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ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち

2006年11月28日 20時11分09秒 | 読書記録2006
「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち, 大江健三郎, 新潮文庫 お-9-15(3544), 1986年
・ひさびさに読んだ、大江健三郎の小説。これまで初期の作品を主に読んでいたので、それと比べると作風が変わってきていますね。う~~む。こういう方向へ行ったか。。。頭に浮かんだ想像(映像)をいかに変形させることなく、そのままの形で体外に取り出すかに力を注いでいるように感じます。そんな繊細な扱いを受けた生々しい未加工品を突きつけられる一読者としては、ギョッとしてしまうのですけど。単純に、「おもしろい」とか「つまらない」だとか評価しずらい作品です。
・「雨の木(レイン・ツリー)」を主題にした短編集。『頭のいい「雨の木」』、『「雨の木」を聴く女たち』、『「雨の木」の首吊り男』、『さかさまに立つ「雨の木」』、『泳 ぐ 男――水のなかの「雨の木」』の五編収録。
・「それからしばらくして若い時分からの、友達というより友人にして師匠(パトロン)というのがあっている、音楽家のTさんから、「雨の木(レイン・ツリー)」という音楽を書いている、ついてはきみの小説の会話の一節を楽譜のはじめに引用したい、と話があった。」p.34 武満徹『雨の樹』についてのエピソード。このCD聴いてみたい~♪
・「そして僕がこの小説で表現したかったものは、その「雨の木(レイン・ツリー)」の確かな幻であって、それはほかならぬ僕にとっての、この宇宙の暗喩(メタファー)だと感じたのである。」p.39
・「ある学生の質問に答えて、フォークナーがいったというのだ。……between grief and nothing, man will take grief always.」p.42
・「メキシコ滞在時の僕は四十代はじめであったのだが、その五、六年の時の経過のうちに、生の根幹の歯車が確実に動いて、僕はすでによくよくの軽口の気分においてでなければ、首を吊るなどと口に出すことはできぬ人間となっていたのであろう。」p.87
・「そしてその新聞、週刊誌のたぐいが、どれもこれも血みどろの死体の写真を印刷しているのである。窓の前に立って街路を見おろす僕としては、そこに印刷物による場を発見するような気分であった。  交通事故の写真が多かったのだが、タブロイド版の新聞の上半分を使って、潰れた小型自動車の窓からうつした、即死した恋人たちの、耳と鼻から口をタールのような血の紐でつないでいる写真。トラックの前車輪に下肢をまきこまれて、ふざけて両腕を伸ばしつつ叫んでいるような子供の写真。それらに加えて犯罪報道の写真では、被害者の人権はどう考えられているのか、暴行され殺された少女の、下腹部を血に染めた三色刷りの写真が出ていたこともあった……(中略)つまりメキシコの新聞、週刊誌には、このように血なまぐさい暴力的な死の情景を大きくとりあつかう習慣が、古くはじまって今日にいたっているのだと、理解されたのである。」p.97
・「僕は永く鯨の生態に関心をよせてきたが、太平洋に沈めてある国際電話のケーブルには、ところどころ大きなタルミがあって、そこに幾頭ものシロナガスクジラがからまって溺死しているという。僕はこの陰々滅々たる国際電話の間、非科学的な話ではあるが、その溺死しようとする鯨の、ボォーン、ボォーン、ウィップ、ウィップ、ウィップという啼き声が、たるんだ電話線にじかにつたわって響いてくるようにも感じていた……」p.139
・「「雨の木(レイン・ツリー)」は僕にとって様ざまな役割をもつものだが、ついには僕がどうにも生きつづけがたく考える時、その大きい樹木の根方で首を吊り、宇宙のなかに原子として還元される、そのための樹木でもある。」p.152
・「プロフェッサー、あなたもすでにそのようなところに入りこんではいないか? 高安は死んだが、あなたもまた、かれと同じころ、死にはじめていたのではないか、いまも死につづけているのではないか、by degrees for many years.」p.158
・「肉体が、人間の死後、原子にかえって地上にほとんど偏在するようになる。そう考えることではじめて、人は死の恐怖を相対化することができる、それは青年のころ発見した知恵だと、高安カッチャンはいったともいうのだ。」p.192
・「しかしこの無力感の灰に覆われた埋れ火のような忿怒は、自分の根幹の生に、永くかかってセットされたものだ。僕はそれを表現するためにこそ小説を書いてきたのかもしれぬのだが、」p.208
・「文筆が職業の中年男「僕」が、生き延びるための手がかりとして「雨の木(レイン・ツリー)」という暗喩(メタファー)を追い求める過程を書く、その構想をたてたのであった。」p.223
・「崩れた大理石と漆喰の粉のなかにね、露草みたいな花が咲いていたのと、そこに蟻が通ってきていたのと、窪みの日かげは裸にされた躰じゅうがひんやりして総毛立つようだったけど、井戸のなかから覗くような空は紺碧に輝いていたのを思い出すわ。数が変だけど七回も強姦されて、やっと解放されたけれども、腰がガクガクしてとても斜面を降りられないでしょう? 困ってるとね、さっさと下へ降りた連中が身ぶりをして、段落の通路を向うへ進めと教えてくれるのよね。(中略)――いまさら強姦されたことを思いだしてセンチメンタルになることもないわね。私には強姦され癖がついているというか、それがはじめてでもなかったし、終りでもなかったんだわ、あはは。」p.249
・「その恐ろしい夢が、僕には二種類ある。ひとつはその夢からさめた時、夢からはみだしてつづく痛苦の感情のなかで、これはいつか自分が実際にやってしまうことの予告だと感じられる夢だ。たとえば酔っぱらった末に女子中学生を強姦して、彼女を殺してしまってはいないまでも、下腹部を恢復不可能なまでにめちゃめちゃにしたところで、目がさめる夢。」p.267
・「生き残っている者にはどうしようもないじゃないか。生き残っている者には――これはアメリカの作家が書いていることだけど、decencyを守るくらいが関の山じゃないか?それはひかえめな態度で礼儀正しくある、というようなことだけれども。」p.287
・「――どうしてそう、なにもかもわかっているようなことがいえるのかなあ? ひとのことなのに……」p.290
・解説(津島佑子)より「一般的には、小説家志望の若い人たちにとって、大江氏はあくまでも身近な、そのくせ、特別に高い評価を受け続ける、ねたましくも、うらやましい存在だったのだ。」p.312

?モデュロール ル・コルビュジエが考案した建築モデュール。男性が手を上げた姿勢の指先・頭・みぞおち・つま先の間の三つの寸法が黄金比になっていることに注目し、これらをフィボナッチの数列に展開したもの。
?とうかい【韜晦】 自分の才能、地位、形跡などをごまかしてわからないようにすること。他人の目をくらまし、隠すこと。「自己韜晦」
?フォークロア (英folklore) 1 民間伝承。民俗。  2 民俗学。
?ちゅうたい【紐帯】 1 おびとひも。転じて、おびやひものように、両者を結びつけるたいせつなもの。つながり。「加盟諸国の紐帯」  2 特に、社会を構成している条件。血縁・地縁・利害など。
?りょりょく【膂力】 筋肉の力。うでの力。腕力。
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【本】ローマ人の物語 3・4・5 ハンニバル戦記

2006年11月25日 20時05分47秒 | 読書記録2006
ローマ人の物語 3・4・5 ハンニバル戦記(上)(中)(下), 塩野七生, 新潮文庫 し-12-53・54・55(6907・6908・6909), 2002年
・前巻『ローマは一日にして成らず』より、約半年の期間をおいての第ニ巻目。本当はニ~三ヶ月間隔のもっと早いペースで読むつもりだったのですが、、、自ら書いたブログを読んで記憶を復活。こんなとき便利♪
・主役はローマ人ではなく、ローマを荒らしまわったカルタゴの武将、ハンニバル。アルプスを越え、敵国の真っ只中、イタリア半島を戦いながら縦断し、結局地中海を一周して母国に帰るというアリエナイ離れ業をやってのけた男。前巻よりも時代が下り、当時の状況を伝える情報が増えたせいか、ハンニバルやスピキオなどの登場人物がより生き生きとしています。ちょっと面白くなってきました。続巻を読むのが楽しみです。
・「この第II巻『ハンニバル戦記』では、紀元前264年から前133年までの、130年間が対象になる。ローマ人にとっては、カルタゴとの間に闘われたポエニ戦役を中心に、ギリシアやシリアにまで及ぶ対外戦争の時代であった。」上巻p.14
・「日本で使われている高校生用の教科書によれば、私がこの巻すべてを費して書く内容は、次の五行でしかない。  ――イタリア半島を統一した後、さらに海外進出をくわだてたローマは、地中海に制海権と商権をにぎっていたフェニキア人の植民都市カルタゴと死活の闘争を演じた。これをポエニ戦役という。カルタゴを滅ぼして西地中海の派遣をにぎったローマは、東方では、マケドニアやギリシア諸都市をつぎつぎに征服し、さらにシリア王国を破って小アジアを支配下に収めた。こうして、地中海はローマの内海となった――」上巻p.15
・「戦争終了の後に何をどのように行ったかで、その国の将来は決まってくる。勝敗は、もはや成ったことゆえどうしようもない。問題は、それで得た経験をどう生かすか、である。」上巻p.90
・「ローマ人とカルタゴ人とのちがいの一つは、多民族とのコミュニケーションを好むか否か、であったような気がする。」上巻p.103
・「ローマ人の面白いところは、何でも自分たちでやろうとしなかったところであり、どの分野でも自分たちがナンバー・ワンでなければならないとは考えないところであった。」上巻p.104
・「ローマ人は、今の言葉でいう「インフラ整備」の重要さに注目した、最初の民族ではなかったかと思う。」p.109
・「ローマの支配圏に住む人々は、これまでは二種に分かれていた。ローマ市民権をもつ者と、もたない者の二種である。(中略)それが第一次ポエニ戦役終了後からは、属州民が加わって三種に分かれることになった。」上巻p.112
・「最高司令官の武将としての能力は、百人隊長をどれだけ駆使できるかで決まったという。カエサルを頂点とするローマの名将たちはいずれも、百人隊長の心を完全に手中にし、彼らを手足のごとくに使いこなせた男たちであった。」上巻p.136
・「天才とは、その人だけに見える新事実を、見ることのできる人ではない。誰もが見ていながらも重要性に気づかなかった旧事実に、気づく人のことである。」中巻p.127
・「シラクサにはアルキメデスがいたのである。一人の人間の頭脳の力が四個軍団にも匹敵する場合があることを、ローマ人は体験させられることになった。」中巻p.173
・「一年以上にわたってローマ軍を悩ませたアルキメデスだが、陥落時の混乱の中でも数学の問題を解くのに熱中していて、彼と気づかなかったローマ兵の一人に殺された。マルケルスは、それを知ってひどく残念がったということである。」中巻p.182
・「だが、このエピソードはローマ人の心の中に後々まで残り、子供を叱るときに母親は、「戸口に、ハンニバルが来ていますよ」と言うようになる。」中巻p.185
・「私には、アレクサンダー大王の最も優秀な弟子がハンニバルであるとすれば、そのハンニバルの最も優れた弟子は、このスキピオではないかと思われる。」中巻p.198
・「ハンニバルとスキピオは、古代の名将五人をあげるとすれば、必ず入る二人である。現代に至るまでのすべての歴史で、優れた武将を十人上げよと言われても、二人とも確実に入るにちがいない。歴史は数々の優れた武将を生んできたが、同じ格の才能をもつ者同士が会戦で対決するのは、実にまれな例になる。そのまれな例が、ザマの戦場で実現しようとしていた。」下巻p.62
・「そして、日本人である私にとってとくに興味をひかれるのは、ここには勝者と敗者しかいないという事実である。正義と非正義とに分けられてはいない。ゆえに、戦争は犯罪であるとは言っていない。」下巻p.87
・「第二次ポエニ戦役終了後の「第一人者」に選ばれたのは、34歳のスキピオだった。元老院は、この救国の英雄に、アフリカヌスという尊称を贈るとともに元老院内での「第一人者」にすることで報いたのだが、こうも若い「第一人者」はやはり異例だった。しかも、これ以後のほぼ15年間のローマ元老院の外政は、このスキピオ・アフリカヌスの主導で進むのである。」下巻p.96
・「スキピオは、戦術家としてならば、ハンニバルに大きく一歩を譲ったかもしれない。だが、政治家としてならば、彼のほうが上であったと私は思う。」下巻p.134
・「地中海は、ローマ人にとって、「われらが海(マーレ・ノストウルム)」になったのだ。」下巻p.206
・「歴史を書く作業は、歴史と斬り結ぶことだと思う。自らの全知能と全存在を賭けて、決闘することであるとさえ思う。」下巻p.iii
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【本】脳内不安物質

2006年11月21日 21時37分02秒 | 読書記録2006
脳内不安物質 不安・恐怖症を起こす脳内物質をさぐる, 貝谷久宣, 講談社ブルーバックス B-1184, 1997年
・『不安障害』について、不安の種類、不安を引き起こす脳内物質とそのメカニズム、治療法について、系統立てて説明されているが、内容が薄く物足りない。表題になっている脳内不安物質としては、ノルアドレナリン、セロトニン、GABA、炭酸ガス、乳酸、カフェイン、コレチストキニン、女性ホルモンの八つを紹介。
・薬物の投与で人間の情動をコントロールできつつあるというのは、気味が悪いというかなんというか、複雑な気持ちになります。
・「この病的な不安状態と関係する症状や徴候を、専門的には「不安障害」と呼び、アメリカ精神医学会がまとめた「精神疾患の分類と診断の手引き(DSM-IV)」によれば、不安障害はパニック障害、全般性不安障害、社会恐怖、単一恐怖、強迫性障害、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、および非定形性不安障害に分類されます。」p.22
・「パニック障害の患者さんではノルアドレナリン性神経細胞の活性がもともと高いうえ、そのブレーキ役のα2受容体の感受性が高くなっており、それに対応してノルアドレナリンを受けるβ受容体の感受性は低くなっていると考えることができます。不安症でも、全般性不安障害や社会恐怖の場合は、ノルアドレナリンが関係していると考えられています。」p.60
・「セロトニンは不安を引き起こすことにより、その人がもつ特有の病気、すなわちパニック発作や強迫症状を起こす"引き金"になるという考え方もできます。」p.63
・「しかし、カフェインはよいことばかりでなく、大量にとるとカフェイン中毒が生じます。この症状は強い不安感が特徴で、ときにはパニック発作とまったく区別がつかないことがあります。」p.75
・「最近考案された光フィードバック装置は、患者さんが特別な努力を払うことなしにα波の発生を助長します。これは、特定の周波数を持つ光で点滅刺激をすると、その周波数と等しい脳波が出現するという生理的な機能を利用したものです。」p.116
・「いわゆる精神療法の治療効果を客観的、科学的に証明した論文は見あたりません。筆者は30年間の臨床経験から、大部分の不安症の心理療法には現在のところ行動療法がベストだと考えています。」p.136 であれば『行動療法』を主題に書けばよかったのではないかと。それだと目新しさがなかったということかもしれませんが、読み物としては面白いものが書けたのではないかという気がします。
・「精神現象と脳機能との関係が少しずつ明らかになるとともに、脳内で機能する物質を与えることにより心の状態が変化し、逆に、心の持ち方を変えることにより脳内で機能する物質の動きが変わることがわかり始めています。これは、「新脳一如」と言ってもよいのではないでしょうか。このような脳科学の進歩を目の前にしたとき、不安症のような心の病気の治療戦略は、物質的な手段と心理的な手段とを同時に利用し、総合的に行っていくべきものであると筆者は考えているのです。」p.138
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【本】顔は口ほどに嘘をつく

2006年11月18日 17時06分31秒 | 読書記録2006
顔は口ほどに嘘をつく, ポール・エクマン (訳)菅靖彦, 河出書房新社, 2006年
(EMOTIONS REVEALED : Understanding Faces and Feelings, Paul Ekman, 2003)

・著者は、表情を見て人のウソを見抜く大家で、FBIやCIAでも活躍した経歴を持つ心理学者。少し専門書寄りの内容。 「この本を読めば、相手のウソが見抜けるようになる!」と思わせるような宣伝文句が帯に書いてありますが、実際は地道な訓練が必要で、「訓練用ソフトを開発!詳しくはこちら→http://emotionsrevealed.com/ (ソフト買ってね♪)」というオチ。しかし、本書のみでもそこそこ面白いです。
・原題を見るとわかるように、本書の主題は『感情』で、『表情』はその出力の一つであるという扱いです。また、「顔はウソをつきにくい」との書中の記述も併せて考えると、あまり良い邦題とは言えません。
・ちなみに写真のモデルは著者の娘さんだそうです。
・「わたしの狙いは、読者が感情の働きの理解を深め、より豊かな感情をもって生活するのを手伝うことにある。」p.8
・「感情はすべて独特の信号をもっている。中で、もっとも目立つのは、顔と声に現れる信号である。顔や声に現れる感情の信号については、まだ研究すべきことがたくさんある。」p.11
・「わたしの指導者であるシルバン・トムキンスは晩年、「感情はわたしたちの人生を動機付けるものである」と語った。」p.12
・「微細な表現(非常に短い)、部分的な表現(顔の一部分にしか出ない)、かすかな表現(筋肉の収縮が少ない)、以上三つが組み合わさった表現は見分けるのがもっともむずかしい。しかし訓練すればできるようになる。」p.17
・「時に、こうした表情は本人自身が怒っていることに気がつく前に現れる。」p.34
・「一人だと、素直に感情を表わし、人前だと、感情を操作するのだ。」p.43
・「わたしたちは、周りの世界を絶えまなく監視し、わたしたちの安全や生存を脅かす事態が起こったら、それを素早く発見する自動評価のメカニズムを持っているにちがいない。」p.67
・「一、感情は、わたしたちの安全にとってきわめて重要だと思われる物事への反応である。 ニ、感情はしばしばあまりに素早くはじまるので、それを引き起こす心のなかのプロセスにわたしたちは気づかない。」p.67
・「ほとんどの人は感情を完璧に消し去るのではなく、特定の引き金に反応しなくなる能力をもちたいと思っている。」p.97
・「ここで気分と感情の違いをはっきりさせておきたい。(中略)もっとも明白な違いは、感情が気分よりもはるかに短いと言うことだ。(中略)感情と気分のもう一つの違いは、一旦、感情が生まれ、わたしたちがそれに気づくと、普通は感情を生み出した出来事を指摘できるという点だ。」p.108
・「最近、老齢化の進行を食い止めるため、ボトックス療法といわれるものが行われている。ボツリヌス毒素をしわに注射することによって顔の若返りをはかろうとする療法だ。その注射をすると、顔面がこわばって無表情になり、顔から生気や感情が失われることもあると言われている。」p.112
・「多分、種としての進化の途上で、わざわざ言葉で告げなくても、感情を他人が知ることができたほうが、有益だったのだろう。」p.115
・「シルバン・トムキンスは、感情が湧き起こってくると、人は必ず音――それぞれの感情で異なる音――を発したいという衝動を覚えると述べている。」p.121
・「声はめったに偽りの感情メッセージを伝えないが、話をしなければ、いかなるメッセージも伝えることはない。顔は声よりもはるかに偽りの感情メッセージを伝えやすいが、決して完全に打ち消すことはできない。」p.122
・「わたしたちが感情の制御にかならずしも成功しないという事実は、わたしたちが改善不能であることを意味するのではない。鍵は自分自身をもっとよく理解することである。」p.150
・「きわめて強烈で反復される感情体験は、あらゆる感情に敏感にさせてしまう可能性がある。」p.162
・「唇が薄くなると、他の兆候が出ていないときでも、怒っていることがばれてしまう。それがもっとも初期の怒りの兆候であり、自分が怒っていることにまだ気がついていなくても出ることをわたしは発見した。」p.224
・「表情は感情が起こっていることを告げるだけで、感情を生み出しているものについては何も教えてくれないということだ。誰かが怒っているのを見ても、あなたはなんでその人が怒っているのかはわからない。」p.230
・「たいていの感情の表情はだいたい二秒間つづく。中には半秒しかつづかないものもあれば、四秒もつづくものもあるが、それ以上短かったり、長かったりすることはめったにない。表情が持続する時間は普通、表情の強さに比例する。」p.232
・「人が圧倒的な恐怖をもっとも感じやすいのは、目の前の脅威を避けることに専念しているときではなく、何も手のうちようがないときである。」p.250
・「目の表情について話すことはよくあるが、わたしたちが話しているのは眼球自体ではなく、瞼の変化によって目がどう見えるかである。」p.263
・「わたしたちは他人の身体の内部を見せられると嫌悪を感じるよう自然によってプログラムされているようだ。とくに出血がある場合にはそうである。」p.284
・「楽しい感情のほとんどについて、わたしたちはまだあまりよく知らない。というのも、わたしの研究もふくめ、感情の研究のほとんどすべてが、どちらかというと人を動揺させる感情に焦点を当ててきたからだ。」p.300
・「人生を楽しんでいる人や忍耐強い人、華々しい業績をあげている人の中には楽観主義が見出されるのだ。驚くべきことに、楽観的な人ほど健康で、実際に長生きもすることを多くの研究が示している!」p.317
・「一般的に、目の周りの筋肉の動きをともなう笑顔をよく見せる人は、幸福であると感じやすく、血圧が低く、配偶者や友人からみても、幸せだと言われる。」p.322
・「ここで鍵になるのは、わたしが注意深さ(Attentiveness)と呼ぶ一種の自覚を育むことだ。そのような自覚をもてるようになれば、感情が湧いてきたとき、すぐに自分が感情的になっていることに気づくことができるだろう。感情に注意深くなるには、身体感覚を磨く必要があるので、そのために有効なエクササイズも本書の中で紹介している。」p.337
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【本】博士の愛した数式

2006年11月14日 20時09分33秒 | 読書記録2006
博士の愛した数式, 小川洋子, 新潮文庫 お-45-3(7807), 2005年
・いまどきの流行りの本の中では数少ない、ソソられる本のうちの一冊でした。ブックオフの105円コーナー専門のため、手にとるのはずっと先のことだろうと思っていたら、なんと105円で発見!即購入。
・淡々として静かな展開。結果、『ちょっと物足りない』印象。そんなに大騒ぎするほどの小説だろうか?? 評価がイマイチな理由として、『数学の雑学にやたらと詳しい数学者』の設定に違和感を覚えるのが一つ。例えるなら『ゲームのルールは完璧に頭に入っている野球選手』とか『楽器の歴史や構造にやたらと詳しいバイオリニスト』だとか。その本業にとって本質的に必要ではない能力について強調されている点がひっかかる。暗記科目の代表格的なイメージのある法律よりも、数学の方が必要とされる暗記量が桁違いに多い、というのをどこかで読んだ事がありますが、それにしても、『こんな"数学者"ホントにいるの??』という疑わしい思いは拭いきれません。 文章で数学の凄さを表現する。そんな難題をどうにかスリ抜けるための苦肉の策だったという気もしますが。
・「[ぼくの記憶は80分しかもたない]博士の背広の袖には、そう書かれた古びたメモが留められていた――記憶力を失った博士にとって、私は常に"新しい"家政婦。博士は"初対面"の私に、靴のサイズや誕生日を尋ねた。数字が博士の言葉だった。やがて私の10歳の息子(√(ルート))が加わり、ぎこちない日々は驚きと歓びに満ちたものに変わった。あまりに悲しく暖かい、奇跡の愛の物語。第1回本屋大賞受賞。」カバー紹介文
・「しかし、博士は教えるだけの人ではなかった。自分が知らない事柄に対しては謙虚であり、マイナス1の平方根に負けないくらい思慮深かった。」p.8
・「「5761455だって? 素晴らしいじゃないか。1億までの間に存在する素数の個数に等しいとは」」p.14
・「「僕は今考えているんだ。考えているのを邪魔されるのは、首を絞められるより苦しいんだ。数字と愛を交わしているところにずかずか踏み込んでくるなんて、トイレを覗くより失礼じゃないか、君」」p.21
・「「直感は大事だ。カワセミが一瞬光る背びれに反応して、川面へ急降下するように、直感で数字をつかむんだ」」p.30 数学者としては「直観」の字を好みそうですが・・・なんとなく。
・「見てご覧、この素晴らしい一続きの数字の連なりを。220の約数の和は284。284の約数の和は220。友愛数だ。滅多に存在しない組合せだよ。フェルマーだってデカルトだって、一組ずつしか見つけられなかった。神の計らいを受けた絆で結ばれ合った数字なんだ。美しいと思わないかい?」p.32
・「「問題を作った人には、答えが分かっている。必ず答えがあると保証された問題を解くのは、そこに見えている頂上へ向かって、ガイド付きの登山道をハイキングするようなものだよ。数学の真理は、道なき道の果てに、誰にも知られずそっと潜んでいる。しかもその場所は頂上とは限らない。切り立った崖の岩間かもしれないし、谷底かもしれない」」p.55
・「「問題にはリズムがあるからね。音楽と同じだよ。口に出してそのリズムに乗っかれば、問題の全体を眺めることができるし、落とし穴が隠れていそうな怪しい場所の見当も、つくようになる」」p.56
・「「そう、まさに発見だ。発明じゃない。自分が生まれるずっと以前から、誰にも気づかれずそこに存在している定理を、掘り起こすんだ。神の手帳にだけ記されている真理を、一行ずつ、書き写してゆくようなものだ。その手帳がどこにあって、いつ開かれているのか、誰にもわからない」」p.68
・「当然、完全数以外は、約数の和がそれ自身より大きくなるか、小さくなるかだ。大きいのが過剰数、小さいのが不足数。実に明快な命名だと思わないかい?」p.70
・「『神は存在する。なぜなら数学が無矛盾だから。そして悪魔も存在する。なぜならそれを証明することはできないから』」p.156
・「「物質にも自然現象にも感情にも左右されない、永遠の真実は、目には見えないのだ。数学はその姿を解明し、表現することができる。なにものもそれを邪魔できない」」p.180
・「「0を発見した人間は、偉大だと思わないかね」 「0は昔っからあるんじゃないんですか」(中略)「で、誰なんですか? 発見した方は」 「名もないインドの数学者だよ。(中略)無を数字で表現したんだ。非存在を存在させた。素晴らしいじゃないか」」p.218
・「1993年6月24日の新聞に、イギリス生まれのプリンストン大学教授、アンドリュー・ワイルズによって、フェルマーの最終定理が証明されたという記事が載った。」p.270
・解説(藤原正彦)より「小川さんはこの作品で、数学と文学を結婚させた。」p.291
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【本】囲碁の世界

2006年11月11日 21時49分11秒 | 読書記録2006
囲碁の世界, 中山典之, 岩波新書(黄版)343, 1986年
・うちの父は毎週日曜昼に囲碁の番組をボケーっと見るのが習慣でした。当時、子供心に「いったい何がそんなにおもしろいのか??」まったく理解不能でしたが、現在でもその状況は変わっていません。
・著者はプロ五段。囲碁の打ち方についてではなく、囲碁にまつわるエピソード集といった内容。私のように囲碁を知らなくても読めるし、知っている人でも楽しく読めるのではないでしょうか。
・少し前に漫画の影響で一時流行りましたが、今はどうなったんでしょうね。私が手を出すのはまだかなり先の話になりそうです。
・「余分な話になるが、有名な国文学者でも、碁の用語が分からぬために、『源氏物語』の解釈が間違っているケースも少なくないということである。」p.4
・「どうやら、古人も碁の歴史の古さにはおそれ入ったらしく、歴史が始まったときには、もう囲碁があったと認めたらしい。聖書ではないが、「はじめに囲碁ありき」である。」p.5
・「韓国や中国などでは、麻雀は賭博であるから御法度だが、碁は大いに奨励されている。」p.9
・「現在、碁が行われていないところは、アフリカ大陸と中近東などの、国際紛争のあるところや飢餓のあるところだけ、それと囲碁の大本山である日本国内の一部(皇居)だけだ。」p.27
・「碁でも同じことだか、教える者と教わる者の心が一つになったとき、そこにすばらしい上達の道が拓けるのだ。」p.37
・「プロ棋士として最も度々質問されることの一つに、「どうしたら碁が強くなれますか」というのがあるが、それに対する答えはいつも決っている。
 一、よい師匠を見つけなさい。
 一、よい書物を探しなさい
 一、よい碁がたきを作りなさい。
の三個条だ。
」p.37
・「碁盤なしで碁を最後まで完全に打てるのは、現在のプロ棋士の中には一人もいないと断言してもよい。」p.48
・「この時代になると置石が廃止されて、現代の碁とまったく同じ打ち方になっている。これは、四千年の囲碁史上、最大の革命というべきで、これによって隅の打ち方に色々と変化が生じ、布石(序盤戦の考え方)が進歩したわけである。」p.69
・「第四世本因坊の道策名人の場合は、珍しい例外だった。道策は、後世から「実力十三段」といわれたほどの怪物であり、他の家元三家がタバになってかかっても敵わなかった。」p.72
・「プロ棋士は、入門のときに一局、初段になったときに一局、合計二局が師匠から生涯に打って貰える指導碁のすべてであり、これは昭和の現代でもあまり変わっていない。中には、師匠に一局も教わらなかった弟子さえいるのである。」p.113
・「現在、囲碁のプロ棋士は、日本棋院に所属する者およそ三百人。関西棋院に属する人およそ百名。ザッと四百名である。このほか、韓国に五十名ほど、中国に二十名ほど、そして台湾に十名ほどいるようだから、全世界でも五百人以下。きわめて特殊な世界に住んでいる人種であり、その珍しさは、まあパンダ並みと申してもよさそうだ。」p.130
・「ヤブうぐいすを師匠にしたうぐいすのひなは、悪い癖がついてしまって一生涯直ることがない。言ってみれば、私の病気は至って軽症であるから、近所のバアさんのまじないで充分だというようなもの、命を大切にする人は、名医が手近にいればこれにかかるのにこしたことはない。」p.153
・「およそ国が百あれば百種類の将棋がある。いわば、将棋は人間が作ったものである。碁は、地上にただひとつ。これ、すなわち神の作りたもうたものであろう。」p.165
・「念の為に申し上げるが、イギリスでサイダーを飲みたくなったら、あなたは、必ず、レモネイドと言わねばならない。サイダーと言えば、口あたりのよいおいしいリンゴ酒が出てくるからである。」p.174
・「「中国のプロは、献身的で本当にすばらしい。それに比べると、日本や韓国のプロは、まるで観光旅行だ」  どうやら彼は、私も日本のプロであることを忘れていたらしい。」p.179
・「碁の別称に「手談(しゅだん)」というのがある。私の大好きな言葉である。」p.179
・「機械先生は人間を追い越すべく、夜も寝ないで長考を始めるであろう。但し、プロ棋士が機械に一手指南を仰ぐという奇怪な日が来るのは、私のカンによれば、まだ何百年も先のことのように思えてならない。」p.193
・「何でも、その道の人に教えて貰ったところでは、361!は、全宇宙を電子で埋めつくしたとして、その電子の数をはるかに超えるということである。」p.197
・「これはダメと呼ばれ、勝負には影響しない。「こりゃダメだ」などという形容は碁から生じたものらしい。」p.208
・「結局、碁のルールは、
 一、地の多いほうが勝ちである。
 二、周囲を取り囲まれた石は生存できない。
 三、コウのルール
の三つしかない。実に簡単なもので、三歳の幼児でも覚えられることがおわかりいただけたと思う。
」p.215
・「碁は人の心を豊かにする。碁にとりつかれた外国人は、何とかして碁の天国、日本へやって来ようとする。その申し分のない環境にすみながら、碁を知らぬ日本人がいるとは、何とまあお気の毒なことであろう、とは私の弟子の外人の口ぐせだけれど、なるほど、そんなことであるかも知れない。」p.227

?し【[漢字表示不可]】 数の単位。一億の一億倍。一説に一億の一万倍。

チェック本 千野栄一『外国語上達法』岩波新書
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【本】若草物語

2006年11月04日 21時51分06秒 | 読書記録2006
若草物語, オールコット (訳)松本恵子, 新潮文庫 オ-1-3(3739), 1986年
(LITTLE WOMEN, Louisa May Alcott, 1868)

・『題名はよく聞くけど今まで手をつけていなかった世界名作シリーズ』です。当時の『少女向きの健全な家庭小説』として書かれただけあって、登場人物のやりとりを見ていると心が洗われるようです。
・しっかし、『LITTLE WOMEN』を『若草物語』と訳した訳者のセンスには脱帽。
・「虚栄心はあるが温順で信心深い長女メグ、独立心が強く活発な次女ジョー、心やさしくはにかみやのベス、無邪気でおしゃれな四女エミイ――ニューイングランドに住むマーチ家の四人姉妹は、南北戦争に従軍した父の留守宅で、母を助け貧しいながらも誠実さと希望をもって、懸命に暮らす。著者の少女時代を題材に、人間として成長していく四人姉妹の複雑で微妙な心の動きを捉えた感動作。」カバー紹介文
・「そこで娘たちは魔法使のおばあさんに、どういうおまじないをしたら幸福になるか尋ねたのです。すると魔法使がいうには、――あなた方が不満を感じ始めたら、自分たちの受けている恩恵について考え感謝の念をお持ちなされ――と答えました」p.89
・「人間は本のみにて生くるに能わずですよ」p.103
・「この図書館にいればわたし、こおろぎのように幸福だわ」p.104 おもしろい言い回し。
・「メグはいつでも気ままに温室の中を歩き、花束をいくらでも勝手に作ることができた。ジョーは新しい図書室の蔵書をむさぼり読み、独特の批評をしては老紳士をいきのつまるほど笑わせた。エミイは絵画を模写して心ゆくばかり美を楽しんだ。そしてローリイはこの上もなく愉快な様式で殿様の役割を演ずるのであった。  しかしベスだけはピアノに憧れているにもかかわらず、どうしてもメグのよぶ「至福の館」へゆく勇気がなかった。」p.116
・「最近わざわざ調律したと見えて、アップルパイのように調子がよかった。」p.125
・「そしてすべての能力の中で一番魅力のあるのは謙遜です」と母がこたえた。」p.138
・「「あなた方それが良いかどうか、一週間試しにやってごらんなさい。土曜日の晩にはきっと遊びばかりで仕事のないのは、働くばかりでなんの遊びもないのと同様におもしろくないことを発見するでしょうよ」  と母が答えた。」p.217
・「けれどもわたしの経験では、質素な小さい家で、毎日の糧を働き得てゆく、多少不足勝ちの生活の方が、わずかな楽しみを多く味わうことができると思うのです。」p.398
・「わたしたちがアイロンでも頭にのせていれば大きくならないのだといいわね。」p.399

?モスリン(英muslin) 毛織物の一つ。梳毛糸で平織りにした薄地で柔らかい風合のもの。また、それを模した布地。特に、綿糸で織られたものは綿モスリンという。唐縮緬(とうちりめん)。メリンス。モス。
?きょうかたびら【経帷子】 仏教の葬式で、死者に着せる衣。白麻などで作り、縫い目の糸はとめないでおき、衽(おくみ)や背には名号、題目などを書く。寿衣(じゅい)。経衣(きょうえ)。
?とき【鬨・時・鯨波】 1 合戦で、開戦に際し、士気を鼓舞し、敵に対して戦闘の開始を告げるために発する叫び声。大将が「えいえい」と発声し全軍が「おう」と声をあげて和し、これを三度繰り返すのが通例。また、戦勝の喜びの表現としても発した。鬨の声。  2 多人数の者が、一同にあげる声。
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【本】宇宙と星

2006年10月31日 20時06分25秒 | 読書記録2006
宇宙と星, 畑中武夫, 岩波新書(青版)247(G12), 1956年
・天文学の入門書。渋い。 まだ、ビッグバンだとかブラックホールなどという言葉が創られる前の時代に書かれたものです。50年でこの進歩!古い本を読むことで天文学分野の発達の凄まじさを、逆に強く感じます。
・「全天の星を六等星までとると、全部でおよそ六千個になる。このうち、平均して半分は地面の下になっているし、地平線近くの星が見えにくいことを考えに入れると、一時に見える星の数はまず二千個と言うべきあろう。無数にあるように見えて案外少ないものだ。」p.2
・「星座の区分と名は、古代文化の起こった国々にそれぞれ固有であるが、今われわれが親しみ使っている星座の起源は、四千年前のメソポタミヤの地にさかのぼると言われる。(中略)これらの星座は、その後エジプトやギリシャに伝えられて次第に形を整えていった。」p.7
・「太陽は中心から外まで全部ガス体です、と言っても、なかなか心から納得してもらえない。中心の方はやはりどろどろしているらしいとか、太陽にあんなにくっきり縁があるのは表面が固まっているからだとか、あるいはガスならばどこかへ飛び散ってしまう筈だのに、と思われる人が多いと思う。」p.50
・「即ちわれわれの目は、太陽が出している光の極大のところで一番感度がよくなっているけれども、これはおそらく偶然の一致ではないと思う。人間の目は太陽の出す光を最も有効に利用して物を見るように造られたものではなかろうか。」p.70
・「銀河系のなかで星間物質がこのように多いこと、星間物質が星と同じように銀河系のなかで円盤状に存在すること、これらは星間物質の著しい特徴である。」p.93
・「大きく言えば、宇宙のあらゆる天体は、二つの種族に分けて考えることができるのだ。(中略)球状星団のような種族を第二種族、これに対してわれわれの近く、あるいは散開星団のような種族を第一種族と呼ぶ。」p.96
・「太陽が熱くなるというこの考え方は、今までの太陽進化論を根本から変えてしまった。古くからわれわれが信じていたのは、太陽が莫大なエネルギーを虚空に放つことによって、徐々に冷えているという考えであった。」p.131
・「星は何から生まれるのであろうか。ここに星間物質が再び登場する。星間物質は、遠くの星からの光を吸収し銀河系の構造を知るために重大な障害を与えるものとしてこの物語にはじめて登場した。次ぎに星間物質はアンドロメダ星雲の渦巻きの中に見られ、再び銀河系に戻って波長21センチの電波によって銀河系の渦巻きを知る手段として役立った。この星間物質が星を生む母胎なのである。」p.150
・「問題は、一つの銀河系の中に、なぜ年齢の違う二つの種族が共存しているのか、そしてそれらの間にはどういう関係があるかと言うことだ。」p.153
・「別の表現をすれば、星は星間物質を媒介として輪廻を繰り返しているのである。」p.156
・「言いかえれば、太陽の自転に比べて、惑星は速く廻りすぎているのだ。あるいは遠いところを廻っていると言った方がいいかも知れない。とにかく太陽系の示す廻転のありさまは、一つのガスから固まったとしてはとうてい説明できない矛盾をもっている。」p.164
・「なお本文では、アンドロメダ星雲の距離が、もともと68万光年であって、これを150万光年に改めたと書いたけれども、もともとが75万光年で、現在の値が175万光年だとする学者もある。またこの書物では、宇宙の年齢をすべて50億年ときめて書いてきたが、この値も改訂を要するであろう。ごく最近の研究では60億年という答も出ている。種族の発見を契機として、宇宙の構造や進化についての考えが今大きく変動しているのである。」p.183 現在ではアンドロメダ星雲までの距離が230万光年、宇宙の年齢は137億年とのことです。

?しし【孜孜】 学問、仕事などにひたすら励み努力してやすまないさま。孳孳(じじ)。
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【本】うるさい日本の私

2006年10月27日 17時52分55秒 | 読書記録2006
うるさい日本の私, 中島義道, 新潮文庫 な-33-1, 1999年
・前出、『じぶん・この不思議な存在』に続き、今年二冊めのド真ん中ストライク。きたよきたよ。
・怒っています。とにかく怒っています。こういう人物が奇人とか変人などとして後世まで語り継がれるのでしょうか。本業は哲学者である著者の、日本に満ち溢れる騒音との戦闘記録。騒音の原因の糸をたぐっていくと、『日本人とは?』という大きな問題が立ちはだかる。戦闘8割・考察2割ほどの配合。
・書き出しが「私は病気である。」とあるように、他人が気にならないものが気になってしょうがなくて、日常生活にまで支障をきたすとなると、体(脳?)の一部の働きがうまく機能してないのではないかと思えてきます。その辺の生理的・病理的考察はまったく無し。
・「日本のスピーカー地獄と戦っているうちに、私はその独特の残酷な構造がよく見えるようになった。現代日本のように、表面的な平等化が進み、飢えも暴動もないところでは、みんな「小さな差異」に敏感になり、「正常値のうちの下限にいる人々」は、ますます救われない。これは、ほんとうにたいへんなことである。」p.8
・「第一に気がつくことは、私たちの身の周りには実効を直接期待しない、たんなる希望的理念の表明に終わってしまっている細かな規則があまりにも多い、という事実である。」p.18
・「私は「車内への危険物のもち込みはご遠慮ください」という放送を流すことは、「車内で人を殺すことはご遠慮ください」という放送を流すのに劣らず馬鹿げていると思うが、これがマジョリティには伝わらないのである。」p.23
・「私の友人である杉田聡さんが、車に年間一万人前後の人が殺されている現状を直視し、大手車会社に対して「環境を汚染し、他人の健康に害を与えないように、自動車の使いすぎは控えましょう」という警告文を今後生産されるあらゆる車体に書き込むよう提案した。」p.23
・「デパートや新幹線の中、海水浴場や霊園においてさえ「盗難にご注意ください」という放送は入るが、けっして、「人の物を盗まないで下さい」という放送は入らないことに気づいてもらいたい」p.25
・「不快を解消するには――その理由を考察するのではなく――あくまでも実践しなければならない。」p.25
・「大学には音響学の大家たちがたくさんいる。社会学や教育学や心理学の専門家もいる。彼らはみなこのバスを利用している。なのに、だれも「気がつかない」のだ。」p.31
・「私は、銀行には抗議するがパチンコ屋には抗議しない。JR東日本にはぶつかってゆくが、暴走族には体当たりしない。」p.35
・「これらの放送は必要ないばかりではありません。積極的に有害だと私は申し上げたいのです。なぜか。あくまでも自分の判断にもとづき自分の責任でことをなすという人々の自立精神を阻害するから、言いかえれば人々の甘えの構造を助長するからです。」p.44
・「こういうときのためにと刷っておいた「静穏権確立をめざす市民の会 代表 中島義道」(じつは会員は私一人だけ)という名刺をさし出し、」p.52
・「であるから、こうした携帯電話に怒り狂う人々でも、権力を背景とした車掌のエンエンと続く大音響のアナウンスには抗議しないのだ。(中略)「エスカレーターをご利用のさいは……」という放送になんの抵抗もない人でも、もし私が前にいる人に「もしもし、エスカレーターをご利用のさいは……」と同じ内容を言ったら、ほとんど気違いあつかいされるであろう。商店街を包み込む大音響のBGMと同じ曲を同じ音量で私がかけていたら、たちまち常識違反とどなられるであろう。」p.60
・「つまり「お忘れ物のないよう」とか「お気をつけて」とかの言葉は、文字どおりの意味は希薄であり、むしろ客への配慮を表わす意図のほうが強いであろう。」p.78
・「JRがわがままで、無責任で、怠惰で、鈍感なお客に対して毅然とした態度で応じる以外「解決」はないと思う。」p.105
・「ある銀行の案内係の老人がソッと私に耳打ちしてくれた。 ――じつは、お客さまの要望はあの大学ノートに書いてもらっており、一年間に数冊にもなるのですが、支店長はそれを読みもせずに年度末にはみな捨ててしまうのです。」p.131
・「確実にお客が集まるからこそ、けたたましい音を発しているのである。」p.133
・「ご推察どおり、選挙の季節は日本を脱出したくなる。(中略)鈴木弘子都議会議員候補は「環境、環境を考えているスズキ・ヒロコ、環境問題のスズキ・ヒロコ……」とガナリたてるものだから、(中略)幸い鈴木弘子も上田哲もみごと落選。その結果を知ったときは、たいへん幸せであった。」p.137
・「つまり、日本人がくつろぐところにはすべてテレビという名の拷問器具が置いてあるのだ。この国では、テレビを見たくない人はいちゃいけないのだろうか?」p.141
・「私も何度、家族、友人、知人から「あんた(おまえ・きみ・あなた)がいちばんうるさい!」と言われつづけてきたことか。」p.147
・「新宿駅西口で「関西大震災のボランティアに……」と叫んでいた人もそうであるが、自分たちは世のため人のために正しいことをしていると確信している「正義派」は、絶望的に頭が硬い。」p.153
・「埼玉県滑川町でチェンバロを作成している「同志」の横田誠三さんは、この暴力に立ち向かい、孤軍奮闘している。」p.156 話に出ているのは、先日ニュースで紹介されていた、台風で倒れた北大のポプラ並木でチェンバロを作成した方のようです。
・「つまり「優しい」人とは、――他人に優しくしようと全力をつくそうとする人ではなくて――優しくない他人によって自分が傷つくことを全身で恐れる人であり、むしろこちらを第一原理とする人なのである。」p.169
・「私の仮説のアウトラインはこうだ。古来日本人はさまざまな音に対して寛容であった。(中略)つまり、日本人は自然のさまざまな音を排除せずにそれを取り込んで、そこにさまざまなサインを聞き分けて生きてきた。(中略)人工音が増えるにしたがって、そのままそうした音に対しても寛容な態度をかたちづくることになる。(中略)言いかえれば、古来日本人は無音と言う意味での静寂は望んでいなかったのだ。」p.181
・「われわれは、他人の苦しみがわかるゆえに他人を意図的に苦しめることができるたぶん地上で唯一の動物である。」p.193
・「おわかりのように、「自分がされたくないことは人にするな」というこのルールは社会をあらたに改革してゆこう、意識を改革してゆこうというときにはまったく役立たない。というより最大の障害として立ちはだかる。」p.198
・「すべてパブリックな「音」にはことごとく寛容であり、いっこうにうるさいとは感じない。しかし、私人が発するヘッドフォンや携帯電話に対してはひどく不寛容でいきりたつのだ。そこに公私を選択する針が不思議なほど敏感に働いており、しかもそれに気づいていないのである。」p.206
・「「音漬け社会」を解体するには何が必要か? 答えは、さしあたりきわめて単純のように思われる。それは、「察する」ことを縮小し、「語る」ことを拡大することである。」p.222
・「彼女たちは「他人の思惑を考えて」自分だけの判断で返答することができなかったのである。彼女の逡巡には、われわれ日本人が千年以上かかってつちかってきた「美徳」が根を張っているのだ。」p.224
・「とすると、「何でも質問しなさい」という言葉がじつは大ウソであることを子どもたちは次第に全身で見抜いてゆく。そして、子どもたちは知らず知らずのうちに、むしら「語らないほうが得」であることを学んでゆくのである。」p.227
・「一般的に、そしてとくに教室においては「私は~が嫌だ」「僕は~したくない」という個人の声を封じてはならない。すべて「言わせて」から、正面から反論するべきである。」p.229
・「降りるときには「降ります、通してください」と「言えば」いいし、扉の前に立っている人には「扉の前に立たないでください」と「言えば」いいし、ヘッドフォンのシャカシャカがうるさければ「もう少し音を小さくしてください」と「言えば」いい。私はすべて実行しているが、(中略)ほぼいつも聞いてくれる。」p.237
・「われわれは「言われる」ことにもっと馴れなければならない。「言われた」こと自体にではなく「言われた」内容に向けて反論することを学ばねばならない。」p.240
・「いじめられ遺書を残して死んでいった子どもたちに向かって多くの大人は叫ぶ。「なぜ、そこまで我慢したのだろうか? なぜ『いやだ!』と言わなかったのだろうか?」と。鈍感にもほどがある! あなた方が「語らせなかった」のだ。「いやだ」と言わせなかったのだ。「いやだ」と言うことすらできないように教育したのだ。いつもいつも「他人の思惑を考えよ」「思いやりをもて」「他人に優しくせよ」という美辞麗句で子どもをがんじがらめに縛り、「いやだ!」と叫ばせる能力を奪ったのだ。「他人を傷つけても、自分の名誉を守らねばならない」ことがあること、「他人に対する思いやりを捨てても自分の命を救わねばならない」ことがあることを教えなかったのだ!  「いじめ」問題が困難をきわめるのは、その解決がわれわれ日本人の規範意識・美意識と正面からぶつからねばならないからなのだ。つまり、「いじめ」とは日本人の美徳に反するものではなく、正反対に「優しさ」や「思いやり」や「耐えること」という日本人の美徳それ自体がつくりだしたものなのである。」p.242
・「まさに、「察する」美学から「語る」美学への転換は、日本古来の礼儀や美徳をかなぐり捨てることなのだ。」p.251
・「最後にスローガンを。あまり他人に「思いやり」をもたないようにしよう。あまり他人から「優しさ」を期待しないようにしよう。何ごとにつけ「察し」が悪くなろう。そして、その代わり言葉を尽くして語りつづけよう!」p.251
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【本】ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本

2006年10月22日 21時49分50秒 | 読書記録2006
ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本, 向山淳子 向山貴彦 絵=たかしまてつを, 幻冬舎, 2001年 [Web Site]
・かわいい(?)猫が目印の英語の本。英語を使えるようになる(身に付ける)ための指針をまとめたもの。『とにかく英文を読むこと!』、『読むためには最低限の文法の知識と、文章構造を見抜く力さえあれば大丈夫!』というのが主な主張。SVOCを『役者』、『矢印』、『付録』、『化粧品』などと言いかえて、文法をやさしく解説しています。当然のことながら受験勉強や英検のための本とは全く別の路線です。
・個人的には少し物足りない内容ですが、『読めば大丈夫!』という言葉は励みになります。ホンマカイナ?ちょっと疑わしい気もしないでもない。
・「留学すれば誰でも英語ぐらい憶えるというのは迷信です。柔軟な子供の脳ならともかく、ひとつの文化や言語で固まった大人は、ただ英語の世界に入るだけでは英語をマスターすることはできません。」p.4
・「成人した大人が外国語を憶えるには、ある程度の文法の知識がどうしても必要であることを、その時思い知らされました。」p.5
・「言語を学ぶ魔法の手段はありません。でも、言語自体は魔法です。時間も距離も越え、人と人をつなぐ人類最大の発明品です。」p.9
・「とにかく読み続け、吸収して、「無意識の記憶」を増やし続けること――それだけが英語の勉強法です。「読む」ことだけをしていれば、「聞く」「書く」「話す」ということは自然についてきます。」p.15
・「日本では中学、高校と六年間にわたって英語を勉強する間、ほとんどの学生は一冊の英語の本も読み終わりません。極端な場合は大学の四年間――しかも、英米文学科での四年間――を含めても、一冊も英語の本を読了しない可能性さえあります。」p.17
・「Q 何冊ぐらい本を読めば、英語ができるようになりますか?
A : 人が呆れるほど読めば、人が呆れるほど英語ができるようになります。ちょっと感心するぐらい読めば、ちょっと感心するぐらい英語ができるようになります。
」p.40
・「そこには誰もいなかったわけですが、英語はどうしても主役が必要なので、そこで「no one」、つまり「いない人」の登場です。「そこにはいない人がいました」という実におもしろい言い回しで、誰もいないことを表現しています。」p.97
・「日本人が英語を読んだり聞いたりする上で、微妙なニュアンスが分からないと悩む大きな原因は、これら「特別な化粧品(冠詞)」と「接着剤(前置詞)」が含んでいる深い意味合いを、単純な日本語の一単語として訳そうとするためです。」p.140
・「a と the を単語に付けるというのは、その単語にスポットライトをどう当てるかによく似ています。」p.142
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