきました・・・。

 「う○こはトイレでしましょう。その後は手を洗いましょう」。
ということをこどもたちに理解してもらうための、保健衛生教育用かみしばい。

・・・会議室のみんなは大笑い。笑った、わらった。
み~んな、このサットくんと同じ体験をしているから、
笑い事じゃあないのにね・・・。

 田舎の小中学校の先生らの真剣な眼差し。
みなさん、いい顔をしていました。
 明日から、子供たちが興味をもつような教材作ってくださいね。

ラオス人の記憶力

-0001年11月30日 | ラオスの人たち・出会い
 よく、ラオスにいて、驚くこと。
それは、「ラオス人の記憶力のよさ」。
未払いの金額(自分が受け取る分)。宝くじの当たりの番号。電話番号。人の顔。
「本当に、よく覚えているなあ」と、いつも感心します。
 最近も、また、すごい記憶力の持ち主と再会しました。

 朝、エルエー梅子に乗って、タラートに行く途中のこと。
ちょうど後ろから来た二人乗りのバイクが、私を追い抜かそうとしたとき。
「お久しぶり!どこに行くの?」
バイクの後ろに乗っていた若い女性が、笑顔で私に話しかけてきました。
「・・・いま、タラートへ行くところなの」。
 とは答えながらも、その女性のことを思い出せない・・・。

 「う~ん、誰だったかなあ。どこで会ったのかなあ?」
彼女といろいろと会話をしながら、頭の片隅で、必死に考えていました。
それから、数分後のことでした。
「あ~っ!!あの果物売りの方だ~。」
 そう思い出したころには、もう、お別れでした。

 彼女は、ちょうど一年前に、私がルアンナムターからルアンプラバンに
バスで戻る途中に、隣の席になった方。
「あなた、ムアンシンで仕事していたでしょ?」
彼女は、2年前まで、ルアンナムターのムアンシンの市場で果物売りをしていて、
時々、買い物に来ている私を見かけたことがあるのだと、話していました。
 そのときも、ふいに、そう話しかけられて、舌を巻きました。

 私は、けっこう、人の顔を覚えているほうだと、自分では思っています。
でも、ラオス人には、じぇんじぇんかないませんねえ・・・。