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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月22日・森敦の歩幅

2018-01-22 | 文学
1月22日は、英国の詩人バイロン卿が生まれた日(1788年)だが、作家、森敦の誕生日でもある。

森敦は、1912年、長崎で生まれた。父親は書家で、母親は従軍看護婦だった。男ばかりの4人兄弟の、敦は三男だった。敦が5歳のとき、一家は朝鮮半島の京城(現在のソウル)に引っ越し、彼は京城の学校を出た。
18歳の年に父親が没し、同じ年、京城に講演会にやってきた菊池寛、横光利一の講演を聞き、話す機会を得、これが縁で「小説の神様」横光利一に師事することになった。
一浪した後、19歳で旧制一高に入学したが、翌年には退学。
22歳のとき、横光の推薦を受けて、小説『酩酊舟』を新聞に連載した。
新聞小説以後、森は捕鯨船に乗りこんだり、樺太に渡ったり、山形の山奥に住みついたりと、各地を放浪するようになった。放浪して、お金がなくなると、機械工場や建設現場で働き、しばらくするとまた放浪の旅に出るという人生を送った。
それでも、29歳のときには結婚し、いっしょに暮らしたり、離れて暮らしたりしながらも、妻が没して死別するまでずっと結婚は続けていた。
流転の生活のなかで、ときどき小説や随想を書いたが、完成しないものが多かった。
61歳のとき、同人誌に『月山』を発表。これが芥川賞候補となり、芥川賞はもともと新人作家のために設けられた賞だったため、62歳の新人がいてよいのか、との議論もあったが、結局受賞が決まり、以後、森は作家生活に入った。
芥川賞受賞の翌年、妻が没。
1989年7月、森は腹部大動脈瘤破裂のため没した。77歳だった。著書に『鳥海山』『わが青春 わが放浪』『われ逝くもののごとく』『意味の変容』などがある。

森敦の小説『月山』を学生のころに読んだ。芥川賞作家の宮本輝がかつて、
「数ある芥川賞受賞作のなかでも『月山』と『限りなく透明に近いブルー』は別格だ」
と発言したが、そうかもしれない。『ブルー』は村上龍が24歳、『月山』は森敦が61歳だったときの作品である。

モダンで感覚鋭い横光利一とおよそ対照的な作風の森敦が師弟なのは興味深い。

ある時期『わが青春 わが放浪』『われ逝くもののごとく』『意味の変容』など、むさぼるように読んだ。
その人生を歩く歩幅の大きさ、その歩調のゆったりとした悠然としたさまに驚かされた。
おおよそ、十年働いて、十年さすらい、また十年働く、という感じで人生を送った人で、お金に背中をたたかれ、こせこせと始終せわしなくしている小者の多い現代日本のなかで、これだけ姿の大きな人は、めったに見当たらない。
こういう人の横に並ぶと、たいていの人は、みな忙しく動きまわっている小ねずみのようなものである。細かなことにこだわらず、森敦のように、ゆったりとした歩幅でわが道を歩みたいものだ、とは願うものの、なかなかそうはいかない。それで、せめて『月山』や『われ逝くもののごとく』を読み返す。
(2018年1月22日)



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