八国山だより

ノーサイレントマジョリティ!ごまめの歯ぎしりといえど、おかしいと思うことはおかしいと自分の意思を発信しなければ

クローズアップ現代「“愛国心”って何ですか」

2006-11-15 05:02:11 | ニュース・時事
 教育基本法の「改正」案が今国会で成立する見通しで、その改正案の最大のポイントは、「愛国心」がどう盛り込まれるかということで「愛国心」を教える先生の授業の様子が紹介されていた。2つの学校での様子が取り上げられていたが、一方のある先生は教えられるものではないとして箸を題材に日本の文化を考えさせるものとしていた。


 もう一方の「愛国心」を教える先生の授業の様子では、
日本の四季の写真(富士山の四季の写真)を見せる→四季は美しい→四季がある日本という国は美しい。だから日本はすばらしい。

との展開にしていた。
そして、「四季のない国でも美しいところはあるのじゃないかな」という趣旨の発言をした児童の考えに対して否定とまでは言わないが自分の考え(授業の方針)に同意させるようにし向けていた。


 だが、先生のこの論理の展開には無理がある。四季がなくても美しく、「四季のない国でも美しいところはあるのじゃないかな」と考える児童の自由な心を封殺、あるいは思想の統制とも言えるようなことをしていてそれは先生として厳禁のことなのではないか。
日本の良さをそんなことでしか取り上げられないという考え方も貧弱なのではないか。
他の国や文化に対する知識があってこそ初めて正しく自国の良さが認識できるのではないか。

 愛国心は自分の国が好きだったら自然と身につくものではなかろうか。そこにいることで居心地のよさを感じれば好きになるというもの。個人対国の関係を個人対個人の関係にたとえるのは何だが、相手からの愛情を感じられれば自分もそうしたものを抱く。国が無理矢理教え込まなくても居心地の良さを感じられれば自然とそうしたものが芽生える。
翻って現状はどうだろうか。一部のものに富が集中する一方、医療や年金などで厳しい生活を余儀なくされる高齢者の多くが、働いても働いても貧乏な勤労者がそうした気持ちを抱けるだろうか。国を形作る構成員としての道徳心や規範意識に欠けるからと「改正」するようだが、それが最も当てはまるのは政治家や高級官僚など国の指導層ではないか。
子供たちは大人の嘘を見抜いている。

 番組の中でひとつ気になったのはキャスターの国谷氏が愛国心に対する懸念を「アレルギー」と表現していたこと。愛国心が唱われていない現行教育基本法でさえ、通知票で愛国心が評価されているという現状がある(2003年6月の時点で11府県28市172校)。
これについては、今年の5月27日 asahi.comでこんな記事があった。

<以下引用>
「愛国心」の評価、行き過ぎ指導へ 文科相

小坂文部科学相は26日、愛国心をランク付けする通知票が一部の小学校で使用されていることについて「内心を直接的に評価してはならないと学校長会議や教育長会議で伝達している。通知票に行き過ぎがあれば、学校長の理解を求める努力をしていきたい」と述べ、通知票を通じた強制にならないよう指導する考えを明らかにした
<引用終わり>

つまり、憲法違反というべき思想・良心の自由を侵す行為が早くも行われていた現状で、正式に「愛国心」が盛り込まれたならどうなることか。戦前の教育に戻ることになるのではないか。それを「アレルギー」の一言で片づけるのは…。


 保坂展人氏のどこどこ日記によればタウンミーティングのやらせ発言には謝礼、つまり税金が使われている可能性があるとか。そんなことが許されるのだろうか。
 

 今は教育基本法を変えることより、「いじめ」や、履修不足を引き起こした入試制度、大学のあり方について論議する方が先ではないか。