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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5月13日・ドーデーの草子地

2024-05-13 | 文学
5月13日は、女帝、マリア・テレジアが生まれた日(1717年)だが、作家アルフォンス・ドーデーの誕生日でもある。

アルフォンス・ドーデーは、1840年、南仏プロヴァンスの地中海に面した街ニースで生まれた。父親は絹織物を製造する事業家だった。アルフォンスが2歳のとき、二月革命が勃発し、父親の事業が倒産。彼ら一家は仏中部のリヨンへ引っ越し再起をはかった。
アルフォンスは子どものころから詩を書く文学少年だったが、彼が15歳、リセ(高校)の生徒だったとき、父親が破産。アルフォンスはリセを中退し、アレーの街の中学の代用教員になった。
教師の仕事が嫌いだった彼は、18歳のとき、教員をやめ、パリにいた兄を頼っていき、兄の部屋に居候として転がりこんだ。
パリでは詩集を自費出版し、貴族の秘書を務め、劇場上演向けの戯曲を書き、20代なかばのころには、ドーデーは新聞に短編小説を発表する作家になっていた。
29歳のとき、短編集『風車小屋便り』を発表。
30歳のとき、ビスマルク率いるプロシア(ドイツ)と、ナポレオン三世のフランスとのあいだで普仏戦争がはじまると、ドーデーは従軍。翌年、フランスの敗北で戦争は終結し、講和条約により、アルザス地方の仏系住民は追い出された。パリへ帰ったドーデーは、戦争のときの体験をもとに『月曜物語』を書いた。
1897年12月、脳出血のため、パリ郊外で没した。57歳だった。

はじめて読んだドーデーの作品は短編集『月曜物語』の冒頭の一編『最後の授業』だった。中学か高校の国語の教科書に載っていた。アルザス地方の学校で、いたずらっ子が、授業に遅れていくと、教室はいつもと様子がちがう。フランス語の教師は彼を叱らない。外からプロシア兵のラッパが聞こえる。教師は青くなり、黒板に大きく「フランスばんざい」とチョークで書き「もうおしまいだ……お帰り」と壁に頭を押しつけて動かない。最初読んだときは、なんのことやら、という感じだった。この短編に流れる情感を理解するようになったのは、何年も後のことだった。

ドーデーは大好きな作家で、一作を挙げるなら、迷わず『風車小屋だより』のなかの一編『アルルの女』をおすすめする。これはドーデーが、新婚旅行で訪ねた南仏プロヴァンスでの或る村で聞いた悲劇的な恋愛事件を小説化したもので、後にドーデーはこれを戯曲にし、それにビゼーが音楽をつけてオペラともなった有名な作品である。戯曲も読んだが、小説、戯曲と味わいがちがって、どちらもそれぞれに秀逸である。
小説は6ページほどの短い話だが、胸をしめつけられるその後味は忘れがたい。
もしも長編小説が結局スタンダールの『パルムの僧院』につきるのなら、短編小説は『アルルの女』に尽きるのかもしれない。

小説『アルルの女』中にこんなフレーズがある。
「全く、私たちの心はみじめなものだ! だが、いくら相手をけいべつしても思いきれないとはなんということであろう!」(桜田佐訳『風車小屋だより』岩波文庫)
この草子地(作品中に作者が顔を出してものをいう部分)は、いまでも頭のなかでリフレインして離れない。
(2024年5月13日)



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