諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

114 山登りについて2 テント泊の夜明け 前半

2020年12月26日 | エッセイ
「幸福の種」は、少しお休みです。

八ケ岳、渋の湯温泉から黒百合ヒュッテを経て、白駒池に向かうルートも11月末には登山者が少ない。
萌える若葉も、賑わいの夏も、紅葉の彩もない。

それでもこういう時期の山をあえて歩きたいと思うのは、登山好き嗜好である。かっこよく言うと飾っていない時期の山も知りたい。
八ケ岳は想像どおりの表情だった。

テント泊のための18キロのザックとともに凛と引き締まった冬の空気の中を出発する。
山道は葉の落ち切ったオブジェのような落葉樹と越冬に備える常緑針葉樹とが混在している。その間を風が通る。
足元も枯葉と霜が混ざって注意がいる。
寂寞として山は人の進入に対して歓迎ムードではない。

黒百合ヒュッテ①に着くと、寒暖計は氷点下5度。急登後の汗が、休憩した途端に冷えて急激に体温を奪っていく。
ヒュッテにザックを置いて、阿弥陀岳と硫黄岳②を眺めるべく、小丘に登るが、激しい風は吹きつけ、低い太陽の下に黒光りした山が見えるが、とにかく容赦ない風が冷たい。
「そうだよね」
と独り言。

テント場である白駒池までのルートも、特徴のない樹林帯の中、入り組んだ根っこをよけながら下り基調の薄暗い道が長い。
重いザックの左右の揺れるのを感じる。午後になってから逆方向から登ってくる登山者と会わなくなった。
「これがこの時期の八ケ岳か」

中央高速道路から見る「眺めた八ケ岳」とは違う現実がある。
この山は太古富士山のような大きな活火山であったという。それがながい歳月を経て風化浸食され今の形がある。
広大な山麓は火山性の地質で覆われおり、位置関係でも内陸部に単独であるため、雪がすくなく、風が強い。
こうした条件でも適応した動植物がそこに生息して、美しいといわれる現状が平衡されている。
「行楽シーズン」というのは、そういう自然の事情と人間とが折り合いやすい時ことなのだろう。

11月末はあまり折り合っていない。

白駒池③についた。
夏は観光客がボートを浮かべるこの池まで息をひそめて自然に返っている。
水面は薄氷が張っており、湖畔の枯れ枝を映すこともない。寒さにか細い夕日がさしている。

ここで小さなテント④と氷点下10度まで耐える(はずの)シュラフで明日の朝まで過ごすのである。
なんとも心もとない気がしてくる。
「こういう山の表情を実感するために来たんだ!」
という思いと、
「だからといって敢てここまでこなくても…?」
という心の天秤が揺れはじめる。

夜半、テントが揺れる。テントの生地がはためき、木々がざわめき始める。
「風が出てきた、それにしても冷えてきたな」
と独り言。なにしろ薄いテント生地の外は八ケ岳の11月下旬の事情ですべてがまわっている。
八ケ岳の事情がこちらの事情とは折り合わないことがこの寂しさと不安ということだろう。
そのギャップをテントとシュラフという道具が埋めてくれていることが実感として分かる。
動物として人間はなんと無力なのだろう。
そんなこと日常考えたことがなかった。

                   (つづく)

※ テントは管理テント場に設営、緊急時は通年営業の管理小屋に避難できるようにしています。念のため。
 また、今年はテント場の感染防止の観点で閉鎖だったり予約制になっており、山小屋自体も休業中のところが多数です。

黒百合ヒュッテ① 有名な通年営業の小屋です。


阿弥陀岳と硫黄岳② 寒くて退却




白駒池③ ”にゅう”からの展望




テント④ 広いテン場ですが、私のほか1張だけでした


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