現在の千代田区紀尾井町のその町名は、よく知られてるとおり、
「紀」伊(徳川家)、「尾」張(徳川家)、「井」伊家のそれぞれ
中屋敷があったあたりなのでそのカシラを取って合わせたものである。
井伊家中屋敷は井伊家に下される前は加藤(清正)の下屋敷だった。
井伊家の中屋敷があったあたりは(明治に)伏見宮邸を経て現在、
ホテル・ニューオータニとなってる。30代の頃私は、
このガーデンラウンジを打ち合わせでよく利用してた。ともあれ、
そのニューオータニの裏側というか、弁慶橋から鮨はしぐちに向かう道を
(はしぐちは一か月ほど前に豊川稲荷の裏へ移転したらしい)
通称紀尾井ストリードたはブランド通りと言ったりする。その一角に、
マードレ松田ビルというオフィス・ビルがある。車で通ると、
あまりにもニューオータニの高級ブランド・ショップに溶け込んでて、
まーどれかしら? と言ってるうちに通り過ぎてしまうほどである。
そのビルのオウナーは故松田トシ媼である。
松田トシ(芸名=敏江)女史(1915-2011)は、かつて、
NHKラヂオの「歌のおばさん」で歌ってた童謡歌手である。後年、
日テレの「スタ誕」の審査員のひとりとなった。同番組で、
オーディションを受けた中森明菜女史を目の敵にしたことでも知られる。
中森女史が3度も受け直さなければならなかったのは、
気負いがあったか紀尾井町があったかどうかは知らないが、
松田女史から毛嫌いされてたことが大きかった。その
3度めのときの歌が、詞=阿木燿子、曲=宇崎竜童の
「夢先案内人」だった。
松田女史は現在の東京芸大を出た、ともかく
音楽の基礎を勉強した歌い手である。が、
中森女史はそんな教育などないに等しい。ところが、
歌、とくに流行歌は、ある程度の歌唱力と声質がものをいう。
ことに声質で売れる売れないは決まるのである。
松田女史は楽理を知ってはいるが、声に魅力が乏しい。同じく
松田でも松田(芸名ではあるが)聖子女史の声には、そして、
中森女史の声には、聴者を惹きつける艶がある。そして、
中森女史のいわば素人の歌唱のほうが、
専門に勉強した松田トシ女史の歌唱力よりも、はるかに上なのである。
松田トシ女史は好き嫌いで真の歌謡曲歌手である中森女史の才をつぶす
愚をおかすところだったが、中森女史にとってその障壁は
[夜明け前です]
ということだったのかもしれない。ただ、松田トシ女史は、
語中ガ行や格助詞ガを鼻濁音で歌うことにこだわった一人だった。
"美しい日本語"などというものを私はナンセンスだと思うが、
この「鼻濁音」に関しては松田女史らと同意見である。
あのがなりたてるようなバルバロイな「ガ」というのを聴くと、
じつに不快になる。松田聖子女史の時代には、
たとえ"非鼻濁音地域"で生まれ育った者でも
語中ガ行や格助詞ガなどは鼻濁音で歌ってたのである。
由緒ある蒲池氏の血筋ながら非鼻濁音地域出身の松田聖子女史も、
けっして自慢できない出自の中森明菜女史でさえも、
目立つ箇所では鼻濁音、そうでないところでも少なくとも
鼻濁音と非鼻濁音の中間音で発音してたのである。それが
荒井由実以来、現在では歌謡歌手は誰も彼も
非鼻濁音の「ガ」で臆面もなく歌う。
たとえ流行歌の世界であっても聞き苦しいことこのうえない。
その点で、松田トシ女史は真っ当な神経を持ってたといえる。
「紀」伊(徳川家)、「尾」張(徳川家)、「井」伊家のそれぞれ
中屋敷があったあたりなのでそのカシラを取って合わせたものである。
井伊家中屋敷は井伊家に下される前は加藤(清正)の下屋敷だった。
井伊家の中屋敷があったあたりは(明治に)伏見宮邸を経て現在、
ホテル・ニューオータニとなってる。30代の頃私は、
このガーデンラウンジを打ち合わせでよく利用してた。ともあれ、
そのニューオータニの裏側というか、弁慶橋から鮨はしぐちに向かう道を
(はしぐちは一か月ほど前に豊川稲荷の裏へ移転したらしい)
通称紀尾井ストリードたはブランド通りと言ったりする。その一角に、
マードレ松田ビルというオフィス・ビルがある。車で通ると、
あまりにもニューオータニの高級ブランド・ショップに溶け込んでて、
まーどれかしら? と言ってるうちに通り過ぎてしまうほどである。
そのビルのオウナーは故松田トシ媼である。
松田トシ(芸名=敏江)女史(1915-2011)は、かつて、
NHKラヂオの「歌のおばさん」で歌ってた童謡歌手である。後年、
日テレの「スタ誕」の審査員のひとりとなった。同番組で、
オーディションを受けた中森明菜女史を目の敵にしたことでも知られる。
中森女史が3度も受け直さなければならなかったのは、
気負いがあったか紀尾井町があったかどうかは知らないが、
松田女史から毛嫌いされてたことが大きかった。その
3度めのときの歌が、詞=阿木燿子、曲=宇崎竜童の
「夢先案内人」だった。
松田女史は現在の東京芸大を出た、ともかく
音楽の基礎を勉強した歌い手である。が、
中森女史はそんな教育などないに等しい。ところが、
歌、とくに流行歌は、ある程度の歌唱力と声質がものをいう。
ことに声質で売れる売れないは決まるのである。
松田女史は楽理を知ってはいるが、声に魅力が乏しい。同じく
松田でも松田(芸名ではあるが)聖子女史の声には、そして、
中森女史の声には、聴者を惹きつける艶がある。そして、
中森女史のいわば素人の歌唱のほうが、
専門に勉強した松田トシ女史の歌唱力よりも、はるかに上なのである。
松田トシ女史は好き嫌いで真の歌謡曲歌手である中森女史の才をつぶす
愚をおかすところだったが、中森女史にとってその障壁は
[夜明け前です]
ということだったのかもしれない。ただ、松田トシ女史は、
語中ガ行や格助詞ガを鼻濁音で歌うことにこだわった一人だった。
"美しい日本語"などというものを私はナンセンスだと思うが、
この「鼻濁音」に関しては松田女史らと同意見である。
あのがなりたてるようなバルバロイな「ガ」というのを聴くと、
じつに不快になる。松田聖子女史の時代には、
たとえ"非鼻濁音地域"で生まれ育った者でも
語中ガ行や格助詞ガなどは鼻濁音で歌ってたのである。
由緒ある蒲池氏の血筋ながら非鼻濁音地域出身の松田聖子女史も、
けっして自慢できない出自の中森明菜女史でさえも、
目立つ箇所では鼻濁音、そうでないところでも少なくとも
鼻濁音と非鼻濁音の中間音で発音してたのである。それが
荒井由実以来、現在では歌謡歌手は誰も彼も
非鼻濁音の「ガ」で臆面もなく歌う。
たとえ流行歌の世界であっても聞き苦しいことこのうえない。
その点で、松田トシ女史は真っ当な神経を持ってたといえる。
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