【記事】 [ 読売新聞 9月21日17時25分更新 ]
入学式や卒業式の国歌斉唱の際、教職員は国旗に向かって起立しなければならないなどとした東京都教育委員会の通達は違法だとして、都立学校の教職員ら401人が、都と都教委を相手取り、通達に従う義務がないことの確認や損害賠償を求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。
難波孝一裁判長は、「通達や都教委の指導は、思想・良心の自由を保証した憲法に違反する」との違憲判断を示した。その上で、「教職員は国旗に向かって起立し、国歌斉唱する義務はない」と述べ、退職者32人を除き、起立や国歌斉唱の義務のないことや、処分の禁止などを認めた。
さらに判決は、「違法な通達や校長の職務命令で、原告は精神的損害を被った」とも述べ、請求通り、原告1人当たり3万円の賠償も認めた。
(中略)
判決は「日の丸」「君が代」について、「明治時代から終戦まで、軍国主義思想などの精神的支柱として用いられ、国旗、国歌と規定された現在においても、国民の間で中立的な価値が認められたとは言えない」と指摘。「懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱させることは、少数者の思想良心の自由を侵害し、行き過ぎた措置だ」と述べた。
【コメント】
靖国参拝と同様こうした微妙な問題となると思考停止になる最高裁では判断が回避されるかひっくり返される可能性があるが、ナショナリスト(米国のあるメディアいわく)安倍晋三氏がまもなく首相に就こうというこの時期にこの判断は意義があるのではないか。
憲法の思想・良心の自由について言及した判決はきわめて妥当なもので、「(中略)」以降に述べているように、軍国主義思想の象徴であり、先の大戦を思い起こさせる日の丸・君が代ついて心穏やかならざる人も大勢いることだろう。
日の丸・君が代について、強制でないのが望ましいと今上天皇も園遊会でおっしゃったことがニュースで伝えられていた(2004年10月28日、東京都教育委員を務める将棋の米長邦雄氏が「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」と語ったことに対して)。
愛国心には「応援愛国心」と「戦争愛国心」があるというのがこれまでたびたび言及している『誇りを持って戦争から逃げろ!』(中山 治・ちくま新書)の考え方である。オリンピックなどで日本がんばれとエールを送る。それが「応援愛国心」である。そして(この書ではそう言っていないが)優勝して表彰台の中央に日の丸が掲げられ、君が代が演奏されればうれしく思うだろう、この場合。「批判なくして向上なしの応援愛国心」というのが中山氏の考えである。
これに対し、「戦争愛国心」とは「国家のために銃をとり、命を捧げる愛国心」とのこと。国のために命を捧げる!? つい最近どこかで聞いたような…。
ただし、戦争愛国心にも契約型と情緒型があり、契約型とは「必要とあれば、国家のために銃をとり、命を捧げる愛国心」のことで欧米人の戦争愛国心はすべてこれであり、契約なので破棄ということもあり、実際スターリングラード攻防戦でソ連軍に包囲されたドイツ軍はヒトラーの玉砕命令を、いくらなんでも玉砕はできないと判断し、命令拒否という形で契約を破棄したとのこと。
情緒型の日本人は、集団の同調圧力が強いのでとことん行くところまで行く。日本の愛国心教育が危険な理由がそこにあるとのこと。
この判決はいくらかでも安倍氏の制作に対する抑止力となりうるだろうか。
入学式や卒業式の国歌斉唱の際、教職員は国旗に向かって起立しなければならないなどとした東京都教育委員会の通達は違法だとして、都立学校の教職員ら401人が、都と都教委を相手取り、通達に従う義務がないことの確認や損害賠償を求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。
難波孝一裁判長は、「通達や都教委の指導は、思想・良心の自由を保証した憲法に違反する」との違憲判断を示した。その上で、「教職員は国旗に向かって起立し、国歌斉唱する義務はない」と述べ、退職者32人を除き、起立や国歌斉唱の義務のないことや、処分の禁止などを認めた。
さらに判決は、「違法な通達や校長の職務命令で、原告は精神的損害を被った」とも述べ、請求通り、原告1人当たり3万円の賠償も認めた。
(中略)
判決は「日の丸」「君が代」について、「明治時代から終戦まで、軍国主義思想などの精神的支柱として用いられ、国旗、国歌と規定された現在においても、国民の間で中立的な価値が認められたとは言えない」と指摘。「懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱させることは、少数者の思想良心の自由を侵害し、行き過ぎた措置だ」と述べた。
【コメント】
靖国参拝と同様こうした微妙な問題となると思考停止になる最高裁では判断が回避されるかひっくり返される可能性があるが、ナショナリスト(米国のあるメディアいわく)安倍晋三氏がまもなく首相に就こうというこの時期にこの判断は意義があるのではないか。
憲法の思想・良心の自由について言及した判決はきわめて妥当なもので、「(中略)」以降に述べているように、軍国主義思想の象徴であり、先の大戦を思い起こさせる日の丸・君が代ついて心穏やかならざる人も大勢いることだろう。
日の丸・君が代について、強制でないのが望ましいと今上天皇も園遊会でおっしゃったことがニュースで伝えられていた(2004年10月28日、東京都教育委員を務める将棋の米長邦雄氏が「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」と語ったことに対して)。
愛国心には「応援愛国心」と「戦争愛国心」があるというのがこれまでたびたび言及している『誇りを持って戦争から逃げろ!』(中山 治・ちくま新書)の考え方である。オリンピックなどで日本がんばれとエールを送る。それが「応援愛国心」である。そして(この書ではそう言っていないが)優勝して表彰台の中央に日の丸が掲げられ、君が代が演奏されればうれしく思うだろう、この場合。「批判なくして向上なしの応援愛国心」というのが中山氏の考えである。
これに対し、「戦争愛国心」とは「国家のために銃をとり、命を捧げる愛国心」とのこと。国のために命を捧げる!? つい最近どこかで聞いたような…。
ただし、戦争愛国心にも契約型と情緒型があり、契約型とは「必要とあれば、国家のために銃をとり、命を捧げる愛国心」のことで欧米人の戦争愛国心はすべてこれであり、契約なので破棄ということもあり、実際スターリングラード攻防戦でソ連軍に包囲されたドイツ軍はヒトラーの玉砕命令を、いくらなんでも玉砕はできないと判断し、命令拒否という形で契約を破棄したとのこと。
情緒型の日本人は、集団の同調圧力が強いのでとことん行くところまで行く。日本の愛国心教育が危険な理由がそこにあるとのこと。
この判決はいくらかでも安倍氏の制作に対する抑止力となりうるだろうか。