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京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
夜久野高原で営業再開しました。

時計師の京都時間

2011-12-08 13:30:33 | 日記

今日は雨。
パスティーシュ工房前の道路に自転車の通りが少ない。
雨の日通勤時間帯のバスは大混雑になります。

非防水の時計は要注意の日。
外気温と室内温度の差で湿った空気が時計の中に入り込みます。

時計のガラスが曇ってきたら要注意だ。

今日は12月8日。
真珠湾攻撃の日。「大失敗の日」ガラスを曇らせないようにしたい。
「外務省・アメリカ大使館」
前日の宴会の二日酔いで役に立たないどころか定時に出勤出来なかった館員などのお粗末な対応。終戦までアメリカ本国で安全に保護されていた酔っ払いたちだ。

波状攻撃を中止して本来の目的を忘れてしまった。結果、敵の航空母艦を温存。
ミッドウエイ海戦で同じ司令長官が決定的なミスを連発して自滅。

陸軍は少ない兵力を分散させた戦略的に見事な残念大会でした。

南アジア諸国のヨーロッパ支配からの独立を援助する。すばらしい目的がいつの間にか侵略に変わって最後には南京やフィリピンなどのような虐殺に終わる。

現在の場合もまた同じ。日本企業は人道支援目的で中国・東南アジアに進出してきた。

以来40年ほど経過した現在の日本企業は労働賃金の削減目的で進出する。
現地で暴動が発生しても責任はいつも回避できる。
自分たちの責任とは認めない。

海外進出の初期の目的は「病気と貧困」からの脱却でした。

現在は解決出来ないばかりか格差社会を作り出しているのではないか?
また、危ない「原発」まで輸出しようとしている。
不安定な政治の国に危険な原発は危険だ。

過去「一億総ざんげ」で責任者は終戦後うまく逃げられたのだ。
この反省と検証があいまいなままだ。それが戦後日本の思想体系の基になったようです。

「原発事故」を何度も繰り返した結果が「福島」の大事故につながった。
反省がない70年前の海戦当時と同じ思考方法だ。

「一億総ざんげ」の思考方法です。責任者不在の日本。

電力会社の役員など事故が発生するまでの高額の報酬をどうするのか。
政治家を操って来た政治献金という賄賂は回収できないのか。
原発を作ってきたメーカーの内部留保を補償に利用出来ないか。

事故の災害補償金をなぜ私たち全員の税金で補うのでしょうか。

第一の責任グループの東電社員。第二次責任グループ政治家。第3グループの原発メーカーと東京大学の偽学者。
それぞれが自己責任のうえ生活保護レベルまで弁済して対応してくれないと納得がいかない。

せめて「電力会社の役員、社員の報酬をヨーロッパの電力会社社員並みの年収600万円以下の程度に抑えましょう。」
などの意見はどうして出てこないのか?

「ドジョウ」はそろそろ泥を吐き出す頃なのでしょう。

「労働者派遣法」はコイズミ時代のまま。
「若者と「貧乏人」はまだまだ使い捨てが出来ますので、当分の間使ってください!の意味だ。

「消費税」は諸外国と約束して当然のように上げる。
メーカーもマスコミも大喜びだ。

メーカーは海外へ輸出すると消費税分が戻るので合法的マネーロンダリングができます。
質の悪いジャンク製品に高値をつけて輸出し現地で売れ残りは埋める・捨てる。輸出価格分の消費税が戻ってくるシステムだ。モラルがないので何でもできる日本企業が多いのだ。

メディアは「韓国映画」でぼろもうけ!円高バンザイ番組が増えた!
また勉強不足の「防衛大臣」攻撃なども都合が良い。
「残念大臣」が次から次に出てくるバラエティー番組は予算が安くてすみます!

「原発」は輸出再開。とうとう世界が壊れるまで作るらしい。
核ミサイル競争時代から核原発競争時代に突入した。

「ギャンブル・カジノ」を宮城県名取市に作ってティッシュ王子の500億の負けを取り戻す。

「ドジョウ君」の泥がどれほど出てくるのか興味があります。もっと吐き出しそうなので怖い。

海外で活躍している日本人。
その殆どが使命感をもってその国に貢献しているプライドがあります。

私は日本国内に残した両親がこれほどひどい扱いを受けているとは思っていませんでした。病院では数時間待ち。看護士は機嫌が悪い。
「付き添いの息子さんはいないの?」親はさぞや悔しかった事でしょう。

①日本時間のことを心配しないで働ける環境がほしい。
②日本の学校の卒業式などの校長先生のお話で「米造り農家」の人の苦労話のほか、海外で頑張って働いている日本人の話題もほしい。

娘の「お父さんはいません!」作文を見ると今でも涙が出る!私は生きていたのです。

70年前の眼を覆うほどの敗戦!次世代の若者は歴史を冷静に見つめてほしい。

京都在住の大学生。実質50%は無職で卒業を迎えるようです。
彼らを対象に「海外で働いている日本人観察ツアー」など面白いと思う。
若い人にはまず現場を見る事をお勧めします。













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時計師の京都時間

2011-12-07 15:58:10 | 日記

いつもここからスタート。
晴明神社の境内。
「式神さん」にそっくりな時計師が時折、工房にやって来ます。
たぶん親戚かと思うのですが高齢な時計師なので気安くお話が出来ません。
時計修理工房1週間の無事を感謝してお参りする。


大宮五辻。ここから西へご辻通り天神様までつながっています。
材木店。機織。糸染めなどお店が並んで活気だ。老舗「西陣まいづる」さんでは売出しが始まっていました。


「杼」最後の一軒になったお店。
横糸を通す道具は機織には必需品。


鳥岩楼さん。美味しい親子丼の名店。
気軽に入れて坪庭が見事。思わず見とれてしまうほどの庭です。
昼の時間が限定されているので予約したほうがいいと思います。

千本通りに出会うとこんな道案内がある。さらに西へ進む。


千本釈迦堂。今日は「大根炊き」(だいこたき)の日です。境内で大根を頂いて無病息災を祈ります。


今日は晴れの日。たくさんの人でにぎわっていました。
大なべの中で煮られている大根。これほど大量の大根を見ると感激します。

出店も出て、お手伝いのオネーさんもいそがしい。暇な時計師にかまっている時間はないのだ。
一個おまけしてくれました!素直にうれしい!


大根1000円。容器が150円。
市場で150円の大根が1000円!なのだ。観光客の「高い!」と言う声が聞こえた。

「上京の人はけちだ!」
京都の人から言われるほど西陣の家庭はつましい生活を送っている。私も西陣地区のど真ん中に住んでいる。
ところが、今日のような「はれ」の日はドンと奮発する。

五辻通りを歩いていると「だいこ炊き」の容器をぶら下げている人とすれ違う。
皆嬉しそうだ!「んちゃ!」とすれ違い様に挨拶を交わす。
京都では「こんにちわ」が「んちゃ!」に簡素化される。

近所の中学校では家庭訪問の日なのでしょう。先生と一緒に数人の生徒が仲良く歩いていました。
もうそろそろ冬休みの計画を立てる時期なのだ。

日本に帰国したときに感じた。日本人の「子供の眼が死んでいる。」ことでした。
子供の目が曇っていてうつむき加減に歩く。大人が怖いらしい。
しばらくすると慣れる。

京都に帰ってみるとその心配がうそのように消えた。
「おっちゃん!おはよ!」「おはようさん!」の挨拶がある街なのです。
大人と子供の距離が近いと思う。眼を見てお話してくれます。

日本一「けちな」西陣地区と言われてもいいと思う。
開き直って「ケチがどうした!」と言いたい。
日本一安全な街なのだから時計師が生活していられるのです。

明日から仕事が始まる。12月はいそがしい日々が復活しています。
一万円札の両替だけはご勘弁ください!




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時計師の京都時間

2011-12-06 13:27:29 | 日記

看板が出来上がりました!
銘木は近くの応援団から頂きました。
オープン以来何かにつけて気を使ってくれる嬉しい存在。

時計屋は一人では生きていけません。
いろいろな町に頼もしい応援団が存在しました。

3日間。大急ぎで作り上げました。
1日目。サンドペーパーの2000番まで3種類を使う。
掛時計用のワックスで磨く。力仕事が一日続きます。
表面をきれいに仕上げた。木目がきれい。

2日目。
文字を書く。私はPOPのベテランなのだ!
昔、看板屋さんに弟子入り後、社内ではPOPの「なんちゃって講師」なのだ。

「ロレックス(116233)100メーター防水。」
など売り場で見つけるPOPはすべて手描きの時代。

現在はPOPマシーンに変わってしまい私の時代は終わった。
こんな時に役に立つのがオヤジだ。

時計文字盤用のペンキを2度塗り。「ミッドナイトブラック。」

シャドウの黄色は油性ポスターカラー。朝日が当たる工房を表現したかった!
手造り感を出すために少し粗く書き込む。

3日目
「年輪時計」用のニスを使う。楽器のチェロ用ニスもあるが着色されているので使えない。薄く延ばしながら2度塗り仕上。

4日目。脚立を使い。大型時計を吊り下げる時に使う滑車を利用。
出来上がり!

看板屋さんに依頼するともっといいものが出来るのですがこの年になっては「自分でやって!」と断られそうだ。


看板下書き用の紙がもったいないので「パステー君」と「タヌキ」を描いた。

「タヌキ」は私の子供が小さな頃に作った紙芝居の主人公だ。
「かちかち山」の悪役ですので少し人相が悪い。

今日の京都ルール。
「ダイコン」
私が初めて上洛した頃、冬になるとアルバイト先が近い食堂で「ダイコン」の煮付けが出た。「おいしいのだ。」
九州のダイコンの煮物とは味が違う。
調べてみた。自分で作ってみた。

スーパーでダイコンを購入。だしは田舎の飛び魚を使った。「しょうゆ」も京都のものを使う。
(平戸では飛び魚の事をアゴという。アゴが腐るほど泳いでいる。)

出来上がったダイコン。味が違う。ダイコンに問題があると思い右京区上野橋の農家へ行きダイコンを分けてもらう。
再度作るがやはり味が違う。

そこでいつもの食堂のおばちゃんに作り方を聞いた。
「ダイコンとエビ芋」の作り方を尋ねると週末の朝、調理場に通してもらうことになる。

「煮干」の頭を取ってさらに「昆布」をなべの下に引く。あわせだしの事をはじめて聞知った19歳。
 しつこくアクを取る作業に時間をかける。すぐに飽きたが許してもらえない。

これでお仕舞いと思った時に、なんとお酒をドボドボとつぎ込む。
「本物のお酒ですか!」と聞く。
「飲んでみるか?本物やで!」なぜそんな事を聞くのか不思議そうだ。

「反則だ!」お酒は飲むもので料理の中に入れるものではない。かなり不愉快です。
もったいないのだ!

平戸の島「森のじいちゃん」(つり道具の仕掛け造りの先生だ)を思い出す。
釣り針の1本1本に釣り糸を巻きつけていく。吊り上げる時に解けると悔しい。真剣な作業だ。
「あんたは器用だから時計屋さんになったらよか!」よくほめてくれた。

食事時になると皿の上に置かれたコップを用意。
そこに表面張力で膨らむほど日本酒を入れる。

コップに口を持っていくがいつも少しこぼす。お酒を飲み終えた後、最後に皿をなめるように酒の雫をおいしそうに飲む。
酒は貴重なものでした。
いつも静かな「森じいさん」がお酒が入ると饒舌になる。

「漁に出るといろんなものに出会う。時にはおろくさん(溺死体)にも出会う。
その時には一度突き放す。私に祟るようなら引き上げん。このまま遠くに行ってくれ!
祟らんのじゃッたらも一度近づいて来なさい!」
朝鮮戦争直後の長崎の玄界灘です。波が荒い。
それでも殆どの水死体が船の周りに近づいてくるのだそうだ。

時には大きな牛が流されてくる事もある。「牛まで日本に逃げてくる」
悲しい時代はまだ終わっていなかったころだ。
そんな町から京都へやってきた。

贅沢にドボドボとなべに入れられるお酒。日本一えらそうなダイコンです。

冬。京都の小料理屋でダイコンを注文する時には少し緊張します。

明日はお休み。「ぶりダイコンが食べたい!」


















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時計師の京都時間

2011-12-05 14:05:07 | 日記

ウラブタの傷取り活躍しました!

可愛い女性がやってきました。
「ウラブタを開けて電池交換したのですが、しまらない!」
時計用の電池は高くても600円くらいでしょう。
誰でも一度は自分でやってみたくなります。

経験上、一度や二度は血吹雪!時計が血だらけになる事がある。
特に年末の忙しい時にスパッと切ってしまいます。
また切れないようなオープナーでは工具として役に立ちません。

特に指先を大切にする女性には時計の修理をお勧めしません。
私の表情は硬い。
内心では「よく頑張ってここまで出来ました!」なのだ。
電池交換をやってしまうような女性は魅力的!

持ち込まれた時計の状態にもよりますがアマチュアさんは無料です。
プロの時計屋さんは当然有料。通常の電池交換料金をいただきます。
(プロが閉められない時計なので難易度が高い。)

時計には「マシーン」と「ジュエル・装飾品」二つの要素があります。
「マシーン」の時計には傷がついても気にならない。素人歓迎!
「装飾品」はアマチュアには触ってほしくない。

南仏の海岸線でBMWの運転席から陶磁器のような腕が見えた。作り物のような白く細い腕にブルガリ・スネークが輝いていました。
ブルガリをはじめてみた瞬間です。

オペラ劇場でのこと。ホワイエでコーヒーを楽しむ。隣の女性の腕にはシャネル・マドモアゼル。真珠のブレスレットとスクエアの文字盤は肌と同じ白さだ。

ドレスアップした若い18歳位の女性がこちらを向いた。
「一人でオペラを見るのは初めてなの!」
ブルーの瞳がきらきらと輝いていた。

今日12月5日は「モーツアルト」の命日。
「魔笛」が始まっても先ほどの女性のことが気になってオペラに集中できなかった思い出です。
また、圧倒的な「文化」の差を見せ付けられた記憶です。

「マシーン」は使い終えたら捨てる。
「ドレスウオッチ・装飾品」は後世に残す文化がある。

「ドレスウオッチ」。言葉の意味を突然理解出来た日でした。

ちなみにモーツアルトは「チェロ」のソナタ、コンチェルトは書いていません。
当時にチェロの名手がいなかった。
30歳代で亡くなったので楽器のよさを理解できるまで生きられなかった?
とにかく「残念!」

「タイムマシン」を開発してカザルスかロストロボービッチをその時代に連れて行きたい。

ヌーベル・パスティーシュの看板にタヌキが登場しました!










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時計師の京都時間

2011-12-04 14:21:24 | 日記

クリスマスディスプレイ。
時計旋盤もクリスマス気分です。

奇跡が起きますように!
朝目覚めると「巻真が出来上がっていた!」なんてことは起こらないでしょう。
都合のいい夢から覚めて仕事しましょう!

店頭の看板が色あせてどんな仕事をしているのかわからない!
近所の人から看板用の板をいただきました。

早速、手描きで出来上がり!
へたくそなどで、銘木を用意していただいたのに、申し訳ない。
明日から新しい看板で頑張ります。

12月にはいると1万円札のご利用が多い。
午前中につり銭がなくなった。
500円のサイズ調整に1万円札を出す。

5人連続で1万円札が続くとお手上げ状態です。
奇跡の両替・電池交換の日曜日!

近所に銀行がない。郵便局もない。コンビ二もない。
のどかな京都・洛北の風景だ。

「就活」用時計の電池交換が続いています。
女性のお客様、エルメス・カルチェもちらほら。

エルメスの「Hウオッチ」はビジネススーツによく似合う。
これほど女性のスーツ姿に似合う時計も珍しい。

カルチェの「タンクフランセ」もお勧め!
販売額だとロレックス、オメガ、T・HEUERからかなり引き離されて8番目か9番目のブランドの位置にいるのですが特徴は修理需要が多い。
長年飽きられないで使われているのでしょう。

海外の友人たちは12月に入ると講義も休講にして本国に帰っています。
「パステー君は帰らないの?」
どこに帰るのじゃ!彼らから見ると私は無国籍人間のような位置づけらしい。

「パステー君!フランスでは死なないでね!」
親切で言っているのではない。

私はジャンク・フードで生きて来たので食品に混入されている防腐剤の効果で死んでも腐らないそうだ。
ヨーロッパでは土葬が多いのでアルプスのクレバスに落ちた死体のようにいつまでも原形をとどめている。
数百年後「日本人の死体がまた発見されました!」など報道されるのは困る。

「若者が海外で仕事をするのを嫌がる!」など報道されています。
「嫌がるのが当たり前だ!」と思う。

現実。海外の職場に赴任して身体を壊して帰国後、やむなく退職。それからの人生の保証がない。親戚、友人などこんなケースはよく見てきた。

「アルコール中毒」「うつ病」など精神的な病気が多いのが特徴。

依然勤めていた会社では海外からの「引き上げ組」が小会社に回される。
大企業なら当たり前の人事異動です。

本人もつらいが受け入れサイドは毎日が我慢大会。
「ご病気」課長、係長の異常行動が目立つのです。
私たちには手が出せない人事なのだ。

突発的に休むので満足に出勤ローテーションも組めない。
たまたま病気が回復する即、本社に復帰。挨拶もない。
リハビリ型小会社の標準形だ。

日本型「輸出攻勢」の影の部分は報道されない。

下請企業の海外進出が進んでいます。
海外で「腐ったら」自費で戻ってくるので資金も必要だ。常時帰国費だけは確保したい。
「骨を拾ってやる!」と送り出される。経験上、拾ってもらった事は一度もないので「嘘八百」には信用しない事だ。

「関西」「九州」出身者は簡単に海外に放り出される事が多い。
「中部」「首都圏」はしぶとく国内に固執します。
特徴をつかんで上手に対応しましょう!


















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