1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7月4日・スティーブン・フォスターの苦闘

2014-07-04 | 音楽
7月4日は、アメリカ合衆国の独立記念日(Independence Day)。この日は、イタリア統一の英雄、ガリバルディが生まれた日(1807年)だが、作曲家、フォスターの誕生日でもある。「おおスザンナ」「スワニー河」を作曲した人である。
自分は小学校のころからフォスターの歌が大好きだった。すべて好きだけれど、とくに「金髪のジェニー」にはうっとりとしてしまう(原題は「Jeanie with the light brown hair(明るい茶色髪のジェニー)」)。坂本龍一の沖縄風カバーヴァージョンもよかったけれど、自分のサンクチュアリ(聖域)にある音楽という気がする。

スティーブン・コリンズ・フォスターは、1826年、米国ペンシルベニア州のルイスヴィルで生まれた。アイルランド系の一家で、彼は10人きょうだいの末っ子だった。父親は州議会議員や市長なども務めたことのある、ピッツバーグの裕福な商人で、母親はデラウェア州の上流階級出身だった。教養レベルが高く、音楽趣味のある家庭で育ったフォスターは、小さいころから横笛、ギター、クラリネットを独習して演奏し、15歳のときの学校の卒業式では、自作の円舞曲をフルートで演奏した。
モーツァルト、ベートーヴェン、ウェーバーらの楽譜を研究したというフォスターは、独学で作曲を学び、つぎつぎと歌曲を書き、18歳のとき、最初の歌曲を出版した。
その後、オハイオ州シンシナティで、兄の蒸気船海運会社で簿記係をしながら作曲をつづけ、コンサートを開いた。
24歳で、幼なじみのジェーン・マクダウェルと結婚。「金髪のジェニー」は彼女のことである。28歳のとき、家族を連れてニューヨークに引っ越し、作曲家として身を立てようと志すが、当時は著作権の整備が不充分で、フォスターの楽譜は飛ぶように売れ大ベストセラーとなったのに、作曲者の彼にはほとんどお金が入ってこなかった。
30歳のころ、両親と兄がつづけて没し、フォスターの生活は急に傾いた。曲を書いても書いても生活はいっこうに上向かず、困窮する生活のなか、妻子は出ていき、彼の酒量はしだいに増えていった。
南北戦争の最中だった1864年1月、ニューヨーク市マンハッタンのバワリーのホテルで、フォスターは数日間熱にうなされて寝ていた。そして起き出し、ベッドわきの洗面台に頭をぶつけて転倒。大量出血して倒れているところを発見され、病院にかつぎこまれたが、3日後に没した。37歳だった。作品に「おおスザンナ」「草競馬」「ネリー・ブライ」「スワニー河(故郷の人々)」「主人は冷たい土の中に」「ケンタッキーの我が家」「オールド・ブラック・ジョー」などがある。

フォスターの「主人は冷たい土の中に」を音楽の教科書ではじめて見たときには、すごいタイトルだと思ったが、また、なんという美しい曲だとも思った。
フォスターの歌曲には、古き良き時代の米国の匂い、白人と黒人がいる古い田舎街の味わいがしみている。授業でその歌を歌うたびに、自分はまだ見たことがないアメリカの大地を心のなかに思い描いたものだった。

「金髪のジェニー」は結婚して4年後に書かれた歌だが、歌詞は、別れたジェニーへの追想という内容である。フォスターの妻は、芸術家肌の夫に愛想が尽きたのか、あるいは生活苦に見切りをつけたか、娘を連れて実家へ帰り、そのころすでに別居状態だったらしい。
フォスターは苦闘の生涯を送り、若死にしたが、その作品は永遠の生命をもって輝きつづけている。フォスターの人生を祝福したい。
(2014年7月4日)


●おすすめの電子書籍!

『大人のための世界偉人物語』(金原義明)
世界の偉人たちの人生を描く伝記読み物。エジソン、野口英世、ヘレン・ケラー、キュリー夫人、リンカーン、オードリー・ヘップバーン、ジョン・レノンなど30人の生きざまを紹介。意外な真実、役立つ知恵が満載。人生に迷ったときの道しるべとして、人生の友人として。

●天野たかしの「今月の占い」公開中。
http://www.meikyosha.com

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 7月3日・深作欣二の配慮 | トップ | 7月5日・ビキニの思考 »

コメントを投稿

音楽」カテゴリの最新記事