京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
夜久野高原で営業再開しました。

時計師の京都時間。

2013-01-19 09:21:04 | 日記

今日からセンター試験が始まりました。
快晴の京都、気持ち良い朝を迎えました。
明日は「大寒」旧暦師走の10日に当たる。

京都の気候は旧暦で判断することで納得できる事が多い。
1月25日は旧暦師走の14日です。
赤穂浪士の「討ち入り」。大雪の朝の寒さを想像します。

「京都駅は京都と違う!」
地元の人がよく言う。
京都駅はリトル東京。「ヨドバシカメラ」「ビックカメラ」「伊勢丹」など東京文化の街になりました。
東京と京都をつなぐ異次元の空間が京都駅です。

「京都」は七条通から北を指します。

東京は過去を一掃、捨てる文化なのでしょう。古いものを壊して次々に新しい物を作っていくことで都市として成り立っているようです。
今日出来たものは明日にはゴミで捨てないといけない文化。
「東京で売っているものは一年過ぎるとほとんどがゴミ。」

京都では一年物などまだ新しくて信用してくれない。
3年ほど経過して町になじむ。
時計のフォーラムを「京都」で開催するようになったら時計業界も少しはよくなると思います。

今日からセンター試験が始まった。
京都の大学に進学の為に上洛、視察します。
まず京都に着いたら、東・西本願寺周辺を見るでしょう。

学生に二通りの反応があります。
①かび臭く、抹香臭い町に驚く!
「古臭いものばかりだ!こんな田舎町に4年もいるのはいやだ!」
そのまま、新幹線で東京へ向かう。

②完成された芸術都市に驚く。
「未熟な自分が生涯かけても到達できそうもないものが目の前にある。そのような不思議な文化に押しつぶされそうだ!」
自信をなくしてそのまま東京に向かう!
東京は田舎者の都市なので未熟でも無知な自分でも何とかやっていけそうなのだ。

私はめちゃめちゃな後者でした。長崎県から上洛後、一度は京都から東京に出てみたのだが思い直して「西行法師」の町にチャレンジする。大学は京都に決めた。
なんとか入学できた。

5年かけて卒業後、30年ほど京都から離れ地方都市で働くことになるが家族の合言葉は「京都に帰ろう!」でした。
生涯の大きな再チャレンジの目標があったのでかろうじて生きてこれた。

京都時間を理解するための助走期間でした。30年以上もかかった。
亀よりも遅いスピード!

京都に戻ってきて約10年たちました。
それでも、時折びっくりする事がある。
2,3日前市内のお寺で「大根炊き」をやっていました。本来12月の催しです。
このお寺さんでは旧暦の師走にあわせて寒さも本格的になった「大寒」近くのタイミングに行事をやっていたのです。
本来の「気候と歴史の文化」が生き生きと残っていました。

「東京」を中心とした「虚無」が拡大中です。
「虚無」の中で生活している人は時折それに気がつくようです。
「むなしい!」とつぶやきます。
最近、気がついてみると気持ちが空虚になることはなくなりました。

「観光」と「大学」は京都を目指してみましょう!
後悔することもありますが、生きているうち幾度か京都に住んでいて良かったと思うことに出会う。
雪の「京都時間」は寒さが身にしみますが思い出には残ります。















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする