11月26日は、ゴロで「いい風呂」の日だが、言語学者フェルディナン・ド・ソシュールの誕生日でもある。
フェルディナン・ド・ソシュールは、1857年、スイスのジュネーヴで生まれた。父親は鉱物と昆虫の学者で、母親は芸術を学んだピアノの名手だった。裕福な家庭に育ったフェルディナンの下には8人の弟妹がいた。
語学が好きだったフェルディナンは、少年時代にすでにドイツ語、英語、ラテン語、ギリシャ語を身につけ、14歳のころには、言語の一般理論として、 r と k が使われる単語はつねに権力と暴力を示すという説を立てた論文を書いていた。
ギムナジウムの学生だった16歳のとき、ギリシャ語のなかに、n であるべきところに a が替わる場合があるのを発見したが、彼はこれを当たり前のことと考えていた。
17歳のとき、スイスにいながらにして仏国のパリ言語学会に迎えられたソシュールは、18歳のときにその会報誌に論文を発表し、サンスクリット語を独学で勉強し、ドイツのライプツィヒ大学に留学した。彼がライプツィヒにいるとき、同大学の語学教授がギリシャ語の n と a の代替を世紀の大発見として発表したのにショックを受けた。
同大学で博士号を得たソシュールは23歳の年にフランスへ移り、高等研究院で講義をはじめた。そして34歳のとき、フランスの学界での最高の地位であるコレージュ・ド・フランスの教授への就任を要請されたが、タイミングが悪く、スイス・ジュネーヴの名門貴族である実家を継ぐ必要に迫られ、ソシュールは教授職を断り、帰郷することにした。フランス学界では彼が去るのを惜しみ、レジオン・ドヌール勲章を彼に贈った。
スイスへもどったソシュールは、ジュネーヴ大学の教授となり、結婚し、子どもをもうけた。言語学を刷新したソシュールは、晩年は記号論を離れ「ニーベルンゲンの歌」の研究に移っていった。そうして 1913年2月スイスのヴォー州で没した。55歳だった。
ソシュールは生前、著書を出版しなかった。彼の死後、講義録が刊行され、彼の記号論は構造主義の誕生をうながし、哲学や社会学など幅広い分野に影響を与えた。
言語学は、ソシュール以前と、ソシュール以後とではまったくちがったものになった。たとえば、英語で sheep (シープ)、仏語で mouton (マトー) といえば、ヒツジのことを、そうことばにして表した、とふつう考える。でも、ソシュールはそうではないという。
sheep は動物のヒツジのことだが、moutonは動物も食べるの肉も両方を指していて、二つの単語は比べられない、と。英語というシステムのなかで、ほかの dog, cat, mouse などといったことばとのちがいのなかに位置して、はじめて sheep ということばがある。言語には差異しかない、というのである。
言語に対するとらえ方を、ソシュールは一変させてしまった。カント的(コペルニクス的)転回である。
ソシュールは言っている。
「言語システムを明快に説き明かす書物、確固たる原則から出発して(言語という現象のあらゆる側面を)段階的に説明するような書物が書けるなどという考えは、妄想にすぎない。」(ポール・ブーイサック著、鷲尾翠訳『ソシュール超入門』講談社)
(2016年11月26日)
●おすすめの電子書籍!
『出版の日本語幻想』(金原義明)
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フェルディナン・ド・ソシュールは、1857年、スイスのジュネーヴで生まれた。父親は鉱物と昆虫の学者で、母親は芸術を学んだピアノの名手だった。裕福な家庭に育ったフェルディナンの下には8人の弟妹がいた。
語学が好きだったフェルディナンは、少年時代にすでにドイツ語、英語、ラテン語、ギリシャ語を身につけ、14歳のころには、言語の一般理論として、 r と k が使われる単語はつねに権力と暴力を示すという説を立てた論文を書いていた。
ギムナジウムの学生だった16歳のとき、ギリシャ語のなかに、n であるべきところに a が替わる場合があるのを発見したが、彼はこれを当たり前のことと考えていた。
17歳のとき、スイスにいながらにして仏国のパリ言語学会に迎えられたソシュールは、18歳のときにその会報誌に論文を発表し、サンスクリット語を独学で勉強し、ドイツのライプツィヒ大学に留学した。彼がライプツィヒにいるとき、同大学の語学教授がギリシャ語の n と a の代替を世紀の大発見として発表したのにショックを受けた。
同大学で博士号を得たソシュールは23歳の年にフランスへ移り、高等研究院で講義をはじめた。そして34歳のとき、フランスの学界での最高の地位であるコレージュ・ド・フランスの教授への就任を要請されたが、タイミングが悪く、スイス・ジュネーヴの名門貴族である実家を継ぐ必要に迫られ、ソシュールは教授職を断り、帰郷することにした。フランス学界では彼が去るのを惜しみ、レジオン・ドヌール勲章を彼に贈った。
スイスへもどったソシュールは、ジュネーヴ大学の教授となり、結婚し、子どもをもうけた。言語学を刷新したソシュールは、晩年は記号論を離れ「ニーベルンゲンの歌」の研究に移っていった。そうして 1913年2月スイスのヴォー州で没した。55歳だった。
ソシュールは生前、著書を出版しなかった。彼の死後、講義録が刊行され、彼の記号論は構造主義の誕生をうながし、哲学や社会学など幅広い分野に影響を与えた。
言語学は、ソシュール以前と、ソシュール以後とではまったくちがったものになった。たとえば、英語で sheep (シープ)、仏語で mouton (マトー) といえば、ヒツジのことを、そうことばにして表した、とふつう考える。でも、ソシュールはそうではないという。
sheep は動物のヒツジのことだが、moutonは動物も食べるの肉も両方を指していて、二つの単語は比べられない、と。英語というシステムのなかで、ほかの dog, cat, mouse などといったことばとのちがいのなかに位置して、はじめて sheep ということばがある。言語には差異しかない、というのである。
言語に対するとらえ方を、ソシュールは一変させてしまった。カント的(コペルニクス的)転回である。
ソシュールは言っている。
「言語システムを明快に説き明かす書物、確固たる原則から出発して(言語という現象のあらゆる側面を)段階的に説明するような書物が書けるなどという考えは、妄想にすぎない。」(ポール・ブーイサック著、鷲尾翠訳『ソシュール超入門』講談社)
(2016年11月26日)
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