沈黙の春

本ブログの避難用ブログです。

尖閣はいつ日本の領土に?

2012-09-23 20:27:27 | 中国
尖閣諸島は日清戦争中に中国から奪ったのですか?という質問に答えてます。

中国は「日本は戦勝に乗じて清国から盗み取った」と主張していますが、まったくのでたらめで、根も葉もない言いがかりです。


中華民国駐長崎領事から贈られた感謝状。1919年冬に同諸島沖で遭難した中国漁民を救助したお礼に、中華民国の駐長崎領事が石垣村(当時)職員に贈った。沖縄県石垣市立八重山博物館提供

 中国は、日本政府が日清戦争末期の1895年1月の閣議で、尖閣諸島を日本の領土に組み入れたために、勝利間近の機に乗じて略取したなどと主張していますが、これは、領土問題を歴史問題にすり替えようとするためのでっち上げです。

 なぜなら、日本政府は尖閣諸島がどこの国にも属さず、しかも人が住んでいない、いわゆる国際法上の「無主の地」であることを調べ始めたのは、それより10年も前の1885年のことで、沖縄県が出雲丸という汽船を派遣し、現地調査したのがはじまりです。詳細な調査の結果、「無主の地」であることが判明したため、すぐに日本の領土とすればよかったのですが、当時はそれができない理由がありました。

 それは、当時の清国が日本より軍事的に強大だったからです。それが証拠に、1886年には、世界最強の軍艦である「定遠」と「鎮遠」など4隻の清国北洋艦隊が長崎沖に現れ、上陸した清国水兵は暴行や略奪を繰り返し、多くの日本人が死傷するという「長崎事件」を引き起こしました。圧倒的な軍事力を背景にわが物顔の清国の前に、明治政府はなすすべもなく、賠償金なども妥協しなければなりませんでした。時の井上馨外相は、清国と事を構えれば、沖縄を取られてしまう、という危機感があったといわれています。

 逆に言えば、当時、強大な清国が尖閣諸島を自国領だと言えば、誰も文句が言えなかった時代だったのです。尖閣諸島の調査後、沖縄県は同諸島周辺で漁業活動を続けていましたが、清国を含めどこからも、自国の領土主権を侵害しているという抗議がなかったことから、ようやく95年に正式に日本領としたのです。

 国際法上、国家が領土権を主張するには、単に「無主の地」の発見による領有意思の表明だけでは不十分で、実効支配が必要とされています。このため日本政府は、尖閣諸島に「国標」である標杭を建てることに続いて、様々な開拓事業をスタートさせました。毎年のように移民を送り込み、海産物やアホウドリの羽毛を採集し、太平洋戦争が始まるまでは、カツオ節の製造事業なども営まれていました。魚釣島付近で遭難した31人の中国漁民を救助したこともあり、1920年には,当時の中国の外交機関である中華民国駐長崎領事から感謝状が贈られ、「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記し、尖閣諸島を日本領土として認めています。

 戦後は、米国の施政権下に置かれ、人の居住が制限され、米軍は射爆場などとして利用してきました。ところが、1969年5月に国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が、尖閣諸島周辺海域に膨大な石油資源が埋蔵されているとの調査結果を公表、それを機に翌70年に台湾、そして71年に中国が正式に自国領だと主張し始めたのです。台湾、中国ともそれ以前には領有権を主張したことなどなく、日本政府は72年、沖縄返還直後の国連の場で「尖閣列島に対しては日本以外のいかなる国も主権を持っていない。中国の主張はまったく根拠がない」と毅然とした態度で反論しています。

 9月下旬には国連総会が開かれますが、中国政府から送られた1920年の感謝状を示しながら、日本の主張が正しいことを、日本政府は世界に発信しなければなりません。


 (調査研究本部主任研究員 勝股秀通)

(2012年9月20日 読売新聞)

人権委設置法案 理解に苦しむ唐突な閣議決定

2012-09-23 15:45:25 | 政治、法律など
(9月23日付・読売社説)

 問題点が多い法案の閣議決定を、国会閉会中になぜ急ぐ必要があったのか、理解に苦しむ。

 政府が、新たな人権救済機関を設けるための人権委員会設置法案を閣議決定した。

 藤村官房長官は「次期国会への提出を前提に法案内容を確認するものだ」と説明する。

 不当な差別や虐待を受けた被害者の救済は重要だ。だが、この法案については、人権侵害を理由として、通常の言論や表現活動まで調査対象になるのではないか、との懸念から、反対論が根強い。

 民主党は人権救済機関の創設を政権公約に掲げてきた。唐突な閣議決定は、次期衆院選を意識し、公約違反との批判をかわす思惑があるのだろう。

 人権救済機関を巡る法案は、小泉内閣時代の2002年にも人権擁護法案として国会提出された。その際は、調査拒否に罰則を科す点や報道機関への取材停止勧告を可能にする内容などが批判を浴び、最終的に廃案となった。

 今回の人権委設置法案は人権委の調査に強制力を持たせず、メディア規制条項も設けていない。

 それでも、なお、法案への疑問は消えない。

 最大の問題は、人権侵害行為の定義があいまいなことだ。

 法務省は「特定の人の人権を侵害する、民法や刑法に照らして違法となる行為」との見解を示している。だが、他人に対する批判的な言動が名誉毀損に当たるかどうかは、司法判断が分かれる微妙なケースも少なくない。

 人権委が恣意的に拡大解釈する余地を残せば、表現の自由の制約につながりかねない。

 人権委は、国家行政組織法上の「3条委員会」と位置づけられている。独立性が強いため、国会によるチェックが及びにくい点を問題視する声もある。

 政府は人権委を法務省の外局とする方針だ。人権委の地方組織として、全国の法務局や地方法務局の活用を想定しているからだ。

 しかし、刑務所や入管施設など、同じ法務省傘下の施設で起きる入所者への人権侵害に厳しく対処できるだろうか。

 児童や高齢者の虐待対策には、個別の法律が整備されている。また、現在でも法務省の人権擁護部門は、人権侵害を受けた人からの申告に基づき、毎年約2万件の任意調査を実施し、ほとんど救済措置がとられている。

 まずは、現行制度の改善を重ね、人権侵害救済の実効性を高めることが大切である。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120922-OYT1T00994.htm
(2012年9月23日01時13分 読売新聞)

日本の青年は略奪行為をすることはない=暴動化した中国の反日デモ―香港メディア

2012-09-23 12:26:48 | 中国
2012年9月15日、鳳凰網は日本在住のエンジニア、コラムニストの兪天任(ユー・ティエンレン)氏のコラム
「日本の青年は戦場にも行きたがらなければ、略奪もしない」を掲載した。


「もし日本が中国や韓国、ロシアと戦争したらどうする?」「なんでですか?自衛隊があるし、日米安保もあるじゃないですか」というのが会社の若者の答え。日本のゆとり教育が生み出した若者にとって単純な愛国主義などお笑い草でしかない。

日本人は本当に非愛国者なのかと疑問を抱く人もいるかもしれない。ならばなぜ尖閣諸島買収のために15億円もの寄付が集まったのか、と。実際のところ日本人に愛国心がないわけではない。ただし愛国心の表現の仕方はいろいろある。中国のような暴動を起こすことはない。(翻訳・編集/KT)

<在日中国人のブログ>反日デモ繰り返す中国人に知ってほしい、「日本人はそれでも僕たちに親切」という記事も。


http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=64719

2012年9月14日、尖閣諸島(中国名・釣魚島)の国有化に反発し、中国各地で反日デモが行われるなか、日本で学ぶ中国人留学生が自身のブログで「日本人はだからといって中国人に嫌がらせをするようなことはしない」と論じた。中国のブログサイト・鳳凰博報に掲載された。以下はその内容。

その日は中国人留学生の仲間たちとご飯を食べに行き、午後11時過ぎに帰宅、パソコンを開くと、中国の兄から「至急、父に電話をするように!何時でも構わないから早く!」とのメッセージが入っていた。何事かと思いすぐに電話をしてみると、父の第一声は「そっちは大丈夫か?」。

どうやら中国国内のただならぬ状況から、日本でもきっと大変な騒ぎになっていると思ったらしい。息子がひどい目に遭っているのではないか、帰国させた方がよいのでは…と心配でたまらなかったようだ。筆者がひとしきり「大丈夫。何も心配するようなことはないから」と説明し、父はようやく安心して電話を切った。

実は昨日、アルバイトで中国語教室のチラシ配りをした。仲間7人で1500枚を配ったが、その間、何の「ひどい目」にも遭わなかった。それどころか、年配の女性が「他の人にも配るから」と多めにもらってくれたことも。この時期、もしも反対に日本人が北京の王府井で日本語教室のチラシを配ったらどんなことになるか、容易に想像が付くだろう。

今朝はオートバイの教習所に出掛けた。教官は筆者が中国人だということを知っている。実は当初、嫌がらせをされるのではないかと身構えていたが、そんな心配は無用どころか、私が日本語で苦労していると、実際に目の前でやって見せてくれた。なんて親切なんだ!

もっと驚いたのは昼休み、テレビのニュースで中国国内の反日デモの様子や「尖閣諸島周辺の日本領海に侵入した」という中国の海洋監視船について、事細かに報じていたにもかかわらず、誰1人として大きな反応を示さなかったこと。これが中国だったら、大変な騒ぎになっているだろう。

先週の水曜日には、3月に上海の大学で1カ月の短期留学をしてきたという日本人学生と会った。その日は夜の9時から夜中の1時まで、大いに盛り上がった。筆者が「中国に行く前と行った後では何か変わった?」と聞くと、「全く違うよ!実際に行ってみたら、中国は面白いところだと分かった。中国が好きになった。また行きたい」との返事。筆者はこの言葉をぜひ、中国で日本人を殴った同胞たちに聞かせたいと思った。(翻訳・編集/NN)