ボイス・オブ・ヒロシマ

2002年に広島市の主催で行われた「広島・長崎講座」で、被爆の
実相を多角的にとらえることを学んだ受講生で結成したNGOで
す。命を慈しむ多くの市民と共に被爆、核、戦争、平和等を学
び、相互に発信し、活動することに取り組んでいます。    
     

島根原発についての学習会を終えて

2006-10-25 13:38:16 | 行事報告
平和利用という名の下に、原子爆弾と同じ核分裂反応を利用した原発を推進していることを憂う人、約20人が集まり、学習会が行われました。
芦原さんのお話から、原発が作られたために地域に国からの交付金や電力会社からの寄付など大きなお金が入り、依存体質を生んだり、対立の種となったこと、原発の温排水により、漁獲高が激減したことなどお聞きし、環境のみならず住民の心まで壊したことに胸が痛みました。広島県は電力消費量が県内の33.7パーセント、それに対し、島根県は8.3パーセントと4分の1だそうです。
なぜ鹿島町に原発を作らなければいけないのかという問いかけに言葉がありませんでした。広島県民は無関心であってはならないと思いました。

参加者のお一人から感想をいただいていますので掲載します。


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学習会に参加して(感想)

六ヶ所村再処理工場の本格的な稼動も少しずつ迫ってまいりました。
何も知らない私でしたが大庭さんの学習会を切っ掛けに膨大なプルトニウムを産み出す原発のシステムに疑問を感ずるようになりました。
増してや海外で廃止になった再処理システムを今のこの時代に始めるなど信じがたい事ですが、どうも原子力部門の行政に反映されていない事は大きな疑問です。長年にわたります反原発運動に関わられた方々には数々のご苦労があられた事とお察し申し上げます。
今回の芦原さんのお話も鹿島の方々の苦悩が伝わってきて、人事でなく多大な電力を送電してもらっている側として真剣に考えなければいけないと思いました。広島は反核の拠点として放射能被害には一番敏感な所なのですが、どうも別の事として反核団体も捉えていたのではないでしょうか。毎回参加人数が増えません事は悲しい事です。
私の経験からですが、今まで関心を持たなかった人々にどう提示していけるかだと思うのですが、段階を踏んで学習していくことがとても大切だと思います。そして、それぞれが意見を気軽に言える雰囲気もとても大切だと思います。得てしてこういう会は一部の意識の高い人たちの話を聞くことで終わってしまうのですが、実はその後聞いた側の人々がどうそれを受け止めて考えたかを話し合う事が同じくらい大切な事と思うのです。むしろ初めて参加される人の意見が参考になる事もあります。そこに”楽しい話し合いの輪”が作り出されると自然に次回への参加意識に繋がるのではないでしょうか。取り上げている事が深刻であればあるほど気楽に、楽しくを心がけたいと思うのですが皆さんはどう思われますか? Y.T

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また参加されたさとうしゅういちさん主宰の広島瀬戸内新聞
に内容が詳しくまとめられておりますので転載させていただきます。


島根原発問題について

 島根原発では現在3号機の増設問題、またプルサーマル導入が持ち上がって議論を呼んでいます。その原発でできた電気を我々広島県民も消費しており、自分たちの問題として捉えることが求められている事態です。

芦原さんは、「原発が建設されたときは32年前。小さな記事に出ていたのを覚えていたが、傍観者だった。それでも、不安感は薄れず、その後26年前に2号機建設計画を知ったとき、『これ以上許せない』と決意し、反原発運動をはじめた」と自己紹介。

「電気はなくてはならないものだが、その当たり前の生活がどうして成り立っているか知らない人が多い。島根の国会議員も、「都市のために原発を作るのだから
金を出して当然」と言い切り、過疎地に弱みに付け込んで原発をつくっていくが、
その現実が見えていないようだ」
「財政的にどんどん自立していけなくなってしまう」
「そもそも、島根県の電力需要は、三隅火力ひとつで十分。原発の電気は
ほとんど広島や岡山に送るため」
「過疎地なら金で解決しやすい」
と問題点を指摘。

実際、原発地元の鹿島町(このたびの平成の大合併で松江市と合併)は
「町役場建費の7割の8.4億円を中国電力からの寄付でまかなっている。もう、ものが言えない状態だ」
「人口も、減っているし、高齢化率も周辺と変わらない。原発建設で過疎から脱却など出来ない」
としました。

そして、3号機については、なんと地元商工会の推進決議から始まった。
(多額のお金がそれまでに、中電から自治体や漁協に流れ、住民にも飲ませ食わせや観光旅行接待が行われた。)

そして、鹿島町と島根町に2001年から2003年の3年間で38億円もの匿名寄付を中電は行ったのです。

しかし、増設は、近くに活断層があることが発覚し、思わぬ障害にぶつかります。1998年、事前調査で、なかったはずの活断層が敷地からわずか2km地点で発見。中電は、「長さ8kmで地震の規模はマグニチュード6.3くらいで大丈夫」と強弁しました。

それは信用できないとして、住民140人が、運転の差し止め訴訟を起こしました。
そして、広島大学の中田教授により、詳細な調査が行われました。この中田教授、
原発賛成派です。「僕は言っておくが、原発賛成派や。電気使うのにいる。しかし、正確に実際どうかを評価したい」というスタンスだったのです。彼の調査で、2002年、長さ18kmの断層であることが分かりました。

原子力保安院はこれを無視できず、再調査を指示しました。中電は再調査したが、「長さは8km」と強弁。

これに対して2003年から2005年にかけて、中田教授が調査し、最終的に、ついに、中電がないと強弁していた地点で活断層を明白に発見したのです。電力会社の嘘が発覚したのです。

プルサーマル計画については、
「原発はどうしても、使用済み燃料がたまってしまう。そこで、そこからプルトニウムを取り出し、利用する計画があったが、もんじゅの事故で頓挫し、43トンものプルトニウムが余ってしまった。そこで、抜け道として、プルサーマルを考えた。中電は、昨年9月12日に県と松江市に2号機での実施について事前了解願いした」

「県は、あっさり了解しようとしたが、市が慎重だった。県は懇談会を設置したが、国の60億円の交付金が県はほしい。結局、シナリオどおり、プルサーマルを「可」とする報告書が提出され、知事は6月議会で同意の判断をしました。]

これまでの反対運動は、2号機建設のころは、地元漁民でも反対の声があり、学生や労働組合なども協力に反対してくれたが、段々関心は低下。漁民もお金をもらってしまうと何もいえなくなってしまった。

鹿島町内では海苔採取の地主が埋め立てに反対して裁判を起こしているのが唯一の反対行動、ということです。では、不安がないかといえば、そういうことではなく、鳥取県西部地震のあと、「地震がここであったら、原発があるからだめだよね」という言葉を、関心が普段ない人からも聞くようになったというのです。

今、必要なことは、「現地住民が反対すること、そして、「原発なんか必要ない」
という環境を作り出すこと、国策を金の力で押し付けるような前時代的なやりかたを改めさせること」と力説しました。

聴衆からは「地域経済を自立できるような策を考えねばならない。そのために協力したい」「明日からでも、原子力の問題点を回りに伝えて行きたい」といった意見が出されました。

核の被害を最初に受けた広島ですが、原発問題に関する関心は高いとはいえない。全国的言ってもそうですが、原発は都会ではなく、過疎地に金の力で押し付けられるものだからです。しかし、都会の人間が無関心でいてよいわけはないと思います。



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