5月21日は、「眠れるジプシー女」の画家アンリ・ルソーが生まれた日(1844年)だが、物理学者アンドレイ・サハロフ博士の誕生日でもある。「水爆の父」である。
アンドレイ・ドミトリエヴィッチ・サハロフは、1921年、ロシア(ソビエト連邦)のモスクワに生まれた。父親は私立学校の物理学の教師だった。
21歳の年に、モスクワ大学を卒業したサハロフは、第二次大戦中は疎開してロシアを離れていたが、戦争が終わると、モスクワにもどり、ソ連科学アカデミー物理学研究所で、宇宙線などの研究をした。そうして、27歳ごろから、ソ連の国家プロジェクトである原子爆弾開発のチームに加わった。
1949年8月、彼が28歳のとき、原爆が完成。
1953年8月、32歳のとき、水爆が完成。この偉業によって、彼は「ソ連水爆の父」と呼ばれるようになったが、核実験による放射能汚染のひどさに驚き、あわてて当時の最高権力者フルシチョフに、核実験の中止を進言した。ここがサハロフの転換点になった。
40歳のころから、民主化要求、人権擁護の発言をするようになり、1975年、54歳のとき、ノーベル平和賞を受賞。世界的な名声は高まったが、ソ連国内では批判も強かった。
1980年、59歳のとき、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議。これが共産党指導部の反感を買い、サハロフはすべての名誉を剥奪され、流刑罪に処せられた。流刑地は、シベリアではなく、ヴォルガ川沿いの大都市ゴーリキー市だった。
65歳のとき、ソ連の最高権力者の座についたミハイル・ゴルバチョフによって、流刑罪が解除され、モスクワにもどった。ソ連では、ゴルバチョフ、シュワルナゼによる「ペレストロイカ(改革)」が進み、時代の空気は大きく変わりつつあった。
67歳のとき、サハロフは人民代議員に選ばれ、以後、政治家として民主化、自由化、平和主義を訴え、「ペレストロイカの父」と呼ばれるようになった。
1989年12月、心臓麻痺のため没。68歳だった。
兵器開発、後悔、思想の転向、栄誉剥奪、流刑、復活、新たな栄誉、というサハロフ博士の人生は「人間は変わっていいのだ」と教えてくれる。
「うわっ、とんでもないことをしでかしてしまった」
と、気づいたら、さっさとやめて、反対の行動をとるべきである。サハロフ博士が、水爆製造を後悔して以後沈黙してしまった場合を考えると、それよりは、その社会的影響力を生かして反核を訴えたほうが、やっぱりよかったと思う。サハロフ博士の転向は、とくに勇気がいったろうし、命を失う危険もあった。
人間は完璧ではない。生きていればまちがいもある。まちがいに気づいたら、謝り、行動を改め、その時点で「いい」と思うことをすればいい。いつまでも非難しつづける者もいるだろうし、心中には疑念もちらつくだろうけれど、それでも萎縮し黙りこみ、ざんげに励むのでなく、たとえあと一日の命しかないとしても、よかれと思う方向へ一歩を踏みだすべきなのにちがいない。
(2015年5月21日)
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アンドレイ・ドミトリエヴィッチ・サハロフは、1921年、ロシア(ソビエト連邦)のモスクワに生まれた。父親は私立学校の物理学の教師だった。
21歳の年に、モスクワ大学を卒業したサハロフは、第二次大戦中は疎開してロシアを離れていたが、戦争が終わると、モスクワにもどり、ソ連科学アカデミー物理学研究所で、宇宙線などの研究をした。そうして、27歳ごろから、ソ連の国家プロジェクトである原子爆弾開発のチームに加わった。
1949年8月、彼が28歳のとき、原爆が完成。
1953年8月、32歳のとき、水爆が完成。この偉業によって、彼は「ソ連水爆の父」と呼ばれるようになったが、核実験による放射能汚染のひどさに驚き、あわてて当時の最高権力者フルシチョフに、核実験の中止を進言した。ここがサハロフの転換点になった。
40歳のころから、民主化要求、人権擁護の発言をするようになり、1975年、54歳のとき、ノーベル平和賞を受賞。世界的な名声は高まったが、ソ連国内では批判も強かった。
1980年、59歳のとき、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議。これが共産党指導部の反感を買い、サハロフはすべての名誉を剥奪され、流刑罪に処せられた。流刑地は、シベリアではなく、ヴォルガ川沿いの大都市ゴーリキー市だった。
65歳のとき、ソ連の最高権力者の座についたミハイル・ゴルバチョフによって、流刑罪が解除され、モスクワにもどった。ソ連では、ゴルバチョフ、シュワルナゼによる「ペレストロイカ(改革)」が進み、時代の空気は大きく変わりつつあった。
67歳のとき、サハロフは人民代議員に選ばれ、以後、政治家として民主化、自由化、平和主義を訴え、「ペレストロイカの父」と呼ばれるようになった。
1989年12月、心臓麻痺のため没。68歳だった。
兵器開発、後悔、思想の転向、栄誉剥奪、流刑、復活、新たな栄誉、というサハロフ博士の人生は「人間は変わっていいのだ」と教えてくれる。
「うわっ、とんでもないことをしでかしてしまった」
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人間は完璧ではない。生きていればまちがいもある。まちがいに気づいたら、謝り、行動を改め、その時点で「いい」と思うことをすればいい。いつまでも非難しつづける者もいるだろうし、心中には疑念もちらつくだろうけれど、それでも萎縮し黙りこみ、ざんげに励むのでなく、たとえあと一日の命しかないとしても、よかれと思う方向へ一歩を踏みだすべきなのにちがいない。
(2015年5月21日)
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