1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

12月23日・チェット・ベイカーの抜け具合

2014-12-23 | 音楽
12月23日は、平成の今上天皇が生まれた日(1933年)だが、「トランペットの詩人」チェット・ベイカーの誕生日でもある。

ジャズ・ミュージシャン、チェット・ベイカーは、1929年、米国オクラホマ州イェールで生まれた。本名は、チェスニー・ヘンリー・ベイカー・ジュニア。父親は、プロのギタリストで、その影響もあって、チェットは小さいころから、教会の合唱団で歌い、トロンボーンやトランペットなどの楽器に親しんでいた。
16歳のとき、チェスニーは学校をやめ、軍隊に入った。ドイツに駐留し、そこで軍の音楽隊員として活動。2年後に除隊し、ロサンゼルスの大学で音楽を勉強しはじめた。が、間もなく退学して、サンフランシスコへ移り、そこの軍OBのバンドや、夜のジャズ・クラブで演奏するようになった。
彼は、天才サックス奏者といわれたチャーリー・パーカーに認められていっしょにプレイしたり、ジャズの帝王と呼ばれたマイルス・デイビスとプレイしたりし、1950年代には絶大なる人気を誇った。
38歳のころ、彼は麻薬がらみのけんかで殴られ、前歯が折れ、唇に甚大な傷を負った。これによって、トランペットの演奏ができなくなり、一時はガソリンスタンドで働いて食いつないだこともあったという。その後、義歯をいれ、演奏を復活した。57歳のころには、日本にもきている。
そうして1988年5月13日、チェット・ベイカーはネーデルランド(オランダ)、アムステルダムのホテル・リンス・ヘンドリックの窓から地上に転落して死亡した。彼の泊まっていた部屋からは、ヘロイン、コカインが見つかっており、解剖された彼の遺体からも同じ薬物が検出されたという。死因は、頭部をはげしく打ったためだったが、衣服に争った形跡がなく、自殺を裏付ける証拠にも乏しいことから、事故死として処理された。享年58歳だった。

自分はロック少年で、ずっとジャズにはうとかった。ジャズ喫茶で頭を揺らしながら聴いているサラリーマンやOLが不思議な生き物に見えた。
でも、あるとき、なにかのきっかけで、チェット・ベイカーの「いつか王子さまが(Someday My Prince Will Come)」というCDを聴いた。すると、これがよかった。チャーリー・パーカーの緊張感あふれる演奏にはない、力のぬけたゆったりとして急がない演奏で、
「えっ、これもジャズなの?」
という感じだった。はじめて、からだにしっくりとくるジャズを見つけた、そう思った。
このCDは1979年のデンマークのコペンハーゲンでのライブ録音だった。ということは、チェットがけんかでケガをし、義歯を入れて復活した後の演奏ということになる。
1950年代の録音も聴いたことがあるけれど、自分は、義歯を入れた後のチェットのほうが、体質的にしっくりくるような気がする。
チェットの「アイム・オールドファッションド(I'm Oldfashioned)」なども、聴いていて、ほっとする。力の抜けた力業といったものがそこにあると思う。
(2014年12月23年)



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