地震
2011-03-15 | 日常
余りにひどい事態に言葉もありません。
ただただ良い方向へ少しでも動けばと願い、寄付や協力をするのみです。
今 無事の人も、決して油断するな。
で、あとはこんなことを考えている。
ボランティアコンサートなどが本当に現地の方に喜んでもらえる演奏とは何だろうと。
不謹慎ではなくて。
または、やらない方がよいのかとかとか。
自己実現、自己表現としてのボランティアは何の役にも立たないと今回何かで見て、実にそう思う。 毛布と食料が十分になるまでは、千羽鶴は何の役にも立たないと言うことです。現地の人が心待ちにしていた配布されたダンボール、食料かと思ったら千羽鶴。
「いいことしたねぼくたち」という自己満足で浅くて悪意のない悪が被災者の方に伝わる罪といったら。 また、恥を忍んで書けば、熊本は気が抜けて無意識にこういうことをするタイプでもあります。恩を徒で返す。 募金など以外にできることを考えていこうとおもいます。 とりあえず衣食住がある程度安定しないと生音楽は邪魔ですよね?
CD流すくらいのほうがいいと思うし。 わかったのはビックネームのチャリティーコンサートはそれ自体が人を元気づけるので、今の小童音楽家の自分には当てはまりません。カナシス。 自分の音楽が相当多くの人の生き甲斐や楽しみになってくれれば、不特定多数の方にでも大変喜ばれるのは、そりゃそうだな。あたりまえだ。 でももっといいボランティア演奏のあり方ってあると思うんだよなあ。
きょうはこのへんで。
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