京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
夜久野高原で営業再開しました。

時計師の京都時間「夜久野は遠い」

2024-02-10 10:00:56 | 時計修理

「春雨や ネコに踊りを 教える子」一茶。夜久野は毎日曇り空の日々が続きます。家の中でネコと遊びたいがコタローは京都のまま、寂しい日々が続きますが来週にはつれてくる予定です。

今日から旧暦では新年の始まりです。昨年は悪夢のような昨年でした。2月13日には「松本零士」さんが亡くなったのが悪夢の始まり昨日の旧暦の大晦日に「小澤征爾」さんの訃報にただただ驚くばかりです。仲間も一人では耐えられないのか電話がかかってきました。「今どこ?」「夜久野!連絡してなかったかぁ~?」「えっ~!あの福知山の先の夜久野か?どうして!」感嘆詞ばかり続く。「夜久野は遠いなぁ~、福知山の先だもんなぁ~。」あきらめきれない声が続きます。京都市内ならこの寂しい時間を誰かといっしょに過ごしたいものです。昨夜はN響演奏のドボコン(ドボルザーク・チェロコンチェルト)ロストロボービッチ(スラヴァと小澤は呼んでいました)、小澤征爾指揮のVTRを見ながら一人ポツンと過ごしました。チェロの故徳永兼一郎氏の横に堀川高校卒の天才チェリスト藤森亮一氏も並んでいてフルート・オーボエなどなじみのある人ばかりの貴重な映像です。みんな若い!たぶん阪神大震災後の演奏会だったか?やはりこんなさびしい時にはネコのコタローが必要なのだと思う。「春雨や ネコに踊りを 教える」時間は寂しいものです。

今日は旧暦のお正月。去年があまりに悪い年だったので「松本零士」氏のことを忘れていました。「銀河鉄道999」より「男おいどん」の世代ですが夜久野町にかかわりがあったことはあまり知られていない。まして天文学者の「荒木駿馬(あらきとしま)」氏と夜久野町のかかわりも今では遠い過去の話になっているのか?彼は京都大学の教授であり京都産業大学の創設者です。戦時中二年ほど疎開で「星がきれいな街」夜久野町に住んでいました。その関係で「松本零士」へつながり「上夜久野町」が「銀河鉄道999」で心の駅に指定されている。昔の子供たちが憧れた「天文学」が大気汚染で日本国内から消えそうな時代です。

私が京都産業大学を受験したのも彼に憧れて遠い長崎から京都まで急行雲仙号でやってきました。残念なのがいまだにこの大学に天文学科がなく物理科学科だけなのが不満。京都産業大学の名前を見るたびに忘れ物をしたような気がします。彼の数々の「時間と暦」「占星術」関係の著作に憧れた。私が卒業した1978年7月10日星がきれいな夏の夜にお亡くなりになりました。

「夜久野は遠い」「お前が言うか!」そう言った友人は海外へ頻繁に出かけるがフランクフルトのハブ空港まで12時間が気にならない人なのに福知山乗換え夜久野の二時間に耐えられないようです。私は何かの縁に引っ張られて鈍行普通列車・銀河鉄道999に乗ってしまったようですね~。

昔むかしフランスの小さな町「ブザンソン」に着いたときに「ここが小澤征爾がコンクールで優勝した町なのだ!」などと感激したものです。ブザンソンはかつてフランス時計産業の中心地でもあって「ジェラルドジェンタ・ミッキーマウスウオッチ」ゆかりの地でもある。この栄光の日々も時間クスリでいつの間にか忘れ去られてしまうのでしょうか?寂しいオヤジの夜でした。

 

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