諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

115 山登りについて2 テント泊の夜明け 後半

2021年01月02日 | エンタメ
もののけの森①

テントのシュラフ(寝袋)の中で標高2115mの山中で夜明けを待っている。
人によるのだろうが、テント泊でも山小屋でも、適度に疲れていて驚くぐらいよく寝られる時と、なぜか寝付かれず長い夜に耐える時とがある。

いつものテント泊より気温は低いし、風もある。
動物は寝ている時も外敵に対して警戒を解かない。
人間にもそういう部分はあって環境がかわると寝つきが悪いのだ、と生物学者が言っていたから、この条件下で寝られないのは当然であると思うと、あきらめがつく。
シュラフの中で朝を待ち、浅い睡眠でもとれればいい。

ところで、シュラフには2種類あって、ファミリーキャンプなどに使う袋状のものを封筒タイプといい、耐寒を意図したものをミイラ型という。
もちろん顔だけを出すサナギのようなスタイルをとってミイラというのだろうが、気温がさがり凍死でもして発見もされなかればそのままミイラになれるという冗談が山岳雑誌にあったことを思い出す。
そのミイラの中、とりとめのないことが浮かびはじめる。

この付近の広葉樹の森の下には苔の群生しており、八ケ岳の苔①は有名で500種類もあるという。
「もののけ姫」の森の舞台もこの森をイメージしているらしい。「こだま」という妖精が遊んでいるのはこの苔②のうえである。

ところで、今こうして、テントの中でミイラ化?して体を縮めている身としては、あそこに出てくる、もののけ達のタフさを思わざるを得ない。
とてもではないが、特別な防寒着なく、テントの外に出られるものではない。きっと5分とはもたない。
意識を失い、体温を失い、朝まで命は保てるものだろうか。風のある氷点下10度は過酷であることを今感じている。

もちろんあれはアニメの世界の話であるが、実際この森のどこかにカモシカ、テン、キツネ、タヌキ、ノウサギ、リス、そして野鳥らが棲んでいるのである。
そして、厳冬期はさらに過酷であることを思うと、いかにもわが身(否、人間)という哺乳動物と他の野生動物との肉体的な格差は大きい。
いくら強靭な肉体をもってしても、その動物らに伍してこの自然環境下にはに耐え切れない。

人間は生命の資質としてあまりに弱い。
耐寒性だけではない。毛がない皮膚はすぐ出血するし、外敵と戦う牙、爪、角もない。猿のように木に登れないし、教わらないと泳げない、逃げるときの瞬発力も凡庸だ。
あえていうといつまでも水平移動できる足だけである。

一体、進化の過程でもう少しタフになぜならなかったのか?
挙句の果て、水鳥の羽毛を拝借してシュラフとして身にまとって耐寒している私がある。

弱いから、風雨が強い時、気温が低い時は、ステイテントであり、ステイシュラフで状況の改善を待たざる得ない。
元来生物として、そうしないと生存できなかったのであろう。時々外の様子を目だけ出して伺い、ステイ洞窟?だったり、ステイ枯草だったり、ステイ掘立小屋だったり。

その末裔の私は、テントとシュラフといった道具やアルファ米とレトルト食品でかろうじて1晩を過ごそうとしている。

そんなことを考えながら、気がつくとテントの生地が明るくなった。
シュラフから片手を出して、隙間から目だけを出して伺うと、テントの目の前の笹の葉が朝日を浴びてオレンジ色に染まっている。
登山2日目は晴れそうだ。出てもよさそう。

テントをデポして、麦草峠③まで来ると、そらが青く広い。なんとか自然と折り合った結果のご褒美のよう。

今日は、足を延ばして、北八ケ岳の池④を巡りながら北横岳⑤をめざす。
手袋と防寒着、そして登山靴などの道具で「弱点」を補いながら、得意の水平移動である。

果たして、北八ケ岳の景色は、本当に綺麗で、随所で足を止めながら見入ってしまった。

人間は生物として弱く、自然に翻弄されてきたのに、どうして自然をこんなにも美しいと思う心が備わったのだろう。
弱いことと関係があるのか、それは人間自身にはわからない。




八ケ岳の苔②

麦草峠③(付近)





北八ケ岳の池④(双子池)

北横岳⑤からの眺望(蓼科山)










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