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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

2月16日・高倉健の演技論

2014-02-16 | 映画
2月16日は、テニスの芸術家、ジョン・マッケンローが生まれた日(1959年)だが、映画俳優の高倉健の誕生日でもある。マンガ「ゴルゴ13」の主人公のモデルである。
「健さん」こと高倉健は、自分が物心ついたときには、すでに東映のヤクザ映画の大スターだった。彼は昔もいまも、ほかの映画俳優たちとちがって、好き嫌いを超えたところにいる「ワン・アンド・オンリー」の存在であり続けている、と思う。

高倉健は、1931年、福岡の中間で生まれた。本名は小田剛一。父親はもと海軍で炭鉱勤務、母親は教師だった。幼少のころは虚弱で病気がちだった剛一は、中学のとき、ボクシング部を作り、高校時代には英語研究会を作って英語力をきたえた。
東京の明治大学に進み、卒業後、芸能プロダクションのマネージャーになろうとしていたところを、スカウトされて、24歳で東映に俳優として入社した。
「高倉健」と付けられた芸名が本人は気に入らず、親類縁者に芸能人もいず、目が俳優向きでないと言われたが、すぐに主役デビューが決まり、25歳のとき、映画「電光空手打ち」に初主演を果たした。
28歳のとき、映画「人生劇場 飛車角」に出演。これを契機として仁侠映画に多く出演するようになり、網走番外地シリーズ、昭和残侠伝シリーズなどに主演し、映画のテーマソングである「網走番外地」「唐獅子牡丹」を歌い、大ヒットさせた。
45歳のとき、東映を退社。フリーとなって、映画「君よ憤怒の河を渉れ」に主演。以後、「八甲田山」「幸福の黄色いハンカチ」「野性の証明」「動乱」「駅 STATION」「南極物語」「居酒屋兆治」「ブラック・レイン」「あ・うん」「鉄道員(ぽっぽや)」「ホタル」「単騎、千里を走る。」「あなたへ」などに出演した。

高倉健の任侠映画は、たいてい、悪いやつらの仕打ちに耐えて耐えて、ついに堪忍袋の尾が切れて、健さんが立ち上がり、悪者をやっつける、という筋である。でしゃばらず、つねに自分を抑えて控えめ。謙譲で寡黙。それが高倉健のイメージだと思う。

自分は、高倉健は、存在感の俳優であって、演技がうまいと思ったことは長いあいだなかった。けれど、そもそも高倉健本人の演技論がそういうものであるらしい。
役者にとって大切なのは、その場にどう演技するかということより、むしろ役者個人の生き方であり、その役者がどう生きてきたかはおのずと芝居に出るものだ、と、高倉健はそういう考えで演技に取り組んできたらしい。だから、彼の日常生活は、酒を飲まず、つねにトレーニングを欠かさず体型を保つストイックなものであり、彼の演技は、ふつうの役者の演技とちがい、抑えに抑えた「演技をしない演技」である。
これがもっともよく出た映画は、マイケル・ダグラスと共演した「ブラック・レイン」 だと思う。直情的なダグラス演じる米国の刑事訳と対照的に、高倉健演じる日本の刑事は、寡黙で自省的な人物だった。これはハリウッド映画ではちょっと見られない特殊な演技で、でも、圧倒的な説得力と存在感があったと思う。

高倉健という人は、ふだんの素顔も、ものすごい人格者で、つねにまわりの人を気遣い、他人の長所を見つけては褒め励ます人らしい。「健さん」でいつづけることは、本人としてはけっこうしんどいことだと思うけれど、それを淡々とこなし、生きている。誰もが好きになり、尊敬せずにいられない日本の市井人の或る理想。それが健さんだと思う。
(2014年2月16日)



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