すっかり『シン・ウルトラマン』以降,アマゾンプライム会員の映像特典を利用し始めた。『ウルトラ』でさえすでに2回見た。
気になっていた映画,懐かしいアニメなど恐るべきジャンルが揃っている。これではDVDレンタル店など戦えない。業態としてのレンタル店はもう終わったということに納得だ。
調子に乗って『アルキメデスの大戦』の映画も見た。原作をガッツリ読んでいる(単行本を10往復ぐらい)ので,三田紀房原作にガッツリはまっているというわけだ。
出だしやらキャスティングに問題はない。違和感も特にない。
ところが
平山造船中将の陰謀を暴いた後がよくない。原作では絶対に妥協などしない。その頑固一徹さこそ数学者だと思っていたのに。
どうして大和が出来ているのだ。どうして櫂直が出来上がった戦艦に涙しているのだ。平山造船中将に計算式を寄与したことになっているではないか。
原作では,暴いた後に船でなく航空機開発に乗り出している。平山造船中将とは,本当に何度も何度も争っている。最終的に呉で作られてしまっているが,だ。
でも,きっと原作者である三田紀房としては「映画としてまとめるにはこれしかない」と許したのだろう。いや,もう関わっていないだろう。あくまで「原作」だからね。
同じことが,『シン・ウルトラマン』でもあった。
ウルトラマンをLINE・IDに使用している元上司がいるので,LINEで「見ました・よかった」報告をしたら,「自分のウルトラマンとは違う」というレスポンスだ。アレレ
そういうことなのだ。
原作に思い入れがあればあるほど,解釈が人それぞれで異なってくる。それが人気作の証明。
それゆえに,アニメ化されたり「別次元化」されると違和感を抱く者も多くなる。
僕の抱いた「アルキメデスの対戦」への思いと,上司の「シン・ウルトラマン」への思いは,実はまったく同じ「次元」なのだ。そう,「自分の知っている原作とは違う」という思いで。
古くは『巨人の星』でも原作とアニメで「違う」という議論があったかもしれぬ。だが,アニメの方が圧倒的に市民権を得ていて,『オズマの死』が原作になくてもそれはそれでよい「時代背景」なのだと解釈されている(はずだ)。
これが,原作を実写化する難しさなのだろう。
舞台化もされているという『アルキメデスの大戦』。舞台も見てみたいが,もう終わってしまったのだろうか