京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
夜久野高原で営業再開しました。

時計師の京都時間「京都のニューイヤー・ブルー」

2016-01-03 11:16:30 | 時計修理

新年カウントダウンが始まる微妙なタイミングで降りだした雨!真っ暗なお年越しです。
今年も今宮神社でお年越し.
「昨年のお正月は降りだした雪が大雪になってしまいましたね~。」
そんな会話の中、後ろに並んでいた紫野小学校のかわいい女の子と相合傘でお友達になりました。

今年は朝には一変快晴の京都。

年末の応援で使いきった材料を工房で補充。修理工具のメンテナンスを終えて近所の久我神社、貴船神社へ初詣に行く。
 貴船神社で清めて頭を上げたとたんひさしの角に頭をひどくぶつけた!
「あいたたた~!」としゃがみこむ。
今年は当たり年になりそうです。

貴船神社の舞台!人間と鬼の世界が融合して出来たといわれる貴船神社。
名古屋時代、東山にある貴船さんに「京都へ戻してください!」とお願いした。
そのおかげで無事に京都へ無事に戻れて今年で13年目になる。

貴船神社のお参りは毎年恒例になりました。頭をぶつけてもいく!
もう一枚の写真は工房のお正月飾り。小さいけど水引を凝っています。嫁さん作成。

今年は新年早々自宅の引越しやらチェロの演奏会などで仕事以外のスケジュールがいっぱいです。
元旦は京都駅で娘と待ち合わせ。私は仕事の帰り、娘達は初売り福袋目当てです。ちょっとショックだったのが娘達が入っていったポルタの「ロペ・ピクニック」!

私は昔ファッションビルの館長!くさっても館長!ファッションビジネスにも多少の知識はある。
20年前、テナント・リーシングやMDは「ロペは109、百貨店さんに任せてグラマージーンで行こうよ!」と合言葉で年齢層18~20歳に合わせたビル造りををやった。

自分の娘がいつの間にかロペのマネキンさんと仲良くお話をしている姿にちょっとショック。ロペのターゲットゾーンにぴったりと合った30オーバー、大人の年齢になっていたのでした。

ニューイヤー・ブルー。娘達が揃って言う言葉です。
新しい年が始まると休みも終わりすぐに仕事が始まる。新年のオヤジたちへの挨拶が面倒だ。
おまけに歳が一つ増える。これではブルーになるのが当然か?
最近は新年会も実費!会社からの補助がない会社が増えたのも信じられない変化です。

私の場合、時計業界の場合は一つでも早く歳をとりたかった。30才前後の若造が何を言っても認められない世界、トッチャン時計全盛期のころでした。

それが今の時計売り場を見るとオヤジ向きの時計は皆無に近い。
売れた時計のサイズ調整ではバンドはほとんど中国製で年々困難を極めます。
社会構造の変化が急激におきているのを実感します。

セイコー、シチズンのソーラー電波時計コーナーは若者には見向きもされない。「就活時計」でやっと売れる程度でした。
2000年初頭にシチズンのトップが全製品ソーラー化を宣言して以来、急激に時計の世界が変わりました。
「使い捨て」の時代が始まり今では使用期限が10年アイテムに落ち着いたようです。

「時計師」も私たち世代で終わり。そろそろ幕引きのタイミングを見計らっています。
これが一番難しい!
年末30日に来たお客さんが印象に残る。「機械式ぼんぼん時計の修理をやってほしい!」時計は持って来ていない。
お断りしたところいきなり怒り出して捨て台詞を残して帰っていった。
 時計を持って来ていないのでどこが悪いのかもわからないのです。
「時計師だったら当然時計の修理をやって当たり前!なんだこのバカオヤジは!」と怒りをぶつけられた。ちょっと悔しい。

数年前からぼんぼん時計の修理はやめています。
仲間修理も今年からやめる連絡を取った。預かっていた時計もボチボチ戻していきます。

残り10年程度の少ない年数を腕時計の修理に集中出来る環境を作ろうと思う。
次世代の時計師に引き継ぐ為には掛時計の修理をやっていると採算が合わない。
ノスタルジーだけでは生活が出来ないのです。

「新年を古い懐かしいぼんぼん時計を修理して初めようと思いついたのでありがたいと思え!」掛時計部門ではこのパターンの客が多い。
現実、掛時計の修理は命がけです。
中腰作業でくたびれて腰痛が再発、ヘルペスに悪化して動けなくなった事もある。
ダニ、ホコリを吸い込んでしまい副鼻腔炎で顔まで腫れ上がったりした。

帯状ヘルペスの治療薬も一回8000円かかる、副鼻腔炎にかかると本業の腕時計の修理どころではなくなる。ぼんぼん時計は1台修理して5000円。
とても若い時計師には勧められない世界なのです。私の代で幕引きをしましょう。

新年ブルー。最近の時計師は新年が近くなるとブルーに変化する人が増えた。
工房は明日から開店!
1950年代、セイコー第二工場で初仕事の写真がある。着物姿もちらほらでみなさんうれしそうな顔でいっぱい!
この写真がある間はまだ頑張れると思います。
今年も前を向いて半歩くらいは進んでいきましょう!よろしく。



















コメント
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