いつも必死な翻訳者日記

フリーの実務翻訳者が綴る日常

「べいべい」と「ハイ」

2010-07-26 23:27:42 | はるたんと私


現在の はるたんを理解するキーワードは、
「べいべい」である。

「ばいばい」のことである。

「ば」は、はるたんが一番得意な音。
だから「ばいばい」と言えないはずはないのに、
なぜか「ばいばい」ではなくて「べいべい」。

少し前、母の電話のマネをするときに、
受話器を耳に当て、会釈をしながら「へい!、へい!、」と言っていたし、
(今は ちゃんと「はい!、はい!、」とやっている)
「いっぱい」を「ぺいー」と言うから、
それと同じような理由かもしれない。
「い」の音につられて、ア行がエ行になるんだろうか。


               


出かける家族に向かって「べいべい」

自分が部屋を出て行く時にも「べいべい」

帽子や靴下を脱ぐときに「べいべい」

物を片付けて欲しい時に「べいべい」

もう食べたくない ご飯やおかずに「べいべっ!!」

人見知りが激しかった時期、外で父に抱っこされていた時、
電気工事のおじさんが父に近づいてきたら、
「べいべい!!!」(→でも去ってくれなかったので激しく大泣き)

「○○する?」と尋ねられると、
答えがノーの場合には「べいべい」。

お店にて。
おもちゃを手渡すと、少し眺めて
「べいべい」。
あれもこれも欲しがって手放さないよりは楽かもしれないが。(←将来的にはこうなるかもしれないが)
(はるたんは、好みが とてもはっきりしていて、
 ずっと前、まだお座りで遊んでいる頃、両手にそれぞれ物を持たせると、
 いらない方を即座に判断して上に挙げる、という意思表示をしていた)

嫌なことや、自分の目の前から消えて欲しいものに対しても使うので、
はるたんの「べいべい」は、「イヤ」の意味も兼ねているのだ。
(ひょっとして このまま“イヤイヤ期”に突入?)

はるたんが母と遊んでいるところに、私が現れると、母に向かって「ばいべ」。
用済み、という感じで、言われるとさみしい。
現代っ子らしく、義理や人情はないのね、と母。

時々、ドライに「ばいべっ」と吐き捨てる。
私はそんな子に育てた覚えは…。


               


ただ、そんな「べいべい」とは対照的に、
とても“よい子”的で面白いことがある。

“返事が良い”ことである。

「○○する?」
「・・・ハイッ!」
とても良い返事が返ってくる。

はるたんの同意の返事は、なぜか、
「うん」を通り超して、丁寧な「はい」なのだ。

物を受け取る時にも、
“ありがとう”の(少し遠慮がちな?)笑みを浮かべつつ、
お辞儀をしながら「ハイッ」。
普通は、受け取ってからハイと返事するものだけれど、
欲しいものがある時に、
先に「ハイッ」と言うのが面白い。
(腰の低い「ハイ」が、「ちょうだい」の意味になっている)

「~しようね」と、諭すように言うと、
「・・・ハイッ!」。
返事だけはいいのだ。返事だけは。
その後また、同じことを、
ケタケタ笑って繰り返したりする。
ちゃんと聞いてくれることもあるけど。

名前を呼ばれた時の「はい」は、
片手をしっかりと真上に挙げながらも、
恥ずかしそう。


               


はるたんが、妙に良い返事をするのは、なぜ?
別に、教えたわけじゃないのに。

あれ?…思い当たる節があった。
よく考えると、他ならぬ私のマネをしているのだ!

「ハイッ!! どうぞ」
「ハイッ!! ○○するよ」
返事というよりは、かけ声か。
今まで一度も意識したことがなかったけれど、実は「ハイッ!」が口癖かもしれない。
(少なくともはるたんに対しては)

1才児の言葉なんて、100%、人のマネで形成されているのだものね。
はるたんが話す言葉は、だいたい、家族の誰かのマネなのだ。
特に母親の言葉…それだけでなく、話の内容や、思考の傾向なども、
そのまま子供の人格形成にかかわるんだなあ、と感じる。
とりあえず、今回は、
マネされているのが“良い”ことなので、良かった、ホッ。


時間もお金もないけれど

2010-07-12 23:00:00 | 気まぐれな普通の日記


さて、
私自身の仕事は、2週間ほど前に終わったのだが、
その後は、sunny の追い込み時期。
普段よりも逼迫した“はるたん体制”で、余裕を持てない毎日だった。

ようやく一息…か?
気分転換に どこかへ出かけられる、かもしれない。
なにしろ、4月にお花見に行って以来、どこにも遊びに出かけていないのだ。
どのような状況であろうと、少しぐらい遊びに出かけても良いような気がする。

はるたん は、
今となってはもう、
「わんわ」以外に、
「にゃーにゃ」だって、「どー(ゾウ)」だって、「もーもー(牛)」だって、
「めーめー(ヒツジ)」だって、「ぱっか(馬)」だって、「ちっち(鳥)」だって、
ウサギだって キリンだって シマウマ だって パンダだって・・・
大抵の動物はわかるようになった。(動物好き?)
動物園、今こそ行く時期かも!
でも、暑いよね…。

涼しいところ…
そうだ! 水族館!
はるたんの大好きなお魚を見るために、
また水族館へ行くのもいい。
魚だけでなく、カニや、カメや、「ぺんぺん(ペンギン)」が居るところがいい。

ひたすら「ん!」「ん!」と 指差しをする
はるたんの姿が目に浮かぶ。
知っているものが増えた分、
はるたんにも、“見る楽しみ”が生まれるだろうか。今度は。


               


ところで、今回の仕事というのは、
80ページのものを 約10日間で仕上げなければならないものだった。
特許明細書に特有の“繰り返し部分”がなければ、終えることができなかったと思う。

それに、はるたんが1歳を過ぎ、この時期になってから、
私が自由になれる時間というものが、以前よりも少なくなってしまった。

子供が0歳の頃には、
“1歳や1歳半になったら、手がかからなくなって、親の自由時間が増える”
ように幻想(?)を抱くものなんだけど、
実際は そんなことはないのよね。
子供が成長するにつれて
楽になる部分も、確実にある
…はずなのだけれど… 大変になる部分も、確実に存在する。

起きている時は、絶対に目を離せなくなるし
(そもそも、もう1時間位しか昼寝をしないのだ。)

ようやく食べることに目覚めた、と思ったら、
食べなくてギャーギャーわめき、私自身も心を痛める
…ということがなくなった代わりに、
とにかくたくさん食べる、食べる、食べる…
1時間食べ続けるディナー。
なんだか、1日中食べさせてばっかりだよ、ということもある。
(し、やっぱり食べなくて大変な時もある)

たくさん歩けるようになり、外で運動させる必要もでてきたから、
毎日(死ぬほど暑いのだが)公園へ…。

そして、極めつけ。
今、一番大変なのは、
「お母さんでなければダメ」という場面が多くなってしまったこと。
家族にはるたんを託し、私が消えようとすると「ギャー」と泣くことが増えた。
“後追い”がひどくなったらしい。そういう時期みたいだけど。


               


そんな具合なので、
ここだけの話(一番オープンな場所での“ここだけの話”)
次からの仕事を、ちゃんと納品できる自信が 無い。

はるたんは、どんな時でも かわいい。
そんな はるたんと一緒だから、
どんなに時間がなくても
私は別に構わない。
(1日に30分の はるたん写真&動画整理の時間と、1日に30分の 日記書きの時間さえあれば。)

だが、“家的”には、それではダメなのだ。
現在は、実家に世話になり、とても恵まれた状況で子育てをしていると思う。
健康に毎日を過ごせることだけでも感謝するべきかもしれない。
でも、今後、自分達の家に戻った時、
どうやって仕事時間を作りつつ、明るく元気に生活していけるか?
今のところ、何を試みても明確な答えは得られず、
そもそも、仕事の明るい見通しがあるのかどうかもわからず、
どうなることやら…。


仕事が来た

2010-06-11 22:09:41 | お仕事日記


仕事が来た。

仕事をするのは、2カ月ぶりである。

良かった、というべきであろうし、実際、本当に良かったのだが、

「良かったね」と、父から言われて、

「あーあ、せっかくお休みだったのに」と私。

案外これは、本当の本音かもしれない。

「楽」というのは、人にとって 想像以上に魅力的な状態に違いない。


□参考記事:「廃業かもしれない」□



補足:
以前のブログに書いた“今後につなげるための活動”について。
結果的には、それに充てる時間は 多くはなかったが、
(“活動”はしなくとも)自分自身で“考える”ことができた。
何しろ、私の翻訳人生完結、のつもりだったから、
現状と今後について、真剣に考えることができた。
もちろん、こんな風に“考える”ことをしたのは、
この仕事を始めて以来、初めてのこと。
良い機会が与えられたことに感謝。



腱鞘炎(けんしょうえん)

2010-06-03 23:42:08 | 気まぐれな普通の日記


最初に手首を痛めたのは、
たぶん、はるたんを抱っこしている時。
はるたんが、抱っこされたまま、やたらと振り向きたがる時期があり、
その頃だったと思う。
落下しないように、はるたんを懸命に押さえる時、
ひねられた状態の手首に、かなりの力がかかっていたのだ。

毎朝、起きると、手首に痛みがあり、
“まだ治っていないんだな~”と思いつつ、
日中、活動を始めると、自覚症状はまったく無くなり、
“治ってきているんだな”と感じてしまう。
そんなことを毎日毎日繰り返しているうちに、2~3カ月が経過してしまった。

               

先週、朝早く起きて 講師の仕事に出かける日のこと。
(トラブルというものは 大抵、こういう時に発生するものである)
朝起きたら、右手首が痛くて、右手を外向きにひねることができない!
こんな痛みは初めてだ。
まず、顔を洗うのからして一苦労だった。

幸いなことに(?)、痛めたのは右の手首。
私は左利きで、ペンと箸以外の動作は、すべて左手がメインなのだ。
ただ、日常の動作というのは、思っていた以上に、両方の手を使うものだということを知る。
例えば、歯磨きのチューブを使う時だって、歯ブラシを持つのが左手だと、
チューブを持って 絞り出すのは右手である。
そんな風に、利き手でない手の方に、より大きな力が必要になることも案外多い。
(ちなみに、1日の動作の中で、自分の手が最も“繊細な動き”をしていたのは、洗顔だと思った)

この日は、親指の付け根の延長線上の部分を、外側から触れるだけで激痛が走るほどで、
さすがに、
“これはまずい、ここで完治させてしまわなければ”と思った。

               

ただ、翌日、翌々日になると、痛みはほとんど無くなった。
今までと同様。
あの日、さすがに病院に行こう、と決めたはずだったのだが、
日中は何ともないことから、
“やっぱり治ったんじゃないかな…。病院なんて行かなくてもいいや。”
でも、翌朝になると、やっぱり完治はしていなかった…。
これを繰り返す日々である。

私の生活の中で、
手首に最も力がかかる動作は、
はるたんのオムツ替えと、はるたんの抱っこだということが分かったので、
はるたんのオムツ替えや、
移動の時の抱っこは、
可能な場合には 母やsunny に代わってもらうことにした。
それで、2週間位 様子を見るつもり。

               

それにしても…
今現在の私、
余暇もお金も、仕事も無く、
その上、育児も たっぷり人に頼る状況で…
嗚呼、“identityが empty”

何も無いなら無いなりに
気楽に生きよう、とりあえず。

廃業かもしれない

2010-05-23 23:28:05 | お仕事日記


先日、私が講師をつとめている(=2ヶ月ほど前に復帰)翻訳講座にて。
翌週までの課題を伝える際のこと。
「皆さんは今、お仕事忙しいですか?」

「すっごく暇です」と答えた受講生が一人。
「そうなんですかー」
その場では、なんとなく聞き流したが、
家に帰って、不意に(なぜか冷蔵庫を開けている時に)気が付いた。

“そういえば、彼女が勤めているのは、特許事務所だったはず!”

ひょっとして…?
心当たりがあった。
翌週、尋ねてみた。

案の定、私が肌で感じていた通りの現実があった。

今年度に入って、仕事が激減したとのこと。
リーマンショックの直後は、別に大丈夫じゃん?、と思っていたが、
じわじわと影響が現れ、ここに来て打撃的なものに。
事務所始まって以来の非常事態だそうである。

確かに、リーマンショックの頃からか、
各社から、軒並み、翻訳単価引き下げのお願いが来ていたものの、
仕事の打診は、とぎれることはなかった。

でも、ここ1ヶ月、仕事が来ない。どこからも来ない。

仕事を始めてから、初めてのことである。

私が感じていたことと全く同じことを、彼女は話していた。


               


実は私、この1ヶ月の間、
“質の悪い訳文を出してしまったから、干されているんだ…”
そうも思っていた。勝手に。

確固たる根拠も無いのに、密かに自信を無くし、
・特許の専門家でもなく
・技術者でもなく
・英語が堪能なわけでもない 自分には、
これ以上の伸びしろはない。
半年間の学習ぐらいで、8年間も稼がせてもらったのだから、
もうやめてもいいや。(←あっさりやめてしまおうとする私らしい思考)
そう思った。

この仕事をやめたなら、どうしよう。(←すぐに次のことを考え始める私)
他の働き方…例えば、何かのアルバイト?
ただ、そうやって考えてみると、
私には、取り立てて他にできることは無い。
ある意味、とても効率良く、
特許明細書の翻訳に特化してやって来られた類の人間だ。

考え直してみると、
“やめる”のは得策ではないよなあ。
他の道を考えなければいけない可能性はあるにしろ、
待つ価値はある。(←やっぱり粘る私)
廃業を宣言する必要だってないのだし。(結果的に廃業に至ったとしても)

仕事がゼロになることは無いと考えれば、
今はふんばり時に違いない、とも思う。


               


ただ、先日の受講生の話により、
分野によっては仕事が激減しているらしい、という
事実が裏付けられたわけで・・・。

このことによって、私の小さなプライドが保たれた一方で、
ひょっとすると、少なくとも今年度いっぱい(まだ約1年あるんだけど…)
このまま、仕事が来ないかもしれない、という
致命的な事実に直面したのである。

あぁ、今振り返れば、
仕事に追われていた時代や(←ほんの数ヶ月前のことなんだけど…)
数年前までの、
仕事を断るのに苦労する程だった時代は、
なんて良い時だったのだろう!!!
あぁ、失ってみて初めて実感できるありがたさ。


               


このような事態に備えておく必要性は感じていたけれど、
まさか、こんなに早く、その時が来ようとは。

それに、よりによって、このタイミング。〈with 1才になったばかりのはるたん

受講生の一人は、仕事自体が無くなるわけではないから、
今がそういう状態なら、今のうちに実力をつけておくんだ、と
前向きに言っていた。

私のこの1ヶ月は、
仕事が無いという空虚さが漂いつつ、
でも、その分の時間がプラスになるわけではないという、
はるたんとの毎日だった。

今の状況で、現状維持をする以上に
何かをすることはできるだろうか。
きっと、方向性を定めることが必要で、
決めてしまえば動けるかもしれない、とは思う。
でも、イマイチ先が見えない。

さあ、どうしよう。



★追記★

上の文を書いたのは1週間ほど前のこと。
その後、
1日1時間~1時間半位のまとまった時間を
母にもらって(=はるたんをお願いして)、
“今後につなげるための活動”を始めた。

とりあえず、営業活動と情報収集。
それに続いて、仕事が来た場合にスムーズに仕事ができるような準備、
それを終えたら、
フリーではない働き方の可能性や、
特許明細書の和訳以外の翻訳の可能性を
探ろうと思う。
フリーではない働き方の可能性に関して。
もしも、これから先も、特許明細書関連の翻訳を続けていくのならば、
私に一番必要なもの(今現在足りないもの)は、特許の現場での実地経験なのだ。
(ただ、これは、状況的に当分の間は難しい。痛い。)
同時に、翻訳業以外の可能性も探る。考えが進むにつれ、良い選択肢とは言えないことが分かってきたけど。

私自身が今後、どのように働いていくのか、
長期的視野で考え直す、良い機会でもあると思った。

今までは、常に潤沢に仕事が来るという状況に甘んじて
ブラッシュアップを怠ってきたことだし。

一度、廃業かな、と
あきらめたのが幸いしてか(?)
今回、すっかり、
ゼロからやり直し!という心境に。
気分すっきり。



★補足★

「○○さんは、丁寧に仕事をするし、質の高い翻訳文を納品してくれる。
それはどこでもわかっているから、これからも仕事は来るはずですよ。
今後ボリュームがあるものを進んで引き受けるようになれば、
さらに仕事はくるのだろうけど~」

“情報収集”中に、思いがけず、
このような とてもありがたい言葉をいただいた!!
お世話になっている方からの、
特許事務所の所長さんの言葉の伝聞なのだけれど。

特許明細書の翻訳という仕事に、自信を失いかけている私。
この言葉を励みに、努力しなければ、と思った。
次回、仕事を受けることがあるならば、期待に応えることができるように。

そうそう、そういえば…
この仕事は、完璧に仕上げることが当然、とされる仕事なので、
間違い箇所などがフィードバックされることはあっても、
できて褒められるということは全くないのだ。
…ということに初めて気が付いた。





□この記事の続きはこちら→「仕事が来た」□