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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月20日・フェリーニの自由

2019-01-20 | 映画
1月20日は、俳人の尾崎放哉が生まれた日(1885年)だが、イタリア映画の巨匠、フェデリコ・フェリーニの誕生日でもある。

フェデリコ・フェリーニは、1920年、アドリア海に面したイタリアの町リミニで生まれた。父親は元パン職人で、旅行のセールスや卸売業を営んでいた。母親はローマのブルジョワ階級の子女だったが、彼女は両親の猛反対を押し切って、フェデリコの父親と駆け落ち結婚した。フェデリコは3人きょうだいのいちばん上の子だった。
小さいころから絵を描くのが好きだったフェデリコは、高校時代から、友人の画家と肖像画店を構え、マンガやギャグの原稿を書いては雑誌に投稿していた。
19歳のとき、ローマの大学の法律学校に入学したが、それは両親を喜ばせるためのもので、講義にはまったく出席しなかったという。彼は雑誌に記事を書いたり、雑誌の編集にかかわったりしていたが、やがて映画のコメディの脚本を書くようになった。
25歳のころ、ロベルト・ロッセリーニの映画「戦火のかなた」「無防備都市」の脚本に参加。新現実主義の脚本家として知られるようになった。
30歳のとき、映画「寄席の脚光」を共同監督してデビュー。
34歳のとき、名作「道」。39歳のとき、新現実主義を離れ、ユング心理学の影響を受けた映画「甘い生活」が大成功を収めた。そして、43歳のとき、「8 1/2」。以後、「サテリコン」「道化師」「ローマ」「アマルコルド」「カサノバ」「女の都」「そして船は行く」などの作品を発表。「映像の魔術師」「映画の神さま」などと呼ばれた巨匠フェリーニは、1993年10月、心臓発作のため、ローマで没した。73歳だった。

フェリーニの作品はなかなかテレビでは観られない。いまはDVDもあるけれど、ビデオのない昔は、名画座で見るしかなく、なかなか観るチャンス自体すくなかった。

フェリーニの代表作は数多あるけれど、やはり「8 1/2」である。それ以前に長編映画を7本、共同監督を1作撮っていて、8 1/2作目、という意味らしい。
この作品を、ニューヨークではじめて観た。イタリア語音声の英語字幕で、細かいところは不明だったが、あのときの感動は忘れられない。
マルチェロ・マストロヤンニ演じる主人公の映画監督が、プロデューサーからは責められ、映画の撮影は進まず、妻との仲も決裂寸前で、目はついつい愛人に向いて泳いでしまう、という八方ふさがりの状況にいるのだが、そんな状況のなかでも、マストロヤンニは、ホテルの廊下を軽やかに歩く。ときどき口笛を吹きながら、ダンスするように革靴の爪先をくねらせながら颯爽と。
自由が輝いていた。人生がきらめいていた。最後の有名なせりふ「人生はカーニバルだ」も印象深かった。
「8 1/2」は、渋滞の車中を抜けでていく冒頭のシーンから、最後のシーンまで、全編を「自由」で塗りたくったような映画だが、その映像を浴びるように観て、映画館を出ると、もうスキップしながらマンハッタンの通りを歩いていた。からだが浮くように軽かった。現実は明日の見えない袋小路で進退窮まっていたのだけれど、にもかかわらず、あのときほど「わたしは自由だ」と感じたことはない。
(2019年1月20日)



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